繰り返しの人生

小さな命と楽しい小学生、老人の日常の日記と防犯プロよりセキュリテイ案内。
 

「睡眠薬売れるねん」   赤ちゃん病院での検診、特に問題無し今日から保育園

2010年04月20日 07時52分02秒 | Weblog
少し暖かいが山には黒い雲がかかっておりこれから雨の予感、午後から降り出すとのこと。
インターネット販売されていたものと同種とみられる向精神薬 生活保護受給者に無料で処方された薬を買い取り、インターネットで違法販売――。そんな巧妙な「貧困ビジネス」の実態が明らかになった。神奈川県警は、同県横須賀市の無職大沢広一被告らが暴力団関係者と共謀し、全国有数の生活困窮者を抱える大阪市西成区のあいりん地区で、向精神薬を入手する受給者らのネットワークを築き上げたとみている。捜査関係者によると、大沢被告は経営する不動産会社が倒産し、不眠治療などで向精神薬の処方を受けるうちに、薬の転売がネット上でビジネスになっていることを知った。

アイスランドの火山噴火に伴う空の便の混乱は5日目の19日になっても復旧のめどが立たないようです。わが国にも多大な影響が出ているようです。
いつもの月曜日に戻りほっとするが赤ちゃんの退院後の始めての検診で母親と赤ちゃんは病院に向かう。昨日はほんとうの春日和で洗濯日和でもあった。毎日洗濯をしており、特に多くはないがそれれでも2回ほど回した。日曜日に汚した部屋の掃除をしっかりと行う。昨日の最初のお出かけは息子でぼうず・ちび・赤ちゃんの順でそれぞれ出かけた。落ち着いたところで「ばあば」が買い物と言って出かけたので私が一人での留守番となった。12時前に母親より病院から電話です。特に問題ないので今日から保育園に行ってもよいとのお墨つけをもらっった。入院時の高熱もしっかり納まり体温も36度4分で問題なかったようで安心しました。病院の帰りに赤ちゃんの要望でハンバークが食べたいと言うので食べさせて帰りますとの連絡であった。昼飯は「ばあば」と二人でしたが庭の草が気になって草むしりを始める。1時過ぎに赤ちゃんと母親が帰ってきた。赤ちゃんはとてもテンションが高く元気いっぱいであった。昼飯を食べた母親が仕事に行くので赤ちゃんお願いと言うので二人で近所の散歩に出かける。元気な赤ちゃん歩き方もしっかりして約30分ほど歩き家に戻る。帰ってからおやつと飲み物を渡すとご機嫌であった。まもなくあくびをし出したので「ばあば」におんぶの要求をする。まもなく眠りに着き5時20分まで寝てくれた。保育園のお迎えは「ばあば」で元気者のチビのお帰りです。帰る早々祭りの当りくじでせしめた弓矢に熱中する。ぼうずは塾であり4時に帰らねばならぬのに返ったのが4時6分でバタバタしておったが車に乗せて駅まで送る。4時59分に塾に到着したとのメールが入りほっとする。夕食はチビ・赤ちゃんと我等4人での久しぶりの食事、喜んで食べてくれた。ぼうずの帰りが遅く駅到着が9時50分、家に着いたのが10時で風呂に入り宿題をして就寝が10時55分どうにか一日がおわりました。以後ビールをいただき良かったでありました。


初代ミニ新幹線に別れ  祭りの二日目より参加でチビご機嫌

2010年04月19日 07時40分41秒 | Weblog
春のポカポカ陽気が期待出きる朝であり、とても素晴らしい天気です。
在来線でも運行可能なミニ新幹線として国内で初めて投入された山形新幹線400系が18日、引退し、山形駅では約400人の鉄道ファンが見送った。1992年の開業から「つばさ」の愛称で走行。12編成あった車両は老朽化が進み、新型のE3系が後を継ぐ。新庄発東京行きのラストラン車両は、「ご苦労さま」の声の中、山形駅を出発。山形県天童市の自営業後藤祐治さん(37)は「家族で東京へ旅行したことを思い出す」と涙を浮かべていた。

日曜日ぽかぽか陽気で満足でした。休みと言うことでのんびりの私「ばあば」はいつもの時間に起きて朝食作りに余念がない。7時頃になると皆パタパタと起きてきて朝食を食べ始めたが私は布団の中、母親が午前中少し店に用事と言う。「ばあば」は自分の母親が喜寿を迎えたので料亭にて祝いをするとの連絡を受け、午前11時半に集合とのことで各自が予定があったようです。チビは前日保育園であり、祭りでの「プリキアショウ」を観ることが出来ず、昨日祭りの余興で開催される「ゴセイジャー」のショウを期待しており必ず見るのだと朝から言っていた。母親が出かけ続いて「ばあば」を駅までチビと一緒に送る。朝が遅った私、遅い目覚めで忙しくて時間に追われてしまった。駅から戻ると祭りのメイン会場に出かける時間となる。会場には車の駐車場がなく歩きです。赤ちゃんを息子に託し、チビ・ぼうず・私の3人で会場に向かう。開演は11時20分、皆で駈けて行き10分前に会場到着です。会場は中学校の校庭で特設の舞台が設置されておりたいへんな人ごみであった。観る場所を探しているとチビの保育園の仲間のお母さんより声がかかり「チビちゃんここにどうぞ」であった。「ゴセイジャー」ショウの始まりです。5人の善玉と4人の悪玉の戦いが始まり最初は善玉が不利であったが会場の子供達の応援「ガンバレ」がエネルギーとなって悪玉を退治する流れでとても盛り上がりチビは終わってもホッペを紅潮せせ興奮していた。ゴセイジャーに色紙サインをしてもらい意気揚々とチビは家に戻ってきた。昼飯は「ばあば」がお出かけでしたので珍しく母親が用意してくれて子供達はご機嫌。昼飯が済むと近くの小学校より祭りの行列が出発の予定。急いでぼうず・チビを伴い会場に向かう。ハーレのオートバイ多数が先導して約1000人くらいの人々がパレード(昔は大名行列がメイン)です。一番最後は祭りのお神輿が2台出て掛け声が素晴らしく気合が入っておりました。最高尾の行列の中には市長さんが手を振っており町を上げての祭りでありました。ぼうず家族は赤ちゃんの入院が長かったので皆で買い物と言って出かけたが100円ショップやスーパーで買い物したと言い、大きな袋をぼうずが背負ってのご帰還でありました。夕食のメインはやきそばであったがチビと母親が特性のケーキを作り、皆でいただいたがとても美味しかった。

4月の雪に行楽地悲鳴   我が家の近くで祭りが行われておるが無関心

2010年04月18日 08時07分43秒 | Weblog
青い空、眩しい太陽。素晴らしい天気で今日はこれから暖かくなるとの予報。
17日朝は関東甲信から東北南部の広い地域で季節はずれの降雪を観測し、花冷えを通り越して冬将軍が舞い戻ったかのような天気となった。普段の週末は家族連れでにぎわう行楽地も人影はまばら。都心ではストーブ用の灯油が真冬並みの売れ行きとなる一方で、クリーニング店にコートやセーターを持ち込む人が減るなどの異変が起きている。

寒さが続く毎日ですが昨日は昼頃お日様が顔を出したが夕方はまた元の寒さに戻って参ったであります。土曜日は息子とぼうずは休みであったが母親は仕事でチビは保育園であった。赤ちゃんはまだ様子を観察せねばならないので監視体制を継続です。「ばあば」と息子は美容院に予定が入っており8時過ぎると出かけた。チビを母親が保育園に送り、仕事に出かけると必然的に私が赤ちゃんの面倒を見ねばならない。ぼうずもおるが塾の宿題が出来ておらず自室で頑張っておるが宿題をしているかは疑問でありました。赤ちゃんは興奮していて中々寝てくれず、飲み物と食べ物を要求でした。「ばあば」達が戻った11時半まで眠りもせず仲良しでありました。美容院に出かけた日の昼飯はケンタと決まっておりいつものケンタが到着して昼飯の始まりです。母親とチビは居なかったががとても賑やかで楽しい昼飯であった。午後より「ばあば」は買い物と言って出かけたが赤ちゃんは中々眠ってくれません。でも息子が抱っこでどうにか寝かせてくれてほっとする。私は所用で午後出かけ、保育園のお迎えは「ばあば」であった。私が5時過ぎに戻るとチビと赤ちゃんがおもちゃの自動車で遊んでいた。チビが昨日は母親の誕生日で誕生日のケーキの生地を作ってくれと「ばあば」に言っていたが聞いていないよと言っていた。ぼうずはスイミング教室で3時半過ぎに自転車で出かけ6時25分にお帰りです。夕食が済み風呂にチビと一緒にのんびり入り疲れが出て早い就寝であった。世の中、政治も経済も地球も揺れておりこれからどうなるのだろう。近くで山開きの祭りが行われておりました。


日本の人口、2年連続減   赤ちゃんの体調には気を使わねばである

2010年04月17日 07時52分58秒 | Weblog
山には雪が見え外は真冬の寒さ、この陽気は何なんだろう。どうもおかしい日が続く。
総務省が16日に発表した2009年10月1日現在の人口推計によると、日本の総人口(日本人と外国人の合計)は1億2751万人で前年比18万3000人減となり、2年連続で減少した。減少幅は比較可能な統計が残っている1950年以降で最大となり、同省は「本格的な人口減少時代に入った」と分析している。出生者数から死亡者数を差し引いた「自然動態」では、女性が初めて、死亡者数が出生者数を5000人上回る自然減少となった。男性は5年連続の自然減少(5万4000人減)だった。

16日の夕方より17日にかけて関東地方に雪が降るかもとの予報。もし降ったならば観測史上3番目の遅い雪のようです。ともかく朝から寒くて参った。寒暖の差がとても厳しい毎日で私には応える。体調は良くないが生活のリズムを崩すわけには行かず、いつもの時間に起きて洗濯・掃除を済ませ、6時前に一緒に寝ているぼうずを起こす。ぼうずは寝起きが悪く、頭の回転が正常になるまで5分は要する。昨日は早く起きれたので学校の身体測定で体重オーバを痛感し、朝の散歩をしますと言って出かけた。チビの保育園では1ヶ月に一回弁当持参の日がある。その日が昨日であり、母親もいつもより早く起きて弁当を作っていた。赤ちゃんも必然的に起きてきたがちょっと気になった。私が息子を駅まで送り戻ると全員が朝食が済んでおり時間に余裕があってぼうずのいつものバタバタがなく静かな朝であった。チビのお出かけもいつもより早く出かけ、母親が赤ちゃんをお供に一緒に保育園です。母親は保育園より戻り赤ちゃんを「ばあば」に預け自分は出かける支度をしておった。私は気分が悪く布団に横になる。居間より「ばあば」の声、赤ちゃんがお腹が痛いと騒いでいると大きな声、原因が分らぬので入院していた小児病棟に母親が電話。吐き気と熱がなければ大丈夫でしょうとのこと。心配ならば病院までお連れ下さいとのことであった。母親は様子を見ることにしたが店のことが気になるようで「ばあば」に全てを託して出かけた。出かける際私が怒る。自分勝手すぎる、寒いのに退院したばかりの赤ちゃんを外に何故出すか等の苦言を申す。所詮我等が赤ちゃんと子供達を担当せねばならぬので言いたいことを言った。赤ちゃんは母親が出かける際抱っこで寝かせて昼間でぐっすりであった。昼過ぎに起きたがお腹が痛かったので食べ物や飲み物に注意する。昼飯も食べ元気になったので自動車等のおもちゃで遊んでくれてご機嫌であった。赤ちゃんには「川崎病」と言うレッテルが張られたばかりで特に今月いっぱいは皆で注意せねばならない。外見から見た赤ちゃん入院前と特に変わらない。でも辛抱することを覚えたようです。3時過ぎにぼうずが学校より帰って一緒に遊んで楽しそうであった。夕食の支度と赤ちゃんの世話でいっぱいの「ばあば」にかわり、私がチビのお迎えです。生意気で帰りの持ち物の指導でありました。帰り道雨が降っており急いだがのんびりのチビマイペースであった。

天皇陛下から「おめでとう」真央  赤ちゃん「ばあば」の料理に大満足です

2010年04月16日 07時01分43秒 | Weblog
今日も朝から雨、とても寒い朝でびっくり。今週は天気がよくないとのこと。
天皇、皇后両陛下主催の春の園遊会が15日、東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれ、バンクーバー五輪の銀メダリスト・浅田真央選手ら約1900人が出席した。この日は小雨交じりで気温も真冬並みだったが、両陛下は会場を回りながら何度も足を止め、招待者との会話を楽しまれた。緊張したという浅田選手は、天皇陛下から「この度は本当におめでとう」と五輪での活躍をねぎらわれ、やや硬い表情で「ありがとうございます」とあいさつ。五輪後の世界選手権で優勝したことに話を向けられて笑顔を見せた。

昨日は関東から近畿にかけては雨で山では雪、恐れ入ると言うか季節外れの寒さに参ったであります。季節の野菜価格の高騰が恐ろしいです。我が家ではいつもの朝が始まり元に戻って忙しい朝でありました。4月の半ばで寒いと言いながら外に出ると小雨が降っておりお出かけの方が冬用のコートの襟を立て寒そうな出勤風景した。朝の食事ですが昨夜遅い帰りのぼうずであったが6時前には起こして出かけるギリギリまで宿題をさせ朝食をさせた。6時過ぎに2階から降りてきたのはチビであります。チビの保育園では雨が降らねば朝から近所の公園に散歩とのことで8時45分までにお出でくださいで「ばあば」に持ち込みの水筒を用意してもらう為に起きてきたと言う。起きたならば朝食と言って我等と息子・チビで賑やかな朝食が始まった。「ばあば」の体調がちょっとよく無いので病院にて検査を予定しており母親に早めに起きて欲しい旨連絡して置いたので7時前には赤ちゃんと一緒に起きてきた。赤ちゃん退院後始めての朝食、食べる気満々であります。入院前は食べさせてもらっていたがホークを持ってご飯を待ち構えておった。でも最初に食べたのは大好きな「ばあば」特性のたまご焼きで旨いであった。最後に食卓についたのはぼうずで忙しいとは言っていたが煩く「ばあば」と母親に叱られながらの朝食であった。我等は早めに出かけ、残ったのが母親と赤ちゃんであった。久しぶりの病院であり木曜日は大丈夫と思ったら休みであり来週にした。「ばあば」は買い物で私がに家戻ると母親が仕事があるのでお願いと言って赤ちゃんがソファに寝かせて出かけていった。赤ちゃん帰ってきて少しびっくりしたようだが少し慣れてきた。昼頃「ばあば」が買い物より戻ったので3人で食事です。寒い室外に出たのが悪かったか私の体調が優れないので横になる。目が覚めると3時過ぎでちょうどぼうずが学校より帰ってきたので赤ちゃんのお相手をお願いした。ぼうずは直ぐ飽きたのでばあば」がおんぶであった。ぼうずは学校の先生から歴史の本を借りてきたので明日返さねばと言って自室に篭る。「ばあば」がチビのお迎えに保育園に出かけたのでぼうずの部屋を覗くと読書中、覗いて見てみると漫画本では無いか、なにが歴史本だと怒って部屋をでた。夕食のメインはクリームシチュウで子供達は喜んで平らげた。赤ちゃん家では久しぶりであり気を使うが母親が戻らず帰るまで待つこととしぼうずとゆっくり風呂に入らせていただいた。


中国青海省地震、死者400人  赤ちゃん病院のスタッフより退院メダルです

2010年04月15日 06時56分29秒 | Weblog
朝からしとしと雨が降り、肌寒い朝で驚いております。日中も寒そうな一日との。
中国中央テレビなどによると、中国西部・青海省の玉樹チベット族自治州玉樹県で14日午前発生したマグニチュード(M)7・1の大地震による犠牲者数は、同日夜までに、少なくとも400人に達した。負傷者も1万人以上に上っている。倒壊した住宅や学校などの下に、多くの住民が生き埋めになっており、犠牲者数がさらに膨らむ可能性がある。震源近くでは、90%の家屋が倒壊した。2008年5月の四川大地震の時と同様、多くの学校が倒壊した模様だ。

寒暖の差が10度もある日々がある最近ですが入院している人やお年寄りには応える。我が家の赤ちゃん、昨日皆様のお陰を持ちまして無事退院することが出来、関係各所に感謝であります。11時と言う予定であり10時には家を出るが通常は30分で着くことが可能であったが病院到着は55分、駐車場が満車で母親のみ病室に行き我等は空き待ちであった。11時01分に病室に着くともう帰る支度は完了であった。少し前看護婦さん達より退院のお祝いレセプションが行われ赤ちゃんの胸には退院メタルがかけられていた。病院のスタッフの暖かい心遣いには頭が下がりました。母親と一緒に退院後のお薬の飲み方や毎日の生活の仕方について説明を受ける。一つ違ったことがあった。退院証明書が交付された。中味は病名が明示されておりもし何か体調が不良の時はこの証明書を病院関係者に明示してくださいとのこと。病名は「川崎病」これから赤ちゃん本人に背負わされた宿命で理解できる年齢になったらしっかり説明しよう。赤ちゃんは元気であったが2週間ほど会っていなかったので少し警戒された。帰りの車、久しぶりの赤ちゃん「ブーブー」を繰り返していた。信号で車が止まり自販機を指差して「ジュジュ」と叫んで泣き出す。やっとマックに着き飲み物とハンバークを購入するとかぶりつき飲んでやっとご機嫌になった。家に戻るとちょうど昼飯の時間。赤ちゃんを交えての昼飯です。赤ちゃんは「ばあば」の卵焼きが大好きであったので早速ぱっくりでした。何か欠食児童のように次から次へと腹に収め、お腹がポンポンとなったので私が「もう食べさせるな」であった。久しぶりで規制のかかった病院より家に戻った赤ちゃんとても楽しそう。ご飯が済むと外に出たいと言うので僅かですが近所の散歩に出かける。足は自然に保育園に向かったので昼時であったが保育園を訪問する。園長先生に退院の挨拶をし、今後もよろしくとお願いした。夕方より母親が仕事があると言うので寝かしてもらって留守番です。3時半には学校より戻ったぼうずは塾に出かけ、5時には「ばあば」がチビのお迎えです。チビが帰ると同時に赤ちゃんが目を覚ます。最初はキョトンとしていたが元気な赤ちゃんとなり一緒に3チャンネルのテレビ観戦でありました。赤ちゃんが戻りいつもの夕食であり喜んでいただいた。ぼうずの帰りが10時近くなるので大好きな晩酌もせず待機です。ぼうずを迎えの段になり赤ちゃんのオムツが不足、物が分らぬので「ばあば」同乗にて駅までぼうず迎えでした。元気なぼうずの帰りでほっとするが家に戻り宿題等を済ませたのが11時過ぎであった。

陛下が皇居内で種もみまき   赤ちゃんの退院は今日です(11時予定)

2010年04月14日 06時54分09秒 | Weblog
快晴です。素晴らしい天気に思わず深呼吸で朝の空気が美味しいです。
豊作願い、天皇陛下は13日、皇居内の苗代で、種もみまきをされた。豊作を願う春の恒例行事で、うるち米の「ニホンマサリ」と、もち米の「マンゲツモチ」の種もみ計約3000粒を計20区画にまかれた。育った苗は5月中旬~下旬に、陛下の手で皇居内の水田に植えられる。

昨日は火曜日であり我が家では朗報が入る。1日に入院した赤ちゃんが今日11時に退院の許可が病院より出たとの報告が6時過ぎに病院に伺った母親より電話でもたされた。ありたいことで今日から赤ちゃんと一緒の生活が出来るのです。でも大きな問題が我等に科せられた。私達が経験したことがない川崎病と言う病名で入院治療で退院してきた赤ちゃん。病院の指導のもとに間違いない生活を送らせなければならない。発病して1ヶ月間が大事と言われておるようでこの期間再発がしないことを祈り仏壇に手を合わす。昨日の朝はぼうずとチビ、我等の部屋で寝たので私が最大の被害者である。寝ぞうの悪いチビに付き合い、布団を剥いでしまうのと足が色々動きキックが炸裂で寝て居るどころではなかった。一日中眠くて体がだるかった。今後は頼まれてても拒否するつもりです。朝はもうろうとしていたが洗濯や掃除はどうにか出来てほっとする。ぼうずはよく寝たようですっきりした顔で朝の動きがよい。チビも元気がよくてうらやましい。まもなく二人とも学校と保育園に出かけ、母親もお客様の早い予約があるのでと言って出かけた。私は「ばあば」の依頼で一緒に役所に出かけた。どうも役所は機械的で人の感情を軽んずるので「ばあば」は怒っていたので同行する。家に戻り昼飯をいただくがとても美味しかった。午後より「ばあば」は子供達に美味しいハンバーグを食べさせるのだと生地作りに着手。夕食時にいただいたハンバーグは絶品でありました。夕方のお迎えは「ばあば」で元気なチビのお帰りで賑やかとなったが私は調子が悪くチビと「ばあば」が風呂に入っている時布団に世話になる。




10歳で漢検1級!…最年少タイ  皆の都合で帰りが遅くチビと留守番をする

2010年04月13日 07時48分00秒 | Weblog
朝起きて外に出ると抜けるような青空で気持ちが良い、明日は天気がくずれるとのこと。
難関として知られる日本漢字能力検定協会の1級試験に、相模原市南区鵜野森のLCA国際小学校5年、西村柚之介(ゆずのすけ)君(10)が最年少タイ記録で合格した。西村君は、1歳後半頃から漢字や記号に強い関心を示し始めた。才能に気づいた母親の由美さんが、文字や記号を使ったパズルを与えるなど手助けしたこともあって能力が開花。幼稚園年長組の6歳で漢字検定10級に合格し、その後もランクを上げて受験を続け、小学4年時の2月7日の試験で最難関の1級に合格した。

井上ひさしさんが亡くなられた。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに」をモットーの作家で文化功労者でもある。
昨日の我が家いつもの朝と違って赤ちゃんの退院の話題です。もしかしたら水曜日に退院かもの話題でとても明るかった。でも退院後がたいへんなようであります。ぼうずが我等と一緒に寝たので6時には起こし前日の不足勉強をさせた。早めに寝たので気合が入っていると言いながらの勉強であった。朝食は皆バラバラであったが繋がっておったので「ばあば」は助かったと言っていた。ぼうずの起きるのが早かったので特に問題がない朝でした。チビも元気に雨の中大好きな黄色い傘と長靴でお出かけです。母親が仕事で遅くなるので「ばあば」が3時からの病院を計画していたが2時からのピアノ教室と4時にぼうずの塾、駅までの送りがあるので時間の綱渡りであった。雨で移動は車が必要で1台の車を効率よく回転せねばであった。午後「ばあば」は全ての用事を済ませぼうずの帰りを待つが4時を過ぎても戻らない。塾の日は3時55分に帰らねば送りと電車の関係で塾が遅刻となる。仕方が無いので学校に行くと6年4組の教室は部屋の電気は消されだれも居ない。何処に行ったのだろうと校舎を周り昇降口に行くとブロックの先生と会話中「こらー何をしているんだ」と大きな声、先生もびっくりしたと思うが本人は時間を忘れて地区担当の先生と通学の話しをして」いたようです。話しに夢中になり、これからの自分の行動を忘れていたようで気合を入れる。大きな声で叱るが毎回効き目が無いのでどうしようかであります。昨日より塾の出退管理のカードが渡され本人がカードを通すと記録され、登録された携帯に時間等が連絡されるシステムが早速運用された。5時1分入室。1分遅れでありました。チビのお迎えが遅れてしまった。通常より20分の遅れであったがチビはとてもご機嫌、でもこれから皆が帰る9時頃まで二人で留守番で心細かったが協力してくれてありがたかった。皆の帰りが遅い、最初が息子、続いて「ばあば」。ぼうずは10時近くで駅まで迎えでした。母親は病院で赤ちゃんが愚図り11時半の帰り。必然的に二人を我等の部屋に寝かせて朝を迎えた。チビの寝像は半端でなく凄い。私は眠れたのだろうか朝起きて頭が重いです。


 


アナタは右側?左側?  チビ美容院で断髪しぼうずは床屋ですっきり

2010年04月12日 08時19分28秒 | Weblog
今日は雨で朝からしとしと降って肌寒い朝です。桜の木に緑の葉がついて来た。
東京では左側、大阪では右側に並ぶが、仙台ではどうだろうか。平日の朝、仙台市営地下鉄の仙台駅。ホームと改札口をつなぐエスカレーターでは、通勤・通学客が右側に列を作っていた。市交通局も「一般的に右側に列が出来、左側を空ける傾向がある」と話す。仙台市中心部で100年以上の歴史を持つ百貨店「藤崎」も「左並びのお客様もいるが、右並びが多い」という。東京からの乗客が多い新幹線ホームも、左で列が固定されるわけではなく、まちまちだ。

昨日は暖かい朝であったが日曜日でのんびりであった。目が覚めて台所よりまな板に包丁が当ってコツコツと何かを刻んでおる心地よい音、懐かしく癒される音でもある。「ばあば」は朝の支度で忙しそうであるが誰も起きてこないが私は朝の作業があるのでノコノコ起き出した。洗濯をしようとすると既に洗濯機には洗濯物の山、取りあえず洗濯機を回す。引き続いて猫達が生活する部屋の掃除と共用部の廊下・階段・玄関等を掃除機を使用してゴミの除去でありました。掃除をしていると2階より大きな物体が降りてきた。よく見るとチビであります。おはようと挨拶をすると「トイレだよ」と言ってトイレの中、「ばあば」ウンチと言って忙しい「ばあば」を呼んでいた。いつものことで生意気なチビであります。まもなく母親が起きてきた。いつも休みはゆっくりなのにどうしたのと問うと美容室にチビの断髪を予約したので行くのだと言う。ついでに来週予定のぼうずの頭も散髪してくるとのこと。チビは生まれてから今回で2回目の断髪、お友達が髪を短くしている人が多く出来れば肩くらいと望んでの断髪であった。赤ちゃんは入院しており午前中11時より面会可能でこの時間に合わせて「ばあば」が行くことは打ち合わせ済みでチビ家族は朝食を食べると急いで出かけた。「ばあば」も忙しく朝の全ての用事を済ませ10時過ぎにお出かけです。残されたのは私と息子であった。私は前日の続きで草が多い庭の草むしりです。11時半頃チビ部隊のお帰りです。チビは長い髪を肩まで切って別人のようです。ぼうずは刈り上げで見事なお兄ちゃんで帰ってきて二人ともご機嫌でした。チビの髪型が変わったのでデジカメに納め、愛くるしい画面で可愛いです。昼飯が済むと母親と子供達の約束で母親が病院に出かけるまでの間2時間あるので近所の運動公園に遊びに行く約束をしており再度3人で出かけた。戻ってからチビはビデオ鑑賞、ぼうずは宿題、母親は病院です。1時間後母親より電話、赤ちゃんの経過順調と言い、いま写真送ると言って私のパソコンに写真を送ってきた。赤ちゃんがプレイルームで遊んで元気な写真です。とても元気で安心いたしました。夕食は母親を除いた食事でしたが二人は喜んでしっかり食べてくれた。夕食後は風呂で順番にてゆっくり入った。以後は3人で我等の部屋にてテレビ観戦であった。母親が病院より9時前に戻ってきた。とても順調で夕食もお替りする赤ちゃん、疲れて8時過ぎに寝たので帰ってきたとのこと。甘えん坊のチビ、母親にベッタリで自室にて眠るが遅くまで声が聞えた。


気品漂う黄緑のサクラ「御衣黄」  生活環境変わって皆お疲れ気味です

2010年04月11日 10時03分17秒 | Weblog
日曜日で暖かく、曇り空ですが気持ちよい朝です。夕方より雨との天気予報。
花びらが黄緑色をした珍しい桜「御衣黄(ぎょいこう)」が、静岡県掛川市の大須賀支所周辺で見ごろを迎えている。八重桜の一種で、気品のある姿から、天皇や貴人の衣服を意味する御衣が名前の由来に。市内には十数本が植えられ、今年の開花は例年より1週間ほど遅いという。18日は塩漬けにした花びらを白湯(さゆ)に浸した桜湯が見物客に振る舞われる。地元では「最近注目されるようになった。

昨日は土曜日、いつものことであればチビちゃんが家の中で騒いでいるのが普通である。赤ちゃんの入院で「ばあば」と母親は病院の看護で行かねば。ぼうずは宿題が山のようにあり午前中たいへん、午後はスイミング教室、息子は用事があると言って午後からお出かけです。私も体調不良ですのでチビは朝から保育園にお願いした。「ばあば」は問題なく朝の支度はしてくれたが私の仕事は中々進まず「ばあば」の手助けを受けた。ともかく腰も痛く疲れたので再度布団の中、ぼうずは朝飯が済むと先日行われた身体検査で体重が60キロに近いとのことで運動と称して学校の運動場に出かけた。「ばあば」のご飯ですよに目が覚めて食事をするがあまり食が進まない。午後からは寝てばかりであったので僅かであったが庭の草むしりを行う。中腰になるのはたいへんでありどうやら出来て満足であった。まもなく病院に行ってきますと言って「ばあば」は出かけた。しばらくして電話が入る、母親からで病院の先生より電話があり赤ちゃんが午後より吐き気をもようし3回ほど吐き、吐き止めの薬を投薬し注意して看ておりますとの電話「今回の川崎病に関係しておりますか」と尋ねると「元気ですので大丈夫」とのことですが今後吐き続けるようならば点滴を再開しますとのこと。「ばあば」が「病院についたよ」の連絡、手身近に情報を伝えた。午後3時過ぎ、ぼうずスイミング教室に自転車で颯爽と出かけた。一人での留守番であったが赤ちゃんのことが心配であった。夕方保育園へのお迎えです。土曜保育は20名くらいでありとても元気に遊んでいた。保育士の先生も赤ちゃんを心配してくださり「お大事に」であった。チビと二人で留守番していると息子、続いてぼうずがスイミングから戻ったので「ばあば」が用意してくれたので夕食開始するが何か盛り上がらない。息子がミスタードーナツを多量に購入してきてくれたのでお菓子の話しであった。午前中ぼうず勉強していたと思ったが自室でテレビを観ていたようで勉強が進んでいない「即勉強」であった。7時20分頃「ばあば」が病院より戻る。赤ちゃんの様子を聞くと夕食はご飯をよく食べてくれたが体温が37度8分あったとの説明でちょっと心配。母親は「ばあば」との交替で看護でした。昼間先生よりの電話で心配となり9時より当直の医師が見えるまで待って検診を受けたが特に問題ないと言われ納得して戻ったが赤ちゃんが離れず、家に戻ってきたのが11時近くであった。我が家のチビとても強情で母親が帰らないと絶対寝ないと言い張って実行しており困ったことです。ぼうず勉強に身が入らないので昨夜から一人寝は無し、我等と一緒の部屋に布団移動です。