繰り返しの人生

小さな命と楽しい小学生、老人の日常の日記と防犯プロよりセキュリテイ案内。
 

中国青海省地震、死者400人  赤ちゃん病院のスタッフより退院メダルです

2010年04月15日 06時56分29秒 | Weblog
朝からしとしと雨が降り、肌寒い朝で驚いております。日中も寒そうな一日との。
中国中央テレビなどによると、中国西部・青海省の玉樹チベット族自治州玉樹県で14日午前発生したマグニチュード(M)7・1の大地震による犠牲者数は、同日夜までに、少なくとも400人に達した。負傷者も1万人以上に上っている。倒壊した住宅や学校などの下に、多くの住民が生き埋めになっており、犠牲者数がさらに膨らむ可能性がある。震源近くでは、90%の家屋が倒壊した。2008年5月の四川大地震の時と同様、多くの学校が倒壊した模様だ。

寒暖の差が10度もある日々がある最近ですが入院している人やお年寄りには応える。我が家の赤ちゃん、昨日皆様のお陰を持ちまして無事退院することが出来、関係各所に感謝であります。11時と言う予定であり10時には家を出るが通常は30分で着くことが可能であったが病院到着は55分、駐車場が満車で母親のみ病室に行き我等は空き待ちであった。11時01分に病室に着くともう帰る支度は完了であった。少し前看護婦さん達より退院のお祝いレセプションが行われ赤ちゃんの胸には退院メタルがかけられていた。病院のスタッフの暖かい心遣いには頭が下がりました。母親と一緒に退院後のお薬の飲み方や毎日の生活の仕方について説明を受ける。一つ違ったことがあった。退院証明書が交付された。中味は病名が明示されておりもし何か体調が不良の時はこの証明書を病院関係者に明示してくださいとのこと。病名は「川崎病」これから赤ちゃん本人に背負わされた宿命で理解できる年齢になったらしっかり説明しよう。赤ちゃんは元気であったが2週間ほど会っていなかったので少し警戒された。帰りの車、久しぶりの赤ちゃん「ブーブー」を繰り返していた。信号で車が止まり自販機を指差して「ジュジュ」と叫んで泣き出す。やっとマックに着き飲み物とハンバークを購入するとかぶりつき飲んでやっとご機嫌になった。家に戻るとちょうど昼飯の時間。赤ちゃんを交えての昼飯です。赤ちゃんは「ばあば」の卵焼きが大好きであったので早速ぱっくりでした。何か欠食児童のように次から次へと腹に収め、お腹がポンポンとなったので私が「もう食べさせるな」であった。久しぶりで規制のかかった病院より家に戻った赤ちゃんとても楽しそう。ご飯が済むと外に出たいと言うので僅かですが近所の散歩に出かける。足は自然に保育園に向かったので昼時であったが保育園を訪問する。園長先生に退院の挨拶をし、今後もよろしくとお願いした。夕方より母親が仕事があると言うので寝かしてもらって留守番です。3時半には学校より戻ったぼうずは塾に出かけ、5時には「ばあば」がチビのお迎えです。チビが帰ると同時に赤ちゃんが目を覚ます。最初はキョトンとしていたが元気な赤ちゃんとなり一緒に3チャンネルのテレビ観戦でありました。赤ちゃんが戻りいつもの夕食であり喜んでいただいた。ぼうずの帰りが10時近くなるので大好きな晩酌もせず待機です。ぼうずを迎えの段になり赤ちゃんのオムツが不足、物が分らぬので「ばあば」同乗にて駅までぼうず迎えでした。元気なぼうずの帰りでほっとするが家に戻り宿題等を済ませたのが11時過ぎであった。