みよしブログ

沖釣り大物集団舳会主宰、タハラッチのブログ。
舳会サイトはhttp://miyoshi344.sakura.ne.jp

アカムツ料理三昧12.10.29

2012-10-30 05:26:09 | 食・レシピ

Imgp4723 先だってのムツに続いて、アカムツを2尾だけ釣ってきました。
同じように二枚におろし、片身は皮付きの刺身の焙り、もう一方の身は塩焼き、カブトは二つ割にして潮汁でいただきました。

Imgp4721 皮はトロッとしているのに身はシャキッ。さわやかなコクが拡がったと思ったら、刺身本来の歯触りの快さに続いて旨みで口の中がいっぱいになりました。

Imgp4732 塩焼きは全身、上品な脂に覆われていて、まさにとろけてしまいました。

Imgp4719 タハラッチ流は湯通しもしなければあくも取りません。鮮度の良いアカムツですし、さばいた後、塩を振って寝かせ、酒で洗ってから弱火で煮ます。
骨だらけの頭ですが、すべてしゃぶりつくしてしまいます。

2尾ともこのコース。刺身に切った残りの腹骨も潮に入れていただきます。
もっと釣ったら西京漬けにしたいのですが、次回はぜひ、なんて思っています。
あー、旨かった。
でも写真を見る限り、ムツもアカムツもほとんど同じように見えますね。


ムツ三昧12.10.22

2012-10-25 09:24:50 | 食・レシピ

Imgp4703 前日、クロマグロを狙った際、エサにするサバをたくさん釣りました。
この日はどういうわけがサバの食いが渋く、タナがどんどん深くなっていきました。
終いには120mの海底にオモリが着いてしまうほど。そんなとき、サバに交じってムツが食ってきました。
サバはやせたゴマサバですからエサにしかなりませんが、ムツはうまい魚。塩梅よく2尾も釣れましたので喜んで持ち帰ったというわけです。

Imgp4714 ウロコを引き、エラを取り除いて頭を落とし、2枚におろします。
削いだ片身は腹骨を好き取り、血合い骨を抜いてラップに包んでパーシャルに。皮付きのまま刺身に切り、焙っていただこうという魂胆です。

Imgp4708 骨付きの身は飾り包丁を入れて塩を振り、冷蔵庫で寝かせます。我が家でいただくとき、タハラッチは背びれと腹ビレの付け根にも包丁目を入れます。こうすればパリッと焼き上げた皮も、自在の大きさに取り分けられますよ。
手軽なロースターで焼くことが多いのですが、焼く前には予熱を加え、身に振りかけた塩は清酒で洗い流します。といってもあまりたくさん振りかけていませんが・・・。

Imgp4709 頭はカブト割りにして塩を振り、こちらも寝かせます。今回は2尾とも潮汁にしました。
さっと熱湯をかけて洗ってから水を張った鍋に入れます。煮立ってきたらアクが出ますが、そんなもの取り除いたりしません。塩であらかた味をつけ、醤油をほんの少したらして整えるだけ。いたって簡単です。

いやいや旨かったですね。久しぶりのムツ。脂が乗っていました。少し寝かせたのがよかったようで、まったく同じものをいただいた初日より、2日目のほうが旨かったですね。
しゃっきり感の残っている刺身の焙り。ジワッとコクの滲み出る塩焼き。とろけるような潮汁の頭。同じ魚とは思えないような味わいと食感に大満足でした。


奥穂高と涸沢の紅葉3日目12.10.13

2012-10-15 05:39:46 | 旅行記

Imgp4669_2 昨日のみごとな紅葉を思い起こしながら目覚めると午前4時。スズメの涙みたいな水で顔を洗ってデッキに出てみました。夕べより一段と鮮やかに星々がきらめいています。小屋の灯りが消えているうえ、夜中に冷えた空気が空を澄ませてくれたのでしょう。それでも半世紀前の星空にはかないません。もっともタハラッチの目の悪さが原因なのかもしれませんが、早起きした女性は感嘆の声を発していました。

朝食は5時から。今度は先着順ですから一番に並びました。飯は夕べよりうまく炊けていて、おかずも今回はまずまず。横尾での2回の食事同様すべてを食べ尽くしました。
夕べの食欲不振は体調のせいばかりではなかったのかもしれません。

食卓のポットからペットボトルにお茶を注いで満タンにし、すぐ先のヒュッテまで水を汲みに行く相客とすれ違うようにして6時に小屋を出発。ヒュッテで温かな紅茶をいただき一息つきます。ここでは水は使い放題。蛇口をひねって冷たい水で顔を洗うと、先ほどまでのすっきりしない気分が一気に洗い流されました。

ここからは北尾根の6峰をトラバース(山腹の横断)しながら屏風のコルを目指します。今回、ときどきコルという言葉が出てきますが、これは尾根上にある小規模な峠のようなところ。鞍部と訳されています。

北斜面のコースですから霜柱が凍てついています。50年前の記憶は定かではありませんが、さほどしょっぱいコースではなかったような気がします。きついと汗をかき、その味がしょっぱいのでこんな表現をしていたのです。
それでも現在は上級者コースとのこと。どんな道なのか期待と不安が同時に押し寄せてきます。
少し急な斜面のトラバースがありました。こんなものかなと思っていたらとんでもない斜面になり、フィックスされたロープの助けを借りながら進みます。

ほぼ水平なトラバースだけでなく、垂直に近い絶壁の登りや下りも頻繁に現れます。年取ったタハラッチは登りにかかるとすぐに息が上がってしまい、肩で大きく呼吸をしないと間に合いません。
後続の若者たち次々追い越されてしまいますが、焦ることはありません。
時間はたっぷりあるのです。

登りのワンピッチを追えるごとに小休止。この繰り返しですから埒が明きません。リタイアしたと思われる夫婦連れと相前後するようになり、言葉を交わします。
夫婦揃ってマッターホルンの麓へ行った話しを聞かせてもらい、タハラッチは50年前のこの界隈の話をします。

そして今回の山行の直接的な原因となったマッキンレーの遊覧飛行。岸壁スレスレに飛んで岩と雪の織りなす大自然を堪能させてくれたあのひとときがなかったら、たぶん今回の計画は立てなかったかもしれません。何が人間を変えるかわかりませんね。
旅は道連れ。こんな楽しみもありました。

Imgp4682  一晩たったらデジカメのバッテリーが少し回復したようです。彼方には槍ヶ岳がきれいな姿を見せています。今日も青空。標準タイムを大幅に超えて8時40分にコルに到着しました。
昨日の下りで足を踏ん張りすぎたようで、太腿に筋肉痛を感じ、右足の小指が当たって痛みが消えません。そのうえ急な登りの一歩一歩で大きく息を突き、休憩を何度となく取ったのが原因です。
でもこんなもの。心配にはおよびません。

Imgp4685 この辺りからも真っ赤な紅葉の彼方に穂高の山々が望めます。この光景をまた望むことができるか、ちょっぴりセンチメンタルな気持ちになってしまいます。

Imgp4695 このコルから尾根筋を屏風の頭のほうへ600mほど辿ると耳という突起があります。360度の展望の利く岩峰で、ここまででしたらロッククライミングの準備は不要とのこと。足を伸ばす人もいるようです。

タハラッチも行ってみることにしました。ところが思った以上の急登。件の夫婦連れは途中で休憩していて、ここから引き返して徳沢へ下るとのこと。タハラッチは行かれるところまではと歩を進めます。

踏み跡の脇に小さな池塘があり、その縁は5cmを越えるような霜柱がびっしり。夜は冷えることでしょう。
その右手に、花崗岩の巨大なブロックを積み上げたような突起があり、これが賽の河原。耳まで行くのはあきらめたタハラッチですが、そのテッペンによじ登りたくなりました。

Imgp4691 摩擦の効く岩ですからほとんど滑りません。昔の屏風岩登攀の感触を思い出しなら登り詰めると、テッペンにはケルンが積んであります。

Imgp4692 真正面が北尾根で中央の峰が前穂高。右手が奥穂へ連なる吊り尾根で、左の鋭峰群が明神です。

年相応に穂高の秋を堪能しました。ここからは奥又白谷を横断し、新村橋、徳沢、明神を経由して上高地へと下ります。
気持ちはもう下山したようなものですが、ここからの道のりの長いこと。急な下りのところどころには急な崖が立ちはだかっていて、思うようにはピッチが上がりません。
ただひたすら歩を進めて下るのみ。つま先と太腿には思いっきり力が加わり、筋肉痛は増すばかりです。
たぶんきっと、もうここを訪れることはないだろう。そんな気持ちになってしまうほど。ようやく奥又白の分岐に達し、コースを左に取ると急な沢筋に出ます。

白い岩が点在するコースを辿っていくとキタテハのようなチョウが舞っています。陽射しはあたたか。この3日間、毎日チョウの舞う姿を見ました。そして飛びっきりの紅葉も、真っ青な空も、灰褐色に聳える岸壁も、白く残る万年雪も、そのすべてが心を癒してくれたような気がします。
でもそれより印象に残ったのはハイマツの葉の深い色合い。外側の鋭い葉の裏側は白っぽく、上から見るとえもいわれぬほど深みのあるみどりなのです。エメラルドグリーンのような輝きではなく、いぶし銀のような装い。50年前には気付かなかった自然の美しさに触れました。

疲れ果てた足を引きずるようにして新村橋を渡り、徳沢園で山菜そばをいただいてほっとしていると、件の夫婦連れがくたびれ果てたように休んでいました。彼らはマイカーで来たとのことですので時間の余裕もあるのでしょう。タハラッチは次の予定があるので先発しました。

その予定というのは小梨平のキャンプ場での入浴。建替えたばかりの浴場は広々といていてとてもきれい。久しぶりにシャンプーと石鹸で全身を洗い、髭もそってさっぱりしましたが問題がひとつ。筋肉痛がひどくて、普段の姿勢では湯船に入れません。
でも爽快な気分になって上高地のバスターミナルに到着し、予定通り、16時30分発の新宿行きに乗ることができました。


奥穂高と涸沢の紅葉2日目12.10.12

2012-10-15 05:38:17 | 旅行記

Imgp4670 さあ2日目です。今日はどこまで登れるかな。

Imgp4644 夜明けとともに横尾山荘を出発。前穂のテッペンがモルゲンロートに輝いていたのですが、シャッターチャンスを一矢ました。。
キャップライトをつけて山路を辿ります。涸沢までどんな感じで歩けるか、できれば奥穂高の山頂まで行きたいのですが、なんせここから先に足を踏み入れるのは半世紀、50年ぶりのこと。その間、山からはすっかり足を洗っていて、ときどき思い出したようにほとんど歩かない山へ行ったり、チョウを追っかけたり、孫たちとキャンプに行ったりした程度。きっと足腰が弱っているに違いありません。

幸い昨日は、標準タイムより若干早い2時間40分で上高地から横尾まで歩くことができました。約10kmの道のりでしたがアップダウンも少なく、標高差は100mでした。
横尾から涸沢ヒュッテまでは標高差700mで6km弱。3時間半の標準タイムです。
そこから穂高岳山荘のある白出しのコルまでは3時間。
さらに奥穂の山頂までは1時間をみなければなりません。

下りは白出しコルまでが35分で宿泊予定の涸沢小屋までは1時間45分。この行程を踏破しなければなりませんが、登りは900m弱で、下りが840mほど。距離は往復でも6kmほどですが、1,600m登ってから840m下ることになります。
年取った身にはかなりの行程ですから、状況によっては穂高岳山荘で宿泊することになるかもしれません。その場合、3,000mでの一夜はすばらしい星空やご来光が期待できますが、最終日にしわ寄せが生じてしまいそう。がんばって予定通りの行程をこなすほうが無難かもしれませんね。

Imgp4643 その前に腹ごしらえ。今朝も腹いっぱいで、皿には何も残っていません。

Imgp4650 屏風岩の裾に差し掛かるころにはライトも不要になり、テッペンにうっすらとガスのかかった灰色の岸壁が次第に全貌を見せてきました。
半世紀前、タハラッチは命懸けでこの屏風岩を登っていたのです。
思い出がよみがえってきます。
機会がありましたら、命懸けの経緯をお伝えできることがあるかもしれませんが、当時は若さいっぱい。強靭な肉体と精神で登攀を繰り返していたものです。

Imgp46562 その当時、本谷橋は丸木橋。毎年冬には雪で流され、夏のシーズン前に架け替えられていたものですが、今ではこんなに立派な吊り橋になっていました。
黄色が主体で赤はまばらですが、この辺りから紅葉が始まっていますね。

Imgp4660 ようやく涸沢に到着。右手にあがったヒュッテで温かな紅茶をいただきながら、涸沢カールの紅葉を眺めました。
左手は北尾根の末端、屏風のコルへと続くパノラマコースです。半世紀前、屏風岩を登った後、このコースを辿って横尾のベースまで下ったアプローチだったのですが、ガイドを見ると上級者コースとのこと。そんな印象はまったく思い出せませんが、明日はこのコースから下山するつもりです。気をつけて歩きたいと思っています。
真正面は吊り尾根から下っている涸沢カール。紅葉は北尾根の6峰辺りから下がってきているようで、赤、黄色、薄みどりが渾然として美しいですね。

Imgp4662 ヒュッテの屋上から北穂を望んだシーン。涸沢小屋との間のカールの底のテント村にベースを置き、夏になると合宿を実施していました。
真正面の南稜から北穂の山頂付近まで登り、滝谷を数100m下ってから滝谷の岸壁を登ったのですが初めてのチャレンジが15歳の夏。その後何年かの間にこれを何度も繰り返していたのです。
もうとてもロッククライミングはできません。それどころか、北穂への毎日のアプローチすらこなせそうもありません。
そういえばわけがあって、上高地から北穂小屋へのボッカをしたことがありました。20貫目近い荷を背負ってあのテッペンまで登ったのですから、まさに驚異的。そんなこんなで足がめり込んでしまい、短足になってしまったのかもしれません。

Imgp4665 この日もテント村が展開されていました。今では環境も整い、ヒュッテでは無料で水の補給ができますし、トイレも使用できます。便利になりました。

Imgp46682 涸沢で、否、世界中でもっとも美しいのではといわれる涸沢パノラマコースの紅葉。ちょっとややこしいのですが、先ほど紹介した明日の下山予定コースのパノラマコースとは同じ名称ですが、こちらは涸沢カールの中にあるコース。何年か前の紅葉の写真で賞を撮った人があったとのことで、プロやアマチュアのフォトグラファーが大勢、シャッターを切っていました。
今回、年取ったタハラッチは重い一眼レフの携行を断念。使い古したコンデジだけを携行しましたが、バッテリーが残り少なくなってしまいました。
写真のできはお粗末ですがともかくみごと。一年でもっともいい日に、もっともいい場所に来られた幸せを噛み締めました。

ここからの登りがたいへん。カールのガレ場が途方もなく続きます。涸沢小屋との分岐を過ぎ、ザイテングラードまで踏み跡が果てしなく伸びているのです。
陽射しは強烈。真夏のクールドライの半袖ポロシャツでも暑いくらい。すれ違う人たちのほとんどがダウンを着てるのが不思議でなりません。

いよいよザイテングラードに達しました。もうわずかかなと思ったのが大きな間違い。鎖場や梯子、フィックスロープなどが点在し、岩場が延々と続いているのです。
半世紀前には飛び跳ねるように上り下りしていたのですが・・・。

デジカメのバッテリーが不安になり、また岩場の登りに苦労したため、穂高岳山荘、すなわち奥穂の小屋までの写真はありません。

Imgp4672 小屋にザックを預け、空身になって奥穂の山頂へと向うと、またまた絶壁の鎖場と梯子。これは記憶通りでしたが頂上までこんなに距離があったとは・・・。
やがてかっこいい岩稜が見えてきました。西穂へ連なる途中にあるジャンダルム。ここにもロッククライミングのルートがあるのですが、残念ながらタハラッチは登ったことがありません。でもいつみてもすばらしい景色です。

Imgp4679 この社が我が国第3位を誇る奥穂高岳の山頂。真夏には登山者でごった返しているのですが、この日は人がいません。たまたま居合わせた方と写真の撮りっこができました。ラッキーですね。
左手には槍ヶ岳が写っていますが、ここにいる間ほとんどは雲の中でした。

Imgp4681 ザイテングラードの下りから見た前穂の北尾根。その昔、炭酸ソーダのCMに登場していたので馴染みのある方もいると思います。午後4時近くになっているので、前穂のテッペンには雲がかかってきました。さすが午後になると風が冷たいので、タハラッチもジャケットを羽織って涸沢小屋へと急ぎました。

横尾から涸沢ヒュッテまでは標準タイムが3時間30分のところ3時間。ヒュッテから白出しコルまでは3時間のところ30分弱の超過。奥穂山頂までの往復はほぼ標準で、ザイテンから涸沢小屋までの下りも同様でした。
この下りかなりきつかったのですが、小屋に辿り着いてみるとほぼ標準タイム。途中の休憩時間をたっぷり取ったため、通常の山小屋に入る時刻を30分ほど超過してしまいましたが、年の割りに、そして普段山歩きをしていないのにうまく歩ききったような気がします。

でもこの山小屋の中には腰を下ろして休めるスペースがほとんどありません。割り当てられたベッドは布団1枚に枕が2個。ここに10人が肩を並べて寝させようというのですから、休めるわけはありません。
おまけに宿泊者への水も有料で、顔を洗う水もバケツから茶碗で掬って使うシステム。皆さん、歯磨きには持参したペットボトルの水を使っています。

夕食は17時の組と45分遅れのグループの2組に分かれていて、食卓には42人分の椅子が並べられています。
タハラッチは遅組でしたが、飯を口に入れた途端、食欲が減退。椀に盛った飯はほとんど、おかずの大半も残してしまいました。
飯の炊き具合がよくなかったのが最大の原因かと思われますが、昼食に満足なものを食べなかったのと、標高1,600+840=2,440mを11時間で強行したのと、久しぶりの3,000m超の高度などがも原因に挙げられるかもしれません。

食後、デッキに出て空を見上げると今日も星空。明日もよい天気が期待できそうです。

期待を胸に窮屈な寝床にもぐりこむと、その狭さに業を煮やした相客が小屋に談判。半数が隣の空き部屋に移動しましたので1枚の布団に一人ずつ、ゆったり休むことができました。
考えてみれば食事をした客の数や、靴箱の空き具合で小屋の収容限度に達していないのは明白でした。
小屋番は東京にいるオーナーの了解が得られていないので黙認するとのことでしたが、空き部屋があるのに超満員状態で寝床を使わせようとする姿勢には疑問を感じた次第です。

ゆったりしていても夜中はちっとも寒くなかったのが不思議。暑がりのタハラッチは途中で目が覚め、下着とブリーフだけになって朝を迎えてしまいました。


奥穂高岳と涸沢の紅葉12.10.11~

2012-10-13 23:10:54 | 旅行記

Imgp4669 これ以上ないというくらい最高の日和に恵まれ、まさに真っ盛りという紅葉の見ごろを堪能してきました。

Imgp4614 07:30新宿発のバスは談合坂と諏訪湖のSAで休憩を取りながら上高地を目指しました。乗客は32名。運よく2列シートに一人で座れたうえ、平日のため、沢渡での乗り換えなし。快適でした。

Imgp4619 12:15の定刻よりほんの少し早めの到着。岳沢上部にはガスがかかっていて奥穂から前穂にかけての吊り尾根稜線は見えません。木々も紅葉には程遠く、最盛期でしたらあふれているはずの河童橋の観光客もまばらでした。
でも涸沢は紅葉しているはず。はやる気持ちを抑えながら歩み始めます。

Imgp4625 昔の吉城屋は明神館になっていました。明神岳を眺めながら昼食。この辺りまでは観光客の散策コースになっているようです。
下山してくる登山者のザックはカバーが掛けられています。先ほど見上げた吊り尾根はガスっていましたから上は雨だったのでしょう。でもここから見上げる空からは雨粒が落ちてくる気配は微塵もありません。
タハラッチは真夏の半袖のTシャツ1枚なのに汗びっしょり。登山者の中にはレインギアを着ている人が多かったのでビックリしています。

Imgp4633 徳沢キャンプ場では1本だけ真っ赤に紅葉していました。

Imgp4639 懐かしい屏風岩の絶壁が見えてくると横尾はもうすぐです。
陽射しの降り注いでいる岸壁にモンシロチョウが飛んでいました。

Imgp4640 初日は横尾山荘泊まり。最近建て替えられたのでしょう。山小屋とは思えないほどきれいで、風呂も快適。ロゴ入りのタオルもくれました。ただし山の中ですから石鹸やシャンプーは使えません。トイレもウォシュレットこそありませんが清潔。広めの2段ベッドの上段がねぐらとなりました。

Imgp4642 夕食もなかなかのもの。飯、味噌汁、お茶はお代わり自由。飯の炊き具合もよくて味もそこそこ。きれいに食べ尽くしました。

夕食後、外に出ると満天の星空。50年前、この前でキャンプをしたときの降るような星空には及びませんが、ほかの人たちは感激していました。
たぶんタハラッチの目が悪くなっているので、星の数が少なかったのかもしれません。
ときおり稲光が光ってたので、写真マニアはがっかりしていましたよ。