いやぁ参りました。
舳会のサイトの更新が、突如できなくなりました。
編集している最中に、文字入力がまったくできなくなりました。
HPBだけじゃなく、WordもブログもGoogleの検索も何もかもダメなんです。
再起動したらこれは解決。
サイトの編集をしていつもの表紙を転送しようとしたらここでストップ。どうにもなりません。
今日は頭もボーッとしていますので、これで幕引きということにし、シャワーを浴びて寝ることにします。
しっかり休んで明日の朝から心機一転。頑張ろうと思います。
ということで今夜はこれでおやすみなさい。
小名浜に初ガツオが水揚げされたとのこと。昨年よりはるかに多い100トンも獲れたそうですが、型は小振り主体だったとのことです。
藺難波や御蔵島海域でも、キワダに交じって姿を見せています。
いよいよ夏の到来という気配が漂ってきました。
それにしても今年の梅雨の訪れはかなり早そう。梅雨となればアナゴと相場が決まっていたようなものですが、こちらはかなりムラがありそう。
まぁもともと、ワザがものをいう釣り物ですから仕方ありませんが、名人級と一般の釣り人との釣果の差があまりにも大きいですね。
でもこれから本格的になっていく感じ。
雨に打たれても、ぶっといアナゴが釣れ盛ってくれたら、梅雨アナゴ冥利ってものですね。
梅雨だというのに、東京湾ではマダコの乗合が始まりますね。
照りダコって言って、照りゴチと並んで夏のターゲット。
もっともどちらも梅雨なんかものともしないので、季節感がなんだか薄らいでしまったようです。
待ちに待ったチャンスが到来したので、前泊日帰りの日程でロッド&リールを携え、電車釣行を実施。
せっかく名人にお出ましいただいたにもかかわらず、何とも悲惨な潮の流れに翻弄されました。
でも苦戦したときにはそれなりの取材ができるもの。
簡単に数釣りができるときには目にすることもできないワザを、垣間見たような感じがします。
H名人、お疲れさまでした。
そして悶々と投入を繰り返したキンメ釣りの取材、ありがとうございました。
その翌日は、これまた夜行日帰りで山へ行き、大好きな高山蝶、クモマツマキとの出逢いを画策している強硬日程。せっかくのチャンスですから、78歳の老体に鞭打ってでも敢行しなければなりません。
貧果の中で持ち帰ったキンメ・ムツ・パンダメバルの三尾。これらをないがしろにはできません。
きちんとさばいて、刺身は三種盛り、ムツキンのカブトは煮付け、そして半身はどちらも塩焼きで美味しくいただきました。
海から山へのそれぞれ夜行日帰りの連チャン。年相応におとなしくしていなさいというのがカミさんの勧めですが、思い立ったが百年目、岩をも穿つ固い信念を貫き通しました。
最近はどういうわけか、筋肉痛には見舞われません。
年老いて神経が耄碌し、感覚が鈍くなってしまったのでしょう。
翌日もその次の日も、足腰はちっとも痛くなりません。
その代わり、夜中に足が攣るのです。
対策はツムラの68、芍薬甘草湯の漢方薬の世話になっています。
きっかけは南アルプス北岳と仙丈ヶ岳の谷あいにある野呂川上流の山小屋、両股小屋の伝説的な名物小屋番、星美知子さんから頂戴したこの薬。いまでは頼もしい伴侶となっています。
どこが伝説的な小屋番なのかって。
女性の歳を取り上げるのはちょっと…なんですが、タハラッチより少し若い1950年生まれ。
両股小屋を訪れた41人に嵐が襲いかかった時、彼らを適切に退避させて命の危険から守っただけでなく、その嵐の到来する寸前には17名の高校生もキャンプサイトから避難させたという女傑なんです。
早稲田のOGで出版社勤務の経歴にものを言わせ、「41人の嵐」を桂木優のペンネームで出版しています。
タハラッチはひところ、野呂川流域のクモマツマキに惚れ込み、何度となく両股小屋を利用しました。
星さんが小屋番として山に入るのは例年6月上旬。
その少し前が発生のピークですから、避難小屋として開放されていたこの小屋を無料で利用させてもらいました。
避難小屋対応とはいえ、実質的には素泊まりと同じ。
寝具、燃料は使い放題のうえ、ときには酒やコメなどの食料品まで、ドウコ缶の中に入っていて、自由に利用できたのです。
タハラッチはクモツキの採集、星さんは歩荷で小屋の荷揚げ。
たまたま野呂川林道で出くわして以来、発生の遅い年には食事付きの宿泊でも世話になり、ツムラの68を分けてもらったという間柄になったのです。
その後、山梨県でも高山蝶の採集が禁止となったため、タハラッチが野呂川林道を訪れる機会は霧散してしまいましたが、70代になった星さんは今でも現役とのこと。
お互い、身体に気をつけながらもう少し、頑張っていきたいものですね。
追記
2019年の自然災害の影響で、周辺林道などがかなりの被害を受けたようです。
その後復旧が進んだと思われますが、その結果、避難小屋としての利用は従来通りまったく問題なく可能ですが、やむを得ない状況時以外は、両股小屋を山行計画に組み込むことは避けてください、
ということになったようです。
万一の場合は躊躇することなく利用してくださいね。
ということでタハラッチがこの両股小屋で体験した貴重な日々は、再現不能な思い出となってしまったようです。楽しかったな。美知子さん、ありがとう。