yasminn

ナビゲーターは魂だ

甲本 ヒロト           歩くチブより

2011-02-13 | 甲本ヒロト
     全身恥部   


     全身恥部   
   

 
    身体の 一部が 恥部じゃない


    私は 全部 恥部なんだ



  ネガチブ  ポジチブ  ネイチブ  プリミチブ



  根が恥部    葉が恥部     実が恥部    きゃぁ

 
  
    全身恥部   全身恥部   歩くチブ      

サンドロ ペンナ

2011-02-09 | 

  ぐっすりと ねむったまま 生きたい


    人生の やさしい 騒音に かこまれて

                         
                       須賀 敦子訳




  Io vorrei vivere addormentato

entro il dolce rumore della vita.

                       

三富 朽葉 (みとみ きゅうよう 〈くちは〉)       私は

2011-02-08 | 

    私は   蹲(うずくま)つてゐる、


   身震ひを  する度毎


   犬の  頸輪に  鈴が鳴る、


   冷たい風が  飛んで來て


   輕輕と   藁を  運んでゆく、
 

    犬も    藁の群も   私も、


    微白(うすしろ)い  日光に  刺されて


   風の  まはりに  投げ出されて


   藁の  行方に   魅入られてゐる。


金子 みすゞ       わらい

2011-02-06 | 
 それは    きれいな  ばらいろ で


 けしつぶ よりか   ちいさくて



 こぼれて つちに おちた とき



 ぱっと  はなびが はじけるように


 
 おおきな はなが  ひらくのよ





 もしも  なみだが こぼれるように

 
 こんな わらいが こぼれたら


 どんなに  どんなに  きれいでしょう

金子 光晴        寂しさの歌  

2011-02-01 | 
   
国家は すべての 冷酷な怪物のうち、 もっとも 冷酷なものと おもはれる。


それは 冷たい顔で 欺く。 欺瞞は その口から 這ひ出る。「我国家は民衆である。」 と。 
   
                             ニーチェ 『ツァラトゥストラはかく語る。』


        一


どっから しみ出してくるんだ。 寂しさのやつは。  


夕ぐれに 咲き出たやうな、 あの 女の肌からか。


あの おもざし からか。 うしろ影 からか。



糸のように ほそぼそした こころ からか。


その こころを いざなふ


いかにも はかなげな 風物 からか。



月光。  ほのかな 障子明かり からか。


ほね立った 畳を 走る  枯葉 からか。



その 寂しさは、僕らの せすぢに 這ひ込み、


しっ気や、かびのように  しらないまに


心を くさらせ、 膚に しみ出してくる。




金で うられ、 金で かはれる 女の 寂しさだ。


がつがつした そだちの みなしごの 寂しさだ。



それが みすぎだと おもってるやつの、


おのれを もたない、 形代(かたしろ)だけが ゆれうごいてゐる 寂しさだ。


もとより 人は、土器(かわらけ)だ、という。


 
十粒ばかりの 洗米を のせた皿。


鼠よもぎのあいだに 捨てられた 欠皿。




寂しさは、そのへんから 立ちのぼる。


「無」に かへる 生の 傍ら から、


うらばかり よむ 習ひの さぐりあう こゝろと こゝろ から。




ふるぼけて 黄ろくなつた ものから、 褪せゆく ものから、


たとえば 気むづかしい 姑めいた 家憲から、



すこしづつ、 すこしづつ、


寂しさは 目に見えず ひろがる。



襖や 壁の 雨もりの ように。 涙じみの ように。




寂しさは、目をしばしばやらせる 落ち葉炊く けぶり。


ひそひそと流れる 水のながれ。


らくばくとしてゆく 季節のうつりかわり、 枝のさゆらぎ


石の言葉、 老けゆく 草の穂。  すぎゆく すべてだ。





しらかれた 萱菅(かやすげ)の


丈なす群れを おし倒して、


つめたい 落日の


鰯雲。




寂しさは、 今夜も 宿を もとめて、


とぼとぼと あるく。




夜もすがら 山鳴りを きゝつつ、


ひとり、肘を枕にして、


地酒の徳利をふる音に、 ふと、


別れてきた子の 泣声をきく。



         二


寂しさに 蔽われた この国土の、 ふかい 霧のなかから、


僕は うまれた。



山の いたゞき、 峡間を消し、


湖のうへに とぶ霧が


五十年の 僕の こしかたと、


ゆく末とを とざしている。




あとから、あとから 湧きあがり、 閉ざす 雲煙とともに、


この国では、


さびしさ だけが いつも新鮮だ。




この 寂しさのなかから 人生のほろ甘さを しがみとり、


それを よりどころにして 僕らは 詩を 書いたものだ。




この 寂しさの はてに 僕らが ながめる。  桔梗紫苑。


こぼれかかる 霧もろとも、 しだれかかり、 手おるがまゝな 女たち。


あきらめの はてに 咲く 日陰草。




口紅に のこる にがさ、 粉黛(ふんたい)の やつれ。 ――その寂しさの奥に僕はきく。


衰えはやい 女の宿命のくらさから、 きこえてくる 常念仏を。


……鼻紙に包んだ 一にぎりの黒髪。 ――その髪でつないだ 太い毛づな。



この寂しさを ふしづけた「吉原筏。」


この寂しさを 象眼した 百目砲。




東も西も 海で囲まれて、 這い出す すきもない この国の人たちは、 自らをとじこめ、


この国こそ まず 朝日のさす国と、信じこんだ。




爪楊枝を けずるように、 細々と 良心を とがらせて、


しなやかな 仮名文字につゞる もののあはれ。 


寂しさに 千度洗われて、 目もあざやかな 歌枕。




象潟(きさがた)や 鳰(にお)の海。


羽箒(はぼうき)で ゑがいた 志賀の さゞなみ。


鳥海、羽黒の 雲に つき入る 峯々、


錫杖(しゃくじょう)の あとに湧出た 奇瑞(きずい)の湯。



遠山がすみ、 山ざくら、  蒔絵螺鈿(らでん)の 秋の虫づくし。



この国に みだれ咲く 花の 友禅もやう。



うつくしいものは 惜しむひまなく うつりゆくと、 詠嘆を こめて、



いまになお、自然の寂しさを、 詩に 小説に  書きつづる人々。



ほんとうに 君の言うとおり、 寂しさこそ この国土着の 悲しい宿命で、


寂しさより他 なにものこさない 無一物。




だが、寂しさの後は 貧困。 水田から、うかばれない 百姓ぐらしの ながい伝統から


無知と あきらめと、卑屈から 寂しさは ひろがるのだ。




あゝ、しかし、僕の寂しさは、


こんな国に 僕がうまれあはせたことだ。



この国で育ち、友を作り、


朝は味噌汁に ふきのたう、


夕食は、筍の さんせうあへの


はげた塗膳に 坐ることだ。



そして、やがて老、 祖先からうけた この寂寥を、


子らにゆづり、


櫁(しきみ)の葉のかげに、 眠りにゆくこと。




そして 僕が死んだあと、 五年、十年、百年と、


永恆の 末の末までも 寂しさがつゞき、



地のそこ、 海のまはり、 列島の はてからはてかけて、


十重に 二十重に 雲霧をこめ、


たちまち、しぐれ、 たちまち、はれ、


うつろひやすい ときのまの 雲の岐れに、


いつも みずみずしい 山や 水の 傷心おもうとき、


僕は、茫然とする。    僕の力は なえしぼむ。




僕は その寂しさを、決して、この国の ふるめかしい 風物のなかから ひろひ出したのではない。


洋服をきて、巻きたばこをふかし、 西洋の思想を 口にする人達のなかにも そっくり同じように ながめるのだ。



よりあひの席でも 喫茶店でも、友と話してゐるときでも 断髪の小娘とおどりながらでも、


あの寂しさが 人人のからだから 湿気のように大きくしみだし、 人人のうしろに 影をひき、


さら、さら、さらさら と音を立て、あたりにひろがり、あたりにこめて、 永恆から永恆へ、


ながれはしるのを きいた。



            三


かつて あの寂しさを 軽蔑し、 毛嫌ひしながらも 僕は、わが身の一部として ひそかに 執着していた。


潮来節を。  うらぶれた ながしの水調子を。


廓うらの そばあんどんと、 しっぽくの 湯気を。


立廻り、いなか役者の 狂信徒に似た 吊上がった眼つき。


万人が戻ってくる 茶漬の味、 風流。  神信心。




どの家にもある 糞壺の にほいをつけた人たちが、 僕のまわりを ゆきかうている。


その人達にとって、 どうせ 僕も一人なのだが。



僕の坐る むこうの椅子で、 珈琲を前に、


僕のよんでる 同じ夕刊を その人たちもよむ。




小学校では、おなじ字を 教わった。 僕らは 互いに 日本人だったので、


日本人であるより 幸はない と教えられた。


(それは結構なことだ。 が、少々僕らは 正直すぎる。)




僕らのうへには 同じように、万世一系の 天皇 がいます。



ああ、なにから なにまで、いやになるほど こまごまと、 僕らは 互いに にていることか。


膚のいろから、眼つきから、人情から、潔癖から、


僕らの命が お互ひに 僕らのものでない 空無からも、なんと大きな寂しさが ふきあげ、天まで ふきなびいていることか。




           四


遂に この 寂しい精神の うぶすなたちが、 戦争を もってきたんだ。


君達の せゐじゃない。 僕のせゐでは 勿論ない。 みんな寂しさが なせるわざなんだ。



寂しさが 銃をかつがせ、 寂しさの 釣出しにあって、 旗のなびく方へ、


母や妻を ふりすててまで 出発したのだ。



かざり職人も、洗濯屋も、手代たちも、学生も、


風にそよぐ 民くさになって。




誰も彼も、区別はない。 死ねばいゝと 教へられたのだ。



ちんぴらで、小心で、好人物な人人は、「天皇」の名で、目先まっくらになって、 腕白のように よろこびさわいで 出ていった。



だが、銃後では びくびくもので


あすの 白羽の箭(や)を 怖れ、


懐疑と 不安を むりにおしのけ、


どうせ助からぬ、せめて 今日一日を、


ふるまひ酒で 酔ってすごさうとする。




エゴイズムと、愛情の浅さ。


黙々として 忍び、 乞食のように、


つながって 配給をまつ 女たち。



日に日に かなしげになってゆく 人人の表情から


国をかたむけた 民族の運命の


これほど さしせまった、ふかい寂しさを 僕はまだ、 生まれてから みたことは なかったのだ。



しかし、もうどうでもいい。       僕にとって、そんな寂しさなんか、今はなんでもない。





僕、    僕がいま、  ほんたうに寂しがっている 寂しさは、


この零落の方向とは反対に、


ひとり ふみとゞまって、 寂しさの 根元を がつきと つきとめようとして、 


世界といっしょに 歩いてゐる 


たった一人の 意欲も 僕のまわりに感じられない、 そのことだ。    



そのことだけなのだ。