東京へは観劇の為に行ったわけであるが、その合間を縫って今回訪ねた町が、JR中央線の御茶ノ水駅を降り立った神田。
かつて町人たちが多く暮らし、時代劇の銭形平次でも知られる町である。
また、それだけでなく、近代学問発祥の町でもあり、江戸時代に旗本や藩士の子弟が学び、やがて明治になって東京大学へと発展してゆく昌平坂学問所もこの地にあった。
駅を降りると直ぐに目に入るのが、江戸時代にその学問のシンボル的存在である湯島聖堂である。
初代尾張藩主徳川義直が朱子学の先駆者である林羅山に作らせ、元は上野にあったが火事で焼失し、それを五代将軍徳川綱吉が今の地に移して再建している。
朱子学とは、儒教を取り入れた当時の武士が学んだ学問である。
現在の建物は、関東大震災によって再び焼失したものを昭和10年にコンクリート造りによって再建したものである。
門を潜れば巨大な孔子の像が迎えてくれる。
そして更に奥へと入ってゆくと、また大きな門を1つ2つと潜り、正殿である大成殿がある。
大成殿もその庭もかなりの大きさであり、大成殿の中にも孔子の像が座っている。
この湯島聖堂に来ただけで、何となく賢くなった様な気分に陥ってしまった。
その後、大成殿の横から外に出て大通りを渡ると、下町の江戸っ子に愛された神田神社の鳥居があり、そこから神田神社へ向かった。
神田神社は天平時代の創建で歴史も古く、現在の建物は関東大震災で焼失したものをコンクリート造りで再建したものであり、大平洋戦争の際の東京大空襲の折りにも難を逃れている。
また、この神社の祭りである神田祭は、東京三大祭りの1つに数えられ、2年に一度盛大に執り行われている。
この神田神社…
元は現在の大手町にある将門塚にあった事から、平将門とも縁が深い。
この日は湯島聖堂と神田神社…
近代的な大都会の中にも古き良いものを今に伝えている東京…
僕はやはり、そんな東京が好きである。
かつて町人たちが多く暮らし、時代劇の銭形平次でも知られる町である。
また、それだけでなく、近代学問発祥の町でもあり、江戸時代に旗本や藩士の子弟が学び、やがて明治になって東京大学へと発展してゆく昌平坂学問所もこの地にあった。
駅を降りると直ぐに目に入るのが、江戸時代にその学問のシンボル的存在である湯島聖堂である。
初代尾張藩主徳川義直が朱子学の先駆者である林羅山に作らせ、元は上野にあったが火事で焼失し、それを五代将軍徳川綱吉が今の地に移して再建している。
朱子学とは、儒教を取り入れた当時の武士が学んだ学問である。
現在の建物は、関東大震災によって再び焼失したものを昭和10年にコンクリート造りによって再建したものである。
門を潜れば巨大な孔子の像が迎えてくれる。
そして更に奥へと入ってゆくと、また大きな門を1つ2つと潜り、正殿である大成殿がある。
大成殿もその庭もかなりの大きさであり、大成殿の中にも孔子の像が座っている。
この湯島聖堂に来ただけで、何となく賢くなった様な気分に陥ってしまった。
その後、大成殿の横から外に出て大通りを渡ると、下町の江戸っ子に愛された神田神社の鳥居があり、そこから神田神社へ向かった。
神田神社は天平時代の創建で歴史も古く、現在の建物は関東大震災で焼失したものをコンクリート造りで再建したものであり、大平洋戦争の際の東京大空襲の折りにも難を逃れている。
また、この神社の祭りである神田祭は、東京三大祭りの1つに数えられ、2年に一度盛大に執り行われている。
この神田神社…
元は現在の大手町にある将門塚にあった事から、平将門とも縁が深い。
この日は湯島聖堂と神田神社…
近代的な大都会の中にも古き良いものを今に伝えている東京…
僕はやはり、そんな東京が好きである。