Shirakuのモノローグ

矢坂芝楽の日々あれこれを綴ります

彦根城下をゆく2(宗安寺)

2015-07-15 22:34:50 | 旅日記(県内)
彦根城の京橋御門から伸びる大手前通りは、現在はキャッスルロードと呼ばれ、日々観光客で賑わっている。

その通りに「宗安寺」という浄土宗の寺がある。
彦根城下に数ある寺の中では、おそらく一番知られている寺であろう。


元は群馬県にあった寺だが、戦国時代には荒廃していたのを井伊直政が再興し、その後井伊直政の居城が変わる度にそちらへ移され、最終的に彦根に移築されたと伝わっている。

僕がこの宗安寺を訪れたのは、今年のまだ梅の花が咲く春先であった。

彦根に住んで10年ほどが経つが、宗安寺を訪れたのはこの時が初めてであった。
そしてその時まで、この寺がどういう寺なのかも知らなかったが、僕自身、驚く事が幾つかあった。

その1つが、大坂夏の陣で討死した豊臣方の武将木村重成公の首塚である。


夏の陣で木村隊と最後に戦ったのが井伊隊で、詳しくは省くが、討ち取られた重成公の首は首実検の後、持ち帰った井伊家臣に下げ渡され、その家臣の菩提寺である宗安寺に葬られたというのだ。

また、持ち帰る際に首をくるんだとされるススキは、宗安寺が以前あった佐和山で根付き、毎年赤く染まるので「血染めのススキ」と言われる様になったらしい。
やがてそのススキは枯れ死に近い状態となった為、宗安寺に転植したところ、生彩を取り戻したと言われている。

そしてこのススキは、近頃佐和山の麓にある井伊神社に再び移植され、すくすくと伸びている。

また、この寺の本尊は、大坂城落城の時に城から持ち帰ったもので、淀殿の念持仏だったと言われている。

大坂夏の陣に縁が深いと思えばそれだけでなく、石田三成とも縁が深い。

赤門と呼ばれるこの寺の山門は、佐和山城の大手門を移築したものであり、更に本堂には、テレビでも紹介されていたが、三成が戦の前に拝んでいた千体の仏像が収められている。
そして石田地蔵と呼ばれる地蔵尊。

とにもかくにも興味は尽きない。

本堂の裏には、小さいながらも綺麗に整備された庭園があり、梅が美しく花を咲かせていた。


この宗安寺、江戸時代には朝鮮通信使の宿館にもなっており、赤門の横にある黒門は、その時の勝手口である。
そして、ここから朝鮮通信使が通った道を朝鮮人街道と言われているが、いずれその道も辿ってみたいと思う。