Shirakuのモノローグ

矢坂芝楽の日々あれこれを綴ります

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

築地市場再び

2018-05-29 23:40:39 | 日記
東京での2日目。

初日の金曜日は友人宅に泊めて頂きました。
で、その翌日の2日目は、採れたての美味い魚を食べたくて早朝から築地市場に行きました。

この日は土曜日でありながら開場の日でありまして、観光客で賑わっておりました。

2年前になりますが、当時築地市場が豊洲に移転すると決まっておったものですから、その姿を見ておきたいと訪れました。が、豊洲移転の話が一旦凍結され、現在も市場は築地にあります。
しかしまた、豊洲への移転が決まりました。
私にとっては、今回は本当に見納めかも知れません。

さて、朝食を食べに訪れたわけでありますが、早朝であるにも関わらず、既に鮨屋は外国人によって長蛇の列。
まあ、鮨屋はこれまでに何度も入っているので、私たち3人は煮魚や焼き魚がある「和食 かとう」というお店に入りました。



それで、私が注文したのは“銀だらの西京焼き定食”。



銀だらの西京焼きは居酒屋なんかでもよく注文しますが、さすがは築地。ものが違う。
切身が大きい上にやわらかい。
「こんな銀だら、食べた事がない」というぐらい美味でございました。
一般的な定食屋に比べるとお値段は割高ですが、それだけの価値はありました。

満足度100%で店を後にし、場内にあります水神社の鳥居を今回初めてくぐりました。



この地は明治維新後に海軍用地となり、日本海軍発祥の地とされています。



関東大震災によって日本橋の魚河岸が築地に移された時、築地市場は当時の建築技術を駆使して建てられた近代的な建築物でした。

築地は明治維新後における日本の近代化を見てきた場所でもあります。その歴史が終わりを告げるというのは何とも寂しいものでございます。



話は変わりますが、この東京2日目の昼、更に2人と合流しまして、5人で「怪談 牡丹燈籠」観劇の為に新宿の紀伊國屋サザンシアターへと向かったのでありました。
その事はまた次の機会に書きたいと思います。
コメント

荏原町にて

2018-05-28 21:24:31 | 日記
本日も東京での事を書かせて頂きます。

観劇が目的の今回の東京行きでありましたが、その初日であります金曜日は旧東海道を品川宿から川崎宿まで歩きました。
で、その後、先のりしていた友人と荏原町に暮らしている友人に合流する為、荏原町へと向かいました。

この日は荏原町の友人宅に宿泊させて頂く事になっておりました。

荏原町に着きますと、先ずは友人宅近くにある「新生湯」という銭湯でひとっ風呂。



温泉ではありませんが、天然地下水によるお風呂で、炭酸風呂にジェットバス、そしてサウナも完備しております。
また、洞窟を模した露天風呂もございまして、こちらには割りと長く浸かっておりました。
極楽湯ほど大きくはないのですが、のんびりと浸かってリラックスさせて頂きました。

そして夕食は、「海鮮 まぐろ丸」という居酒屋へ。
このお店、以前は「魚鉄食堂」という名前で営業していたお店で、荏原町で宿泊した折には必ずと言っていいほど訪れております。



屋号は変わってもメニューは殆んど変わってなく、どデカイ餃子もどデカイコロッケも健在でございました。
もちろん魚の美味しさも以前のままで、いつもの如く、この日も満足して店を後にしました。



こうして、今年3度目となる東京初日の夜は更けていったのでございます。
コメント

東海道をゆく3(品川宿~川崎宿)

2018-05-27 21:28:58 | 旅日記(県外)
良い天気が続いております。

金曜日から東京へ行っておりまして、本日先程帰ってきたところであります。

今回の目的は観劇でありましたが、当然それだけで終わらさないのが私でございます。
という事で、初日の金曜日は旧東海道を歩いてきました。

今年の3月に日本橋から品川宿の北品川まで歩き、品川宿の北品川から新馬場までは昨年の6月に既に歩いておるものですから、今回は新馬場からスタート致しました。
時刻は午前11時20分。



品川橋に差しかかると、昨年歩いた時に訪れた荏原神社が橋の向こうに見えました。



歩いておりますと、街道沿いには、まあとにかく寺が多く、全て寄っていたのではきりがない。そこで、ピンポイントで限定して寄ってきました。

東京六地蔵の1つであります品川寺。



平蔵地蔵という名の由来となった悲しき物語が伝わる海雲寺。



岩倉具視公のお墓がある海晏寺。が、岩倉具視公のお墓を見つける事は出来ませんでした。



別名涙橋と呼ばれる浜川橋に差しかかりますと、その近くには黒船来航の折りに土佐藩が警備を行った浜川砲台があったようで、坂本龍馬も警備の任に就いていたという事です。



そして、いよいよ品川宿を後にしようとするその場所は、江戸時代に罪人の処刑を行った鈴ヶ森の刑場跡。



この地で多くの罪人が串刺しや火炙りによって処刑されたのだと思うと、何となく切ない思いを感じました。

さて、そこから旧街道は第1京浜沿いになりまして、川崎の手前である六郷までひたすら歩く事になりました。
この間は、日陰のない炎天下の中で、ちとキツかったです。

で、源頼朝公に所縁のある六郷神社を過ぎて多摩川を渡りますと神奈川県に入りまして、旧宿場町の川崎宿です。



そして、人の賑わう駅前を通る旧街道を歩き、今回のゴールとしていた京急川崎駅に辿り着きました。
時刻は午後3時10分。

次はいつになるか分かりませんが、川崎宿から神奈川宿を目指す事になります。
そろそろ東海道を首都圏から西へ向かうのは限界かも知れません。
コメント

「牡丹燈籠」を楽しむ会

2018-05-23 23:00:00 | ひこね演劇鑑賞会
先日5月12日の土曜日に、次回例会作品「怪談 牡丹燈籠」の魅力を知ろう会が開催されました。
この日の事はこのblogでも報告させて頂きましたが、この日に参加出来なかった会員さんからの要求がございまして、その方たちの為に急遽この日の講演を録画させて頂きましたDVDの上映会を行う事が決まりました。

題して“「牡丹燈籠」を楽しむ会”です。



“魅力を知ろう会”には、当然ある程度のネタバレも含めてお話されておられますが、演劇鑑賞会は単にお芝居を観る為だけの会ではなく、“新劇”による演劇文化を日本人の中で日常化して、この後の時代までその文化を繋いでいこうという目的も持ってございます。
なので、その仲間をお誘いしていく上で、例会作品の中身を知って語っていく事も大事なのでございます。

ヨーロッパの国々では事実演劇が人々の日常的な文化となっておりまして、役者などそれを担う人間を国を挙げて養成したりしております。

で、「新劇」という言葉を前述致しましたが、その事についてはまた何れ書きたいと思います。

話が逸れてしまったので元に戻しましょう。

今回の「牡丹燈籠」を楽しむ会は、運営サークル外からの要求に幹事会が調整し、そこに運営サークルが協力して行う事になりました。
会員自らの要求に幹事会やその時の運営サークルが応えていくのも、鑑賞運動を進めていく上で重要でもあります。

第1回目は17日に既に行われましたが、第2回目が29日(火)の14時からと19時から行われます。

魅力を知ろう会に来られなかった会員さんは、ぜひともこの日にご参加下さい。
コメント

「怪談 牡丹燈籠」第5回運サ

2018-05-22 22:31:18 | ひこね演劇鑑賞会
「怪談 牡丹燈籠」の運サ会議も本日で5回目となりました。
通常なら5回目というと例会直前で、当日の最終確認を行う会議となります。
が、今回の運営サークルでは8回を予定しておりまして、当日までまだ約1ヶ月あります。
特にこの2週間は「魅力を知ろう会」があったり、代表者会議があったりする中で運サ会議も行っておるものですから、何かと頻繁に顔を合わせております。
なので、自然と「頑張らなきゃ」との意識が運サ内で高まっている様に思います。



ただ、集まる機会が多すぎて、それぞれの声かけがおろそかになっているかと心配もしておりましたが、なんのなんの。
今日も新入会の報せがありまして、現在新入会者数6名です。
前例会クリアまで、あと7名。
残り1ヶ月、精一杯声かけをしていきたいと思います。
私自身、中々とお誘い出来ておりませんが。

で、今日の運サ会議はと申しますと、昼の部は相変わらず参加者数が多かった様です。
平日の昼間は仕事の為、参加出来ない私は夜の部の参加になりましたが、本日も事務所で一人……
またフラれてしまいました。

ですが、それで良いのです。
会員自らが賑やかな場所へ結集して、4回の予定を3回2回で済ます方が嬉しいわけであります。

例会当日までに一度で良いので、運サメンバー全てを結集してみたいと思います。
バーベキューでもして。

まあ、運サの担当幹事はそれぞれ忙しなくしておるにも関わらず、会員自身は忙しない中でも精力的に動いてくれておりまして、運サそのものは機能して活動は進んでいる様に感じる今日この頃でございます。

さて、私の所属する“劇団すずまる”でも、7年前か8年前になりますが「怪談 牡丹燈籠」を上演致しておりまして、その時に東京の谷中へ三遊亭円朝さんの墓参りをしました。
今回、その資料の1つにもなればと、その時に撮った円朝さんのお墓の写真を引っ張り出してきてプリントアウトしました。



その写真をカメラで撮る……

何か妙な感じです。
コメント