台風が過ぎ去ったかと思えば、また台風です。嫌になります。
今日は雨が降る中、朝から近畿演鑑連の総会で大阪へ行っておりました。
総会は午後4時過ぎに終了し、その後で懇親会があったのですが、若干体調も良くなかったので、そちらは僕は不参加とさせて頂きました。
そのまま帰ろうかと最寄の駅に行きまして、ふと周辺地図を見ますと、そこには「大阪砲兵工廠跡」の文字が…
「大阪砲兵工廠」は明治時代に大阪城敷地内に造られた軍事兵器工場でありまして、当時はかなりの規模で、兵器だけでなく、水道管や国産第1号の車もこの工廠で作られたと聞きました。
少し前、深夜のTV番組で関西の文化遺産として紹介されておりまして、まぁ、軍事工場が文化遺産という矛盾を感じつつも、明治期に建てられた建築物が大好きな僕にとっては、見てみたいと気になっておりました。
それが近くにあれば行かなければなるまいと、雨が降る中、大阪城方面へと歩きました。
残っているのはその一部だけでございますが、既に廃屋と化していながらも、明治期の建築物の特徴である赤レンガで造られたその建物を見るとテンションが上がってしまいました。
仕事での疲れも吹っ飛び、もうそれを見ただけで身も心もリフレッシュされました。
その反対側にある堀の向こうには大阪城の天守が見え、そちらへは何度か行ったものの散策したい気持ちになりましたが、天候や時間の都合もあってそちらは我慢。
大阪城へは、またゆっくりと訪れたいと思います。
今日は雨が降る中、朝から近畿演鑑連の総会で大阪へ行っておりました。
総会は午後4時過ぎに終了し、その後で懇親会があったのですが、若干体調も良くなかったので、そちらは僕は不参加とさせて頂きました。
そのまま帰ろうかと最寄の駅に行きまして、ふと周辺地図を見ますと、そこには「大阪砲兵工廠跡」の文字が…
「大阪砲兵工廠」は明治時代に大阪城敷地内に造られた軍事兵器工場でありまして、当時はかなりの規模で、兵器だけでなく、水道管や国産第1号の車もこの工廠で作られたと聞きました。
少し前、深夜のTV番組で関西の文化遺産として紹介されておりまして、まぁ、軍事工場が文化遺産という矛盾を感じつつも、明治期に建てられた建築物が大好きな僕にとっては、見てみたいと気になっておりました。
それが近くにあれば行かなければなるまいと、雨が降る中、大阪城方面へと歩きました。
残っているのはその一部だけでございますが、既に廃屋と化していながらも、明治期の建築物の特徴である赤レンガで造られたその建物を見るとテンションが上がってしまいました。
仕事での疲れも吹っ飛び、もうそれを見ただけで身も心もリフレッシュされました。
その反対側にある堀の向こうには大阪城の天守が見え、そちらへは何度か行ったものの散策したい気持ちになりましたが、天候や時間の都合もあってそちらは我慢。
大阪城へは、またゆっくりと訪れたいと思います。