「ベルばらブーム沸騰!その頃、レビュー界は・・・」0へえ!
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熱烈レビュー党(←そんなんあるのか!・・・ないです・・・。)のわたくしとしましては、やはり最後は「レビュー」の記事で締めくくらねばなりますまい。
ベルばらブームが沸騰していた、その頃レビュー業界は・・・。
・・・ああっ。幻聴がっ。幻の「レビュー党」党員から声が聞こえるーーーっ。
「んなの、わざわざ書かれなくてもわかってるっつーの!レビューは衰退の一途だったに決まってるでしょーーーーーーーーッ!!」
ああああっ。いたたたたっ。石が飛んできた、石がっっ。石を投げないでくださ~い!(←幻覚)
わたしだってわかってますよう。だから今日は史上初の「0へえ」にしてあるでしょ(泣)
では、悲しく資料を読んでみましょう。1982年(昭和57年)年10月24日の読売新聞です。
「論点」という記事で、演劇評論家の河上英一様がレビューについて論じておられます。日劇、SKD、宝塚と順に語って、最後にレビュー界展望(願望?)。完全に「東京の」レビュー事情です。宝塚の話題も、東京宝塚劇場の話をしとるんでしょう。
華やかなレビューの衰退は世界的な傾向だといわれるが、日本の宝塚歌劇団、松竹歌劇団(SKD)、日劇ダンシングチーム(NDT)なども同様の運命をたどるのだろうか。
わが国で最も新しいNDTは昭和十年、日本劇場で映画の合間のステージ・ショーという形で旗揚げしたが、十九年三月から高級娯楽場閉鎖命令で休場したあと終戦の年の十一月に再開した時には踊り子はわずか二十数人だった。そこで山本紫朗プロデューサーは、競争相手の大阪松竹少女歌劇(OSK)から秋月恵美子や芦原千津子、東京松竹から川路竜子、小月冴子らを借り出した。
もともと日劇ショーは外部から借りてくる有名歌手を中心に構成していたので、敵側からの出演者にもさほど抵抗を感じなかったのかもしれない。いや、逆にOSK無名の京マチ子が「七面鳥ブギ」を踊って一躍有名になり、大映入社したのが刺激剤になってダンス技術が向上したといえる。
二十六年の「ジャングルの女王」が毎日一万人の観客を一週間動員して日劇の興行記録をうちたてたのをバネにして山本プロデュースが続く四十五年まで、最盛期のNDTは宝塚とSKDは女性だけなのに男性を加入させ、併せて二百八十人を数え、近江ツヤ子、西川純代、鹿島とも子らをスターにした。そして春、夏、秋のいわゆる三大踊りが評判を呼び、中でも民族舞踊をアレンジした群舞が圧倒的な迫力で、外国舞踊に依存度が高い宝塚やSKDにはないレビューの魅力を生み出した。
下線は生意気娘Kによる
※川路「竜子」の表記は原文のままです。ホントは「龍子」じゃなかったっけ。
NDTの歴史と特徴を、すっごくわかりやすくまとめてありますねえ。
いまさらにしみじみ思うに、NDTって東宝系だけれども、なんかちょっと毛色がちがいますよね。小林一三色が薄いよね。NDTを作った秦さんと一三先生は折り合いが悪かったとかいう噂(あくまで「噂」だとものの本に書いてありました。ホントかどうかは謎。)を思い出しちゃいますね。
記事はこのあと、日劇がなくなってNDTが解散したことに触れ、つぎにSKDの話にうつります。ちょうどこの記事が書かれた昭和57年春に、浅草の国際劇場が閉鎖になっていて、夏の歌舞伎座公演ではトップスターの春日宏美はじめ十人の退団があり、9月にはさらに六人が退団。
武藤哲団長は一月のサンシャイン劇場を皮切りに来年は少なくとも都内四劇場公演を予定、渋谷・西部劇場やジァンジァンへの進出も交渉中で、国際最終公演での「シシリアの恋」につづきミュージカルや「銀河鉄道999」のようなスペース・ダンス・プレーにも方向を見つけたい、と語るが、フランチャイズ劇場の確保こそ急務に思われる。
レビュー党の方には周知の事実ですが、SKDはこの後1990年にレビューを完全に捨て、休止(訓練)期間をもうけて、ミュージカル劇団になろうとするんだけれども、1996年に完全解散に至ります。SKD、「銀河鉄道999」とかやってるんですよ。999は第二弾もやってるはず。
で、ここから宝塚の話です。
そこへゆくと、依然約四百人の女性演技者をかかえ、東京で年六回公演をする宝塚歌劇団は、一応安定しているかにみえる。数年前には「ベルサイユのばら」が何十年ぶりかのヅカ・ブームをもたらした。しかし、私にいわせればこれとて、池田理代子原作の劇画がもつ物語性がヅカ・ファン以外の子女の嗜好にマッチして劇場へ駆り立てたにすぎず、レビュー人気とはまったく無縁に思われる。
七十余年の伝統を誇る宝塚歌劇は兵庫県にある本拠地の宝塚大劇場で現在四十五日間興行を行っている。かつてきらびやかでたのしいレビューを作った白井鐵造はじめ製作スタッフは健在だが、阪急電鉄本社から出向している歌劇団首脳部がレビュー製作に歯止めをかけているフシが認められ、それがかえって赤字決算を呼んでいるのではなかろうか。
ベルばらでの宝塚人気は、「レビュー人気とはまったく無縁に思われる」。まったくその通りですな。宝塚の「レビュー時代」は、ベルばらとともに終わったんですよね。というかこの時点で、宝塚を「レビュー劇団のひとつ」という認識でいるヒトって、ちょっと少数派かつオールドだったんじゃあ・・・。
「レビュー製作に歯止めをかけているフシが認められ、それがかえって赤字決算を呼んでいるのではなかろうか。」。こ、これって「レビューを上演しないことで、かえって人気は凋落するぞ(レビューをどんどんやったほうがいい)」って意味ですよね?
そ、それはどうかなあっ。これは「レビューファン」の願望だよねえ。
記事はまだ続く。ここからは涙なしには読めませんっっ。
さて、レビュー再興の曙光(しょうこう)を記してしめくくろう。レビュー不滅を信ずる山本紫朗の話だが、最近懸用二を中心に日劇黄金時代の振付者たちが結集して仕事への情熱を確認したというし、また春日宏美のSKD退団を機に朝丘雪路の主唱で〝レビューをなくさない会〟を発足させる動きもある。製作者側はやる気満々なのだ。
超大型の日劇や国際劇場がなくとも、収容人員八百人程度の劇場さえあればレビュー興行は可能で、さる八月には新宿にシアター・アプルが開場、新宿三越劇場の新設も予定されている。あとは経営首脳陣に膨大な製作費をかける積極性があるか否かにかかるといえそうだ。こんな不況時にこそレビューの存在は絶対必要だと私は願うのだが、どんなものであろうか。
・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・。
どーですか、レビュー党のみなさま??(←幻に話しかけるなっ)
とりあえずわたしは思った。
「不況時こそレビューだ!という勧誘文句は、もう使うのヤメよう・・・!」
と思ったのであった(遠い目)
「不況時こそレビュー」、レビュー業界ではよく言われるキャッチフレーズですよね。わたしはドコで覚えたんだったかな・・・。忘れた・・・。けど、「そーだそーだ。暗い世の中にこそ、明るいレビューが必要だ。共感共感!」って思って、わたしもコレ、ずっと使ってたセリフだったんですが・・・。
(↑わたしがテンション上がって勝手にレビューを語りだすと、このキャッチフレーズが出てくるぞ。)
ああ・・・。こうやって「不況時こそレビュー」と唱える評論を客観的に見ると・・・なんてなんて悲しいんだ。衰退を背負った業界の切実さがあまりにも強烈。
それでも、当時はまだ「不況時こそレビュー」とか「レビュー界の曙光」なんて気炎を上げられるだけのエネルギーが残ってたんだ、とも言うことはできますな。だって今なんて、レビュー界のキャッチフレーズは「レビューの灯を消してはいけない」でしょ。事態は悪化しておる・・・。
だめだっ。「不況時こそレビュー」というコトバでは、今の世の人々の歓心は買えないわっっ。わたしは拳を握りしめつつ決意した。
何か新しいキャッチフレーズを考えなければっ!
ここはひとつ世間ウケを狙ってイマ風に、愛とか夢とか感動とか!
・・・・・・・・・。
・・・うわっ。それって宝塚歌劇団が提唱するキイワードぢゃん。(宝塚ってちゃっかり商売上手だ・・・)
えーっと。レビューを売り出すキャッチフレーズは、また考えときます。(←誰も頼んでいない。業界の人間でもないくせに・・・)
今日で終わりの予定だったんだけど、ごめん、少しだけはみだしてしまった・・・。あと一本あります。明日でホントに終わります。
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だって、
>どーですか、レビュー党のみなさま??
って。(←自意識過剰なヤツ)
今までいろいろと、『ベルばら』をキーワードとして思い出した、私の昔話をコメントに書かせていただいて、
自分でも、当時のことを振りかえり、手持ちのコレクショングッズなんかも引っ張り出して、
ベルばら前の、“宝塚の冬の時代”についても考えてみる、
とてもいい機会を与えてくれはったKさんに感謝しております。
繰り返しますけど、“冬”で5万人ってどーなの?!
ま、それだけの規模の会社・劇団だからこそ、当たれは、こんなにブームになる、ってことでしょうかね。
私は、『週刊マーガレット』に連載中からの劇画の『ベルばら』ファンで、
TVの月組初演『ベルばら』を観て、タカラヅカそのものに興味を持ったものの、
初めて観劇して、一発堕ちした汀夏子さまトップの作品は、ミュージカル・コメディ『ムッシュ・パピヨン』という、ラテンものです。
(この作品は大劇場のみの上演で、東上していません)
で、小学生でしたので、原作の『ベルばら』とタカラヅカの『ベルばら』では、オスカルという人物像が違っている、
ってことなんて、まったく気が付きませんでした。
今回、こちらの連載記事を拝見して、
「あー、そういえば、そうだよなー」てな感じ。目からウロコが落ちまくり。
ウロコ拾って掃除してやってください、Kさま(←嘘。うそでっせ)。
私にとって、タカラヅカの『ベルばら』と原作の『ベルばら』は、別物です。
原作は、アントワネットが主役。タカラヅカはオスカルとアンドレが主役(フェルゼン・アントワネット編は、一度も観劇していないので)。
…って、これも、最初に買った花組のレコードを聞き過ぎて、刷り込まれちゃったからなんですが(汗)。
自分でも、そこんとこ、冷静に判断できひんなー。
後に、私はロココのヲタクとなっていき、その筋の友だちから、
「タカラヅカの『ベルばら』は、時代考証がなっとらん!」
という指摘を受けますが、その頃の私は、レビュー(ショー)大好きっ子に出来上がってますから、
「んなもん、タカラヅカでやるんだから、どーちゅーこと、あらへんわ」
と、さらりと聞き流しました。
ちなみに、私が傾斜していったロココとは、ルイ14世時代、ポンパドゥール夫人がヴェルサイユの実権を握っていた頃です。
タカラヅカで上演された『アンジェリック』の頃です。
あー、そういえば、そのヲタ友は、やっぱりタカラヅカもちょくちょく観ていて、
「『アンジェリック』の方が時代考証も正確だし、原作も好きだわ」
って言ってました。
何より、ヲタ的には、“ヘ”に濁点ではなく、“ウ”に濁点打って後ろにちっちゃい“ェ”で表記されないことに引っかかり抱くわけです。
こーれーぞ、トリビア(笑)。
で、また話が逸れましたが、『ムッシュ・パピヨン』で
私は、プロローグで電飾チカチカの、ど派手な舞台、サンバのリズムに乗って、大階段を歌いながらおりてくる、
という、のっけからのレビュー攻撃にヤラれちまったのでありました。
私は、映画の『ベルばら』もアニメの『ベルばら』も、他の団体が公演した『ベルばら』も
(当時は学園祭とかでも演じられるほどの人気)全く興味がありませんでした。
な ぜ な ら、
フィナーレにレビューが付いてないから。
私は、ベルばらパートⅡに洗脳されていますし、
以前、こちらにも書かせていただいたように、台風でパートⅢの“オスカル4人分身の術”は観ることが叶いませんでした。
それで、ナマで観劇した『ベルばら』は、汀夏子さまが退団されるムラの公演と東京公演の間にあった、
最後の地方公演の『ベルばら』が初めてなのです。
もう、その頃には、すっかりレビュー(ショー)の虜になっちまってます。
そして、幸か不幸か、杜けあきアンドレ・一路真輝オスカルの「アンドレとオスカル編」が雪組で再演され、観劇しまくりました。
東京へも遠征しました。
星組から特出の紫苑ゆうさまのフェルゼンを目当てに(爆)。(←ミーハーですから、許してねん)
今だったら、フランス革命でオスカルが死んじゃった後、ガラスの馬車に乗ったアンドレが迎えにくるなんて、
じょーだんじゃねーよっ
てな感じの知識を得てしまったので、脚本に攻撃的になってしまいますが、
そんなこと、思いも付かない年齢で、タカラヅカ版のベルばらにどっぷり浸かってますから、
小公子が歌い始めるともう、「これから始まるでー。レビューやでー」
と、テンションが上がるわけです。
フランス国歌をアレンジしたラインダンスで、もう最高に舞い上がる。
その後、オスカルとアンドレじゃない格好の二人が、あの喜多弘先生振付のボ・レ・ロ。
最後はシャンシャン持った銀橋パレード。
で、幕が降りる寸前まで、(たとえ3階席で、だーれもあたしのことなんか目に入ってなくても)
舞台上の生徒さんたちに(勝手に)手を振りまくるのが、お・き・ま・り(笑)。
タカラヅカが、『ベルばら』のフィナーレにレビューを付けたことで、
(私を含めて)それまでレビューを観たことのなかった人々に、
「こーゆーのが、レビューなんだよ」
って、紹介できたことは、とても良かったと思います。
で、『ベルばら』だけ観にきてサヨナラした人もいたけど、
あのブームの後も、残ってヅカファンになった人が多かったのが、昭和ベルばらの頃の世相にマッチしてたってことでしょうか、ね。
蛇足ですが。
私がヅカファン時代、一番好きだったのは、小原先生の『オールマン・リバー』というショーでした。
同時上演の、柴田先生の『朝霧に消えた人』も、日本物のいいお芝居でしたし、
何より、プロローグで、汀夏子さまの元禄若衆姿、上原まりさまとの吉原の花魁とのやりとりを踊りにした箇所で既に、
“掴みはOK!”状態になったもんです。
『オールマン・リバー』は、題名だけ聞くと、黒塗りか?と思われるかもしれませんが、そうではなく、
ジャズの歴史を紹介していく、アメリカーンなショーでした。
何が斬新って、フィナーレはシャンシャンではなく、全員タンパリンを叩きながら、大階段を降りてくるんですよ。
衣装は、白地に黒のアクセント(って書くと、ホルスタインを想像しましね? あーなーた・笑)。
大劇場、1979年の夏の公演でした。
ここ最近の怒涛のようなコメントの嵐に、あっけにとられておりました。
イヤー。凄いですね。やっぱり「ベルばら現象」って凄かったのですね。
ベルばら原作は、上演が決まって読み、本来が劇画ファンではなかったので、読みながらも宝塚の舞台を頭に置いて読んでいましたから、矛盾点も何もなし。
私が、20代初めの頃で、ベルばらが一段落した頃には、結婚して、宝塚から遠ざかりました。それこそ、贔屓と共に「風と共に去りぬ」を地でいきました。
1971年ごろ当時は、結婚・出産という現実を生きていて、宝塚への夢は一度消えましたね。
ベルばらは、安奈淳さんのオスカルしか観ていません。でも、当時でも、気恥ずかしくてまともに見ていなかったかも。ただただ「男装の麗人」に憧れていただけかも。水穂葉子(字、合ってる?)さん達のお笑いの場面もシラケテ見てたし、意外に冷静でした。
(これは、私個人の性格にも依るのでしょうね。)
やっぱり、池田先生の原作人気におぶさってましたよね。で、そもそもが「男装の麗人」プラス「壮大な歴史ロマン」が人気の出発点でしょ。宝塚でヒットしないわけが無いと思ってきました。
でも、今では、「べるバラ」=「ザッツ宝塚」ではなくなっていると思うんですよ。
今のヅカファンが望む宝塚の姿って何なのでしょうね。。。。宝塚自体がそれを模索中???
あら、話がそれましたね。すみません。苦笑。
おおっ。いらっしゃいましたね、レビュー党サマ!!(←そんな党ないから・・・)
>で、小学生でしたので、原作の『ベルばら』とタカラヅカの『ベルばら』では、オスカルという人物像が違っている、
ってことなんて、まったく気が付きませんでした。
そういうものですかねえー。
ベルばらといえば、「原作とはちがう!何が?特にオスカル!!」みたいな話になるじゃないですか~。今の世ですと。
けっきょく、再演が繰り返されて、宝塚ファンのあいだでは、やや飽きられて(・・・・・・。)きた宝塚ベルばらに、ブーム時のような魔法がきいてない冷静なファンが総ツッコミ!!っていうのが、今の状況なんですかねえー。ブームの渦中ですと、案外、そういうところは気にならないし、そういう意見があってもオモテに出にくいってことなのかもしれませんね。
>何より、ヲタ的には、“ヘ”に濁点ではなく、“ウ”に濁点打って後ろにちっちゃい“ェ”で表記されないことに引っかかり抱くわけです。
あはははは(笑)
そーですよね。今の時代ならぜったい「ヴェルサイユのばら」になってたでしょうね。
「アンジェリク」、小説すごく長ーいあれですよね。せっせと古書で集めた(でも全部は集まってない・・)のが、ダンボールの奥底にあるはず・・・。ドジ様の漫画にくらべて、ジョフレがずいぶん皮肉めいた物言いのニュアンスだったんで、「ほおお」と思いましたよ。
なるほど~。あれってロココFAN的には、ベルばらよりポイント高いんですね!(笑)
>もう、その頃には、すっかりレビュー(ショー)の虜になっちまってます。
うおおおお!!うれしい貴重な体験談!!
ベルばらって、けっきょく「レビューの愉しみ」なんじゃないの、ってことを、わたし高木先生が当時お書きになった記事読んでフト思って、今日UPした最終回の記事にそれが書いてあるんですよー!
>タカラヅカが、『ベルばら』のフィナーレにレビューを付けたことで、
(私を含めて)それまでレビューを観たことのなかった人々に、「こーゆーのが、レビューなんだよ」
って、紹介できたことは、とても良かったと思います。
まさにそれですよね!!
けっきょく、キイワードは「レビュー」なんですよねっ!レビュー最高!!(←読んでて興奮してきました)
>『オールマン・リバー』は、題名だけ聞くと、黒塗りか?と思われるかもしれませんが、そうではなく、
ジャズの歴史を紹介していく、アメリカーンなショーでした。
わーっ。ジャズの歴史ですか??ジャズで踊るレビューって、すっごくすっごく楽しいですよね!「シングシングシング」なんか、「何千回使われてるんだ~!?今年何回目だ~!?」とか思いつつ、聞けばテンション上がって、毎回「好きな場面」ベスト入りします。
面白そうなショーですねえ。ホルスタイン柄ですかあ。(←違)
1979年・・・わたし、一歳にもなってませんがな(涙)
あああ、スカイステージとかに入れば、ちょろっとでも放映してくれたりするんでしょうか・・・。
ホントですよね。
ちょっと想像以上でした。まあ、宝塚に興味ゼロのわたしの母ですら「ベルサイユのばらって流行ってねえ、テレビでやってたわよ」なんてコメントが出てくるぐらいですもんねえ。
世間に記憶を残しまくる大ブームだったんですね!
だからこんなにちょくちょく再演して、それがまたお客さんでいっぱいになるんですね・・・。すごいですねえ、ベルばらー。
>水穂葉子(字、合ってる?)さん達のお笑いの場面もシラケテ見てたし、意外に冷静でした。
ああ~。そうなんですか。
あのギャグ、「古い」なんて意見もありますけど、古いとか新しいとか関係なく、ああいうのは「のれる・のれない」がハッキリわかれるものなんですね。
(昔は一様にウケたのかもーなんて思ってましたけど・汗)
わたしは今でもウケてしまっています・・・。NHKで水穂さんのを見たときにも、テレビの前で爆笑してました。劇場でも大笑いです・汗汗
「笑い」は個人の資質なんですね。
>でも、今では、「べるバラ」=「ザッツ宝塚」ではなくなっていると思うんですよ。
今のヅカファンが望む宝塚の姿って何なのでしょうね。。。。宝塚自体がそれを模索中???
そうですよねえ。宝塚ファンじゃない、一般の人からすると、いまだに「ベルばら=宝塚」ってところ、あるんでしょうけれど。
宝塚ファンはもう、ベルばらのようなものは望んでませんよね。じゃあ何を望んでいるかというと・・・難しい問題ですよね・・・。
宝塚歌劇団は、層によって異なる様々な「要望」にこたえるために、バランスよく「いろんな宝塚」を出してきているように見えるんです。絶妙だなーと。
ファンが発信している「要望」ってあいまいで感覚的なものだし、作り手側も試行錯誤でしょうねえ。