etceterakoの勝手にエトセトラ

「生意気娘Kの勝手にエトセトラ」は改題いたしました。カテゴリ「ブログ改題について」をご覧ください。

「あきれたぼういずの川田義雄は、新宿ムーランルージュのレヴューで大目玉!?」71へえ!

2009年04月12日 | レヴューのトリビア


「あきれたぼういずの川田義雄は、新宿ムーランルージュのレヴューで大目玉!?」
71へえ!

「東宝」(昭和16年5月号)より

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 「東宝」って雑誌を、古書店でみっけて買ったんですが・・・文字通り東宝の機関誌??あれか・・・名古屋で出てた「東宝レポート」の東京版かな。東京っぽい内容ばっかしだもんな。名古屋の「東宝レポート」より、圧倒的に分厚くてリッパです。

 伊馬鵜平とゆーお人が、「あきれたぼういず」(昔の浅草で鳴らしたコミック・ショウ集団?)で活躍した川田義雄さんの思い出を語っているんですが、

川田義雄の速射砲的独白ー赤風車の思い出よりー

 ってタイトルになってて、「赤風車」ってことはアレですよ。インテリが通ったという新宿のムーランルージュのレヴューですね!

 水守三郎という人が、ムーランルージュの文芸部長(島村龍三)や経営者(佐々木千里)に、「この人、歌もいけます」っつって、川田を推薦したんだそうです。

 で、「じゃあ、テストのつもりで一場面」って、出してみたんだけど、この川田さんが機関銃みたいにアドリブをしゃべりまくった!
 例まで書いてある。

例)
●台本
秘書 お早うございます。
社長 やあ、お早う
秘書 早速でございますが○○氏よりのお電話の用件を申し上げませうですか?

●川田アドリブ版
秘書 (おや、社長の奴やっと来やがったぞ。フン眠い目をしてやがる・・・社長)お早うございます。
社長 やあ、お早う
秘書 (なにがお早うなもんか。昨夜はさんざんあの妓にふられやがったくせに。ちゃんとネタはあがってるんだ。・・・アノ)早速でございますが○○氏よりのお電話の用件を申し上げませうですか?(フン、それどころじゃあるまい。昨夜は眠れず頭はガンガンだろうからな。ヘッヘッ。・・・アノ社長、申し上げませうですか?)


 カッコの中は、ぜーーーーんぶアドリブなワケです。で、ムーランルージュの制作サイドは「茫然自失」。

 けっきょく、社長役だった役者が、

「君、君、よけいなセリフをしゃべると警察へ引っぱって行かれるぜ!新宿はやかましいんだからな!」

 って言って、川田は「あ、そうですか。しゃべっちゃいかんのですか・・・」でおさめたらしい。

 どういう背景があるかとゆーと、要するにそういうのは「浅草ふう」なんですね。で、社長役だった役者さんも、そーゆーの得意だしやりたいのはヤマヤマなんだけども、「ここは新宿だ」と。レヴューを浅草の「いんちきレヴュウ」から、「純粋演劇形式」(それがのちの「新喜劇」だとこの人は言ってます)へ高めるために、新宿で頑張ってるんだぞ、ということですね。そこにヒョコッと現れた川田さんは、あまりにも浅草ふうだったと。

 この文章のいう「レヴュウ」は、笑えるヴァラエティ・ショーってニュアンスです。歌って踊るだけじゃないんだね。少女歌劇がやってた歌踊りの華やかなレビューより、浅草の軽演劇が直接のルーツなんでしょうな。

 で、ムーランルージュに合わなかった川田義雄さんは、ムーランルージュはそれっきりで、浅草の「花月劇場」(東京吉本の劇場なのかな)で頭角を現しましたとさ。

 「浅草ふうを脱する」っていうことが、ひとつの命題になるぐらい、当時の浅草のパワー(「いんちき」も含めてのエネルギー)はスゴかったんだね。

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タカラヅカの歌劇とレビューとミュージカル

2008年12月21日 | レヴューのトリビア

 わたしは宝塚イズムに書かせていただいてる文章で、意図的に切り分けして使っている言葉があるんですよ。(ブログではいい加減だけど。)

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・タカラヅカらしい→タカラヅカのお嬢様で上品でポワッとした雰囲気を指す

・宝塚レビューらしい→パリのレビューに起源を持ち、白井鐵造の趣味を土台に発展した独特の「宝塚レビュー」を指す(「レビューらしい」とは書かない。)

・宝塚歌劇→タカラヅカの芝居は、小林一三がみずから脚本書いたり批評したりの「一創作」としての側面を持つと同時に、西洋志向のレビュー技術導入で独自の発展を遂げた「歌劇」である、とゆー解釈。敢えて「歌劇」とゆージャンル名を前に出したい。

・宝塚ミュージカルレビュー以後の西洋文化、「ミュージカル」を志向する舞台。

・宝塚ショー→宝塚レビューから派生した、現代的なダンス舞台。レビューの要素はあるが、レビューではない。

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 まあ、全部ひっくるめて「タカラヅカらしい」って言っちゃってもイイんだけど、宝塚歌劇団のヒット作の傾向と発展の歴史を見るとね・・・90年のあいだに、いろんな要素が絡まってきてるじゃんね。それをひと口に「タカラヅカらしい」って言い切っちゃうと、本質が見えにくいな、と思ったんですな。

 わたしが宝塚を知っていく過程で、タカラヅカのいろんな面が見えて「え?ええっ!?いったいタカラヅカって何!?」ってとまどったのは、長くてそれなりに複雑な歴史を、「タカラヅカらしい」っていうおおざっぱなコトバで括ろうとしてたからなんだな・・・と今にして思うのであります。

 上の切り分けは、ほっとんどが宝塚歌劇の製作現場の方たち・・・つまり歴代の演出家の方々のインタビューやら文章やらに教えてもらったものです。「宝塚ミュージカル」は、植田しんじ先生だ。最初は「???歌劇とは違うの??」って思ったんだけど、よくよく考えて脳内で整理してみると・・・たしかに何となく「宝塚ミュージカル」っていうジャンルがあるの、わかるようになってしまった。なんか、「ミュージカルへのあこがれ」みたいなものがあった時期っていうのが、どうやら日本にはあったんですね、昭和の時代に。レビューは「モンパリ」以後、がんがん日本で上演されて流行って、つぎには先進的な若者のあいだで「ミュージカル」というものが興味を持たれた時代が、たぶんあったのだろうなあ。植田しんじ先生は、この時代を知ってる人なんですよねえ。植田先生の著書、「宝塚、わがタカラヅカ」には、ミュージカル黎明期の話がちょろっと出てきてましたもんねえ。

 ミュージカルに関する書籍も、古書店で出くわしていくつか買ってあるので、面白いネタはそのうち「トリビア」でお目にかけたいと思います。

 今日はボンヤリと、演出家の先生たちを、「タカラヅカ作品」のどのジャンルを志向しているのか、わたしの感性で切り分けてみます。

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・「宝塚歌劇」志向
 柴田先生 石田先生 木村先生

・「宝塚レビュー」志向
 酒井先生 岡田先生 草野先生

・「宝塚ミュージカル」志向
 正塚先生 小池先生 植田景子先生

・「宝塚ショー」志向
 藤井先生 斉藤先生 荻田先生

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 わたしの基準では「宝塚歌劇」と「宝塚ミュージカル」のちがいは、レビューの影響を受けているかどうか、です。歌劇は、もともとは「ドンブラコ」から始まって創作モノに連なる、「フツーの芝居」にルーツがありつつ、レビュー時代を経て、レビューでショーアップしたのがミソだと思う。

 「宝塚ミュージカル」は、西洋ですでに完成された「ミュージカル」っていう枠組みを直接目指しているモノだと思う。ミュージカルはもともと、レビューから派生したんだけど、宝塚歌劇団はこの時期を同時代的に創ってきてるんですよ。西洋で「物語のあるレビュー」としてミュージカルが興った時代に、自分とこで試行錯誤してミュージカルっぽいもの・・・レビューの華やかさを生かした劇として「歌劇」を発展させた、と。「ミュージカル」というお手本が完成しきってから、本格的にミュージカルを目指した世代が登場したのが「宝塚ミュージカル」なんじゃないかなあ。

 植田景子先生は、いちおー「ミュージカル」の括りに入れたけど、タカラヅカらしさをひたすら追求するための作品作りという点では、括りにくい・・・。ココでいいのか悩む。
 木村先生は歌劇だと思います。人海戦術のスペクタクルとか、レビューに通じるものがあるし、ミュージカルにしては筋が単純で演出での見所重視だから。

 で、上には植田しんじ先生が入ってないワケです。
 わたしは、植田しんじ先生を切り分けしようと考えて、それで実はまたまた植田しんじ先生の評価が高くなってしまったのだ!

 植田しんじ先生は・・・レビュー時代を知る歌劇志向でありつつ、ミュージカルへの憧れを持っている! 

 要するにレビューからミュージカルへ、っていう時代の分岐点にいた人で、分岐点としての多面的な魅力を持っている作風なんだな。「イイとこどり」なんだよねっ。タカラヅカがレビュー衰退期にベルばらで「ミュージカルっぽい路線」として世間に認知され直すキッカケに、植田先生が関わっていたのは、自然といえば自然なのだな・・・。そんで「ミュージカルっぽい」から転じてレビューの風味がない歌劇、「完全なミュージカル!」時代の幕開けは、小池先生のエリザですね。

 そしてわたしは思うのであった。
 最近、タカラヅカで人気があるとされる作品って、要するに「ミュージカル志向」なんだよね。逆にレビュー時代の名残を残す歌劇志向作品は・・・「タカラヅカらしい」とは言われるけど評判は・・・・・・・。レビューってやっぱり古・・・人気・・・むにゃむにゃ(自粛)。

 しかし生意気娘Kの嗜好というのは、要するにレビューの香りがする歌劇なのであった。このあたりが、世間の嗜好とのズレだったのか・・・。要するにわたしは、とにかく圧倒的にレビューが好き!なんだなぁ・・・。


「モンパリの主題歌は、別名「サ・セ・東京」!」90へえ!

2008年10月06日 | レヴューのトリビア

「モンパリの主題歌は、別名「サ・セ・東京」!」90へえ!

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 どしぇーーーっ。
 じ、じつは「銀ちゃんの恋」から帰って以来、蒲田行進曲を浴びるように聴き、ついでに昭和初期の歌謡曲を夢中になって漁っていたんですが・・・(イヤですねえ、マニア体質って。キモいキモい。)

 youtubeって便利よね。インターネットってスゴイよね。文明バンザイ!

 「サ・セ・東京」とゆー曲がyoutubeにあって、「まさかサ・セ・パリをそのまま東京に翻訳したんじゃあ(笑)」と何気なくクリックしてみたら・・・。流れてきたこのメロディは・・・「モン・パリ」じゃないかあーーーーっ!!

 まあ、あの時代の「ハイカラ」な文化って、だいたい外国のモノをそのまんま持ってきて、ムリな日本語詩つけて出すってスタイルだから(初期のレビューもそうですよね。宝塚のレビューも。外国の楽譜だなんだを、そのまんま持ち帰って使っていたという。)、モン・パリと同じ曲使った歌謡曲があったって、何も不思議はないんですが・・・。(「蒲田行進曲」も、もとは外国の曲で、歌詞ちがう別の歌謡曲があるみたいですね。)

 モン・パリと異名同曲があるって、これ有名な話??どなたか既に書いてらっしゃいましたっけ??わたし見落としてた??(自信がない)

 びっくりしたわあ。アドレスここです。↓再生画面ごとブログに貼り付けるのって、どーやってやるんだろうね??できないのでアドレス記述だけでゴメン。

http://jp.youtube.com/watch?v=4weE1_8d_1w

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中日新聞「この道」に日劇の話が出てきたよ

2008年06月02日 | レヴューのトリビア

 雨だねー。今週はずっと天気悪いんですよね??いやだなー。
 雨の日って、なんか頭が働かない・・・。

 というわけで、今日は頭を使わないで書ける話で~。(まあ、雑談の類です)

 中日新聞夕刊に「この道」っていうコーナーがあって、それは芸能人とか財界の人とか、有名だったりエライ人だったりが、みずからの半生を何十回もかけて語っていくっていう連載なんですよ。

 いま連載しているのが、宮城まり子さん(→ウィキペディアはココ)なんだけども、5月の最終週はちょーど日劇出演時代の話で、興味深く読んでました。毎日帰ると真っ先に夕刊の「この道」!っていう生活をしてしまった。

 一番具体的に日劇出演の話が出てきたのは連載41回(2008年5月22日)です。

 日劇ダンシングチームは、売り出し中の歌手とかスターとか使ってのショーも多かったっていう話だから、そういう公演のなかの一本なんだと思います。宮城まり子が目玉で出演した・・・のかな??(宮城さんの文章、あっちこっち話が飛んで、どうも要領を得ないんだよ~。わかりにくいんだよ~。)

・日劇のお稽古場は、「本三階」にあった。(翌23日に日劇稽古場の写真が載ったぞ。)
・振付は県洋二だった。
・歌も踊りもやらなきゃいけないので必死だった。
・初日の朝、山本紫朗が「おいで」といって、表の看板を見に連れて行ってくれた。
 そこには、
 日劇初出演宮城まり子
 暁テル子 池眞理子

 と書いてあって、宮城さんは感動した。
・曲は服部良一作曲「私のブギ」、宮城さんの弟が作った「やんちゃのブギ」。
・衣装は日劇から出ていたが、靴は自前だったので銀座のヨシノヤで頑張って銀色のハイヒールを買った。
大階段は24段で、4小節(5秒)で走り降りてマイクに着いて歌い始めなければならなかった。最初は怖くて、朝6時から駆け下りる稽古をしたりした。

 県洋二と山本紫朗は、NDTの話には絶対出てくるお二方ですね。(→ビギン・ザ・ビギン―日本ショウビジネス楽屋口 とゆー本を読むと、いっぱい出てきます。)

 この名前が出てくると、「おおおっ。たしかにNDTの話だああーーーっ」という感じがするよねえ。レビューアンテナ(←なんだそれは!)がビリビリ言いますな。

 宮城さんが語っているコレは、たぶん1950年代前半の話です。
 日劇の大階段は24段だったのか~。へえ~。5秒で降りるのはちょっと大変そうだよねえ。 


「宝塚ベルばらには、レビューのテクニックが生きている!」80へえ!

2008年05月21日 | レヴューのトリビア

「宝塚ベルばらには、レビューのテクニックが生きている!」80へえ!

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 「レビュー衰退 歯止めを」と題した、昨日紹介した河上氏の評論が書かれた翌年の昭和58年の年末に、白井鐵造先生が逝去します。宝塚歌劇団で「レビュー記念日」が制定されたのは昭和63年です。

 ベルばらで新規顧客をGETした宝塚歌劇団でも、「レビューの衰退」には危機感を抱いたからこそ、「レビュー記念日」制定なんだと思うわ。

 ベルばらがヒットした当時、高木史朗先生が週刊誌で「『タカラヅカ』の秘密」という短期連載を持っていたようで(誌名、年月日は不明)、その連載の第一回で、ベルばらについてこんなことを書いているのだ。

 古いオールド・ファンの中には、この作品には別に何も目新しいものも斬新なアイデアやテクニックもないといったり、昔の白井レビューや高木レビューの受けつぎだという人もいる。
 しかし私には、そういう『モン・パリ』以来受けつがれてきた宝塚の良さが、その伝統のテクニックが、この作品にはみごとに開花されていると思われる。


 下線は生意気娘Kによる。

 ベルばらは、レビュー時代の「受けつぎ」だと言うんですよ。
 けっきょく、タカラヅカの魅力の源泉は「レビューの技術だ」と言ってるんですね。

 なんかそれ、わかる!わかる気がする!

 植田しんじ先生ーって、書くモノは非常に日本的で、というのはアノお方自身が、たいへん日本的な価値観で生きているからだと思うんだけれども、その一方で植田先生は、たしかに「レビュー時代」をくぐってきた人で、ご本人も「レビュー」が好きなんだなあ~と、思うんですよね。

 であればこそ、
・2006年の雪ベルばらには「オープニング・ミニ・レビュー」がくっつけられ、
・今回のジェロ様編でも冒頭は華やかなレビュー風になっており、
・「パリの空の下で」にいたっては、ストーリーの時間を削りまくってでも冒頭にレビューが入った。

 わけですね。

 思えば、柴田作品でも多くの場合、冒頭にスターが役を象徴するような設定で、華やかに踊って顔見せする場面がもうけられています。あれは「レビュー時代」のタカラヅカに育った柴田先生が蓄えた、「レビュー発の歌劇」のテクニックなのだなあ。

 わたし、宝塚を見るようになるまで、「レビュー」という一般名詞、知らなかった気がする。「ショー」はわかるけど、「レビュー」はなかなか使わないよね。レビューという業界がある、ということも、夢にも知らなかったし。

 昭和63年に「レビュー記念日」が制定されて、すくなくとも一年に一度は、宝塚ファンは「レビュー」というモノを意識させられ、「モン・パリ」のお話を聞かされることになりました。強引な啓蒙だけれども、これって宝塚がいまなお、どんなに「レビューの伝統」を大切に思っているか、っていう現れだよね。若い演出家が増え、歌劇は変わっていくし、レビュー作家は減ってショー作家が増えていくし、でも「レビュー」の伝統は忘れちゃイカン、と。そういうことなんですよね。

 ベルばらは偉大です。偉大だけれども、そもそも「男装の麗人がにあう」「パリの香りたたえる」「ロマンティックな宝塚歌劇」のベースをつくったのは、白井先生の感性とレビュー時代なワケなんですねえ。ベルばらあっての「現代タカラヅカ」だとしても、まずはレビューがなければ、「少女歌劇」はひっそりとつぶれていただろうし、「颯爽とした男役」の伝統は生まれてなかったかもしれない。洋装短髪、女性観客を熱狂させる颯爽たる男役文化が花開いたのは、レビュー時代なんだもん。(くどいようですが、最初の短髪男役は、SSK(SKD)の水之江瀧子サマことターキーですよ。短髪に関しては、宝塚は後発なんですねえ。宝塚関連の本には、敢えてターキーに触れずに、宝塚の初期短髪スターを挙げてるものがあったりするけど。ターキー以前は、髪は団子にして帽子に隠してたんだそーです。女性の髪は長くあるべきだったんだね)

 まあ、この「ベルばらは伝統の宝塚レビューと変わらない」という説は、賛否両論あるでしょうけれども。
 ひとつ言えるのは、ベルばらで宝塚ブームが起き、新しいファンが流入して何が変わったかといえば、「レビューの伝統」が目に見えなくなった、ということなんじゃないでしょうか。歌劇も上演してましたけど、ずっと「レビュー」を目玉にやってて、有名演出家はレビュー作家たちで、ヒット作といえばレビューっていう状態だったから、宝塚は誰の目から見ても「レビュー業界」にカウントされてたのが、ベルばらっていう「歌劇」のウルトラヒットが出たことによって、周囲(とくに既存の宝塚ファン以外。新規ファン、マスコミ、一般人)の見方が変わっていったんじゃないですか。レビューじゃなくて、歌劇(ミュージカル)をやるとこだ、と。ショー「も」ついていて楽しいらしい、と。そののちになって、今よく言われるみたいに、「宝塚はショーがあるから、芝居で死んだキャラクター(スター)もニコニコ踊ってくれて、観客は安心して笑顔で帰れる」なんていう宝塚論が出てきたんでしょう。宝塚がショー(レビュー)をやるっていうのは、何も観客の芝居の悲しみをぬぐうサービス機能としてじゃなくて、ホントは当たり前のことなのにね。それ(レビュー)で出世してきた劇団なんだから。

 けっきょく、ベルばら以後はレビュー黄金期を知らない(「レビュー」という概念に意識的でない)少女たちが「宝塚ファン」の厚い層になってきたから、「レビュー記念日」が必要になったってことなんじゃないですかね。

 というわけで、本日でシリーズ「ベルばらの時代」は終わります。

 貴重資料をお貸しいただいたP様、あらためてありがとうございました!!
 ホントに面白い資料で、アドレナリン出まくりでしたー。

 一週間以上にわたり、長々と読んでいただきましてありがとうございました。

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「ベルばらブーム沸騰!そのころレビュー界は・・・」0へえ!

2008年05月20日 | レヴューのトリビア

 
「ベルばらブーム沸騰!その頃、レビュー界は・・・」0へえ!

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 熱烈レビュー党(←そんなんあるのか!・・・ないです・・・。)のわたくしとしましては、やはり最後は「レビュー」の記事で締めくくらねばなりますまい。

 ベルばらブームが沸騰していた、その頃レビュー業界は・・・。
 
・・・ああっ。幻聴がっ。幻の「レビュー党」党員から声が聞こえるーーーっ。

 「んなの、わざわざ書かれなくてもわかってるっつーの!レビューは衰退の一途だったに決まってるでしょーーーーーーーーッ!!」

 ああああっ。いたたたたっ。石が飛んできた、石がっっ。石を投げないでくださ~い!(←幻覚)
 わたしだってわかってますよう。だから今日は史上初の「0へえ」にしてあるでしょ(泣)

 では、悲しく資料を読んでみましょう。1982年(昭和57年)年10月24日の読売新聞です。
 「論点」という記事で、演劇評論家の河上英一様がレビューについて論じておられます。日劇、SKD、宝塚と順に語って、最後にレビュー界展望(願望?)。完全に「東京の」レビュー事情です。宝塚の話題も、東京宝塚劇場の話をしとるんでしょう。

 華やかなレビューの衰退は世界的な傾向だといわれるが、日本の宝塚歌劇団、松竹歌劇団(SKD)、日劇ダンシングチーム(NDT)なども同様の運命をたどるのだろうか。
 わが国で最も新しいNDTは昭和十年、日本劇場で映画の合間のステージ・ショーという形で旗揚げしたが、十九年三月から高級娯楽場閉鎖命令で休場したあと終戦の年の十一月に再開した時には踊り子はわずか二十数人だった。そこで山本紫朗プロデューサーは、競争相手の大阪松竹少女歌劇(OSK)から秋月恵美子や芦原千津子、東京松竹から川路竜子、小月冴子らを借り出した。
 もともと日劇ショーは外部から借りてくる有名歌手を中心に構成していたので、敵側からの出演者にもさほど抵抗を感じなかったのかもしれない。いや、逆にOSK無名の京マチ子が「七面鳥ブギ」を踊って一躍有名になり、大映入社したのが刺激剤になってダンス技術が向上したといえる。
 二十六年の「ジャングルの女王」が毎日一万人の観客を一週間動員して日劇の興行記録をうちたてたのをバネにして山本プロデュースが続く四十五年まで、最盛期のNDTは宝塚とSKDは女性だけなのに男性を加入させ、併せて二百八十人を数え、近江ツヤ子、西川純代、鹿島とも子らをスターにした。そして春、夏、秋のいわゆる三大踊りが評判を呼び、中でも民族舞踊をアレンジした群舞が圧倒的な迫力で、外国舞踊に依存度が高い宝塚やSKDにはないレビューの魅力を生み出した。

 下線は生意気娘Kによる
 ※川路「竜子」の表記は原文のままです。ホントは「龍子」じゃなかったっけ。

 NDTの歴史と特徴を、すっごくわかりやすくまとめてありますねえ。
 いまさらにしみじみ思うに、NDTって東宝系だけれども、なんかちょっと毛色がちがいますよね。小林一三色が薄いよね。NDTを作った秦さんと一三先生は折り合いが悪かったとかいう噂(あくまで「噂」だとものの本に書いてありました。ホントかどうかは謎。)を思い出しちゃいますね。

 記事はこのあと、日劇がなくなってNDTが解散したことに触れ、つぎにSKDの話にうつります。ちょうどこの記事が書かれた昭和57年春に、浅草の国際劇場が閉鎖になっていて、夏の歌舞伎座公演ではトップスターの春日宏美はじめ十人の退団があり、9月にはさらに六人が退団。

 武藤哲団長は一月のサンシャイン劇場を皮切りに来年は少なくとも都内四劇場公演を予定、渋谷・西部劇場やジァンジァンへの進出も交渉中で、国際最終公演での「シシリアの恋」につづきミュージカルや「銀河鉄道999」のようなスペース・ダンス・プレーにも方向を見つけたい、と語るが、フランチャイズ劇場の確保こそ急務に思われる。

 レビュー党の方には周知の事実ですが、SKDはこの後1990年にレビューを完全に捨て、休止(訓練)期間をもうけて、ミュージカル劇団になろうとするんだけれども、1996年に完全解散に至ります。SKD、「銀河鉄道999」とかやってるんですよ。999は第二弾もやってるはず。
 
 で、ここから宝塚の話です。

 そこへゆくと、依然約四百人の女性演技者をかかえ、東京で年六回公演をする宝塚歌劇団は、一応安定しているかにみえる。数年前には「ベルサイユのばら」が何十年ぶりかのヅカ・ブームをもたらした。しかし、私にいわせればこれとて、池田理代子原作の劇画がもつ物語性がヅカ・ファン以外の子女の嗜好にマッチして劇場へ駆り立てたにすぎず、レビュー人気とはまったく無縁に思われる。
 七十余年の伝統を誇る宝塚歌劇は兵庫県にある本拠地の宝塚大劇場で現在四十五日間興行を行っている。かつてきらびやかでたのしいレビューを作った白井鐵造はじめ製作スタッフは健在だが、阪急電鉄本社から出向している歌劇団首脳部がレビュー製作に歯止めをかけているフシが認められ、それがかえって赤字決算を呼んでいるのではなかろうか。

 ベルばらでの宝塚人気は、「レビュー人気とはまったく無縁に思われる」。まったくその通りですな。宝塚の「レビュー時代」は、ベルばらとともに終わったんですよね。というかこの時点で、宝塚を「レビュー劇団のひとつ」という認識でいるヒトって、ちょっと少数派かつオールドだったんじゃあ・・・。

レビュー製作に歯止めをかけているフシが認められ、それがかえって赤字決算を呼んでいるのではなかろうか。」。こ、これって「レビューを上演しないことで、かえって人気は凋落するぞ(レビューをどんどんやったほうがいい)」って意味ですよね?
 そ、それはどうかなあっ。これは「レビューファン」の願望だよねえ。

 記事はまだ続く。ここからは涙なしには読めませんっっ

 さて、レビュー再興の曙光(しょうこう)を記してしめくくろう。レビュー不滅を信ずる山本紫朗の話だが、最近懸用二を中心に日劇黄金時代の振付者たちが結集して仕事への情熱を確認したというし、また春日宏美のSKD退団を機に朝丘雪路の主唱で〝レビューをなくさない会〟を発足させる動きもある。製作者側はやる気満々なのだ。
 超大型の日劇や国際劇場がなくとも、収容人員八百人程度の劇場さえあればレビュー興行は可能で、さる八月には新宿にシアター・アプルが開場、新宿三越劇場の新設も予定されている。あとは経営首脳陣に膨大な製作費をかける積極性があるか否かにかかるといえそうだ。
こんな不況時にこそレビューの存在は絶対必要だと私は願うのだが、どんなものであろうか。

 ・・・・・・・・・。
 ・・・・・・・・・。
 どーですか、レビュー党のみなさま??(←幻に話しかけるなっ)

 とりあえずわたしは思った。
「不況時こそレビューだ!という勧誘文句は、もう使うのヤメよう・・・!」
 と思ったのであった(遠い目)

 「不況時こそレビュー」、レビュー業界ではよく言われるキャッチフレーズですよね。わたしはドコで覚えたんだったかな・・・。忘れた・・・。けど、「そーだそーだ。暗い世の中にこそ、明るいレビューが必要だ。共感共感!」って思って、わたしもコレ、ずっと使ってたセリフだったんですが・・・。
(↑わたしがテンション上がって勝手にレビューを語りだすと、このキャッチフレーズが出てくるぞ。)

 ああ・・・。こうやって「不況時こそレビュー」と唱える評論を客観的に見ると・・・なんてなんて悲しいんだ。衰退を背負った業界の切実さがあまりにも強烈。

 それでも、当時はまだ「不況時こそレビュー」とか「レビュー界の曙光」なんて気炎を上げられるだけのエネルギーが残ってたんだ、とも言うことはできますな。だって今なんて、レビュー界のキャッチフレーズは「レビューの灯を消してはいけない」でしょ。事態は悪化しておる・・・。

 だめだっ。「不況時こそレビュー」というコトバでは、今の世の人々の歓心は買えないわっっ。わたしは拳を握りしめつつ決意した。

 何か新しいキャッチフレーズを考えなければっ!
 ここはひとつ世間ウケを狙ってイマ風に、愛とか夢とか感動とか!

 ・・・・・・・・・。
 ・・・うわっ。それって宝塚歌劇団が提唱するキイワードぢゃん。(宝塚ってちゃっかり商売上手だ・・・)

 えーっと。レビューを売り出すキャッチフレーズは、また考えときます。(←誰も頼んでいない。業界の人間でもないくせに・・・)

 今日で終わりの予定だったんだけど、ごめん、少しだけはみだしてしまった・・・。あと一本あります。明日でホントに終わります。

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「宝塚歌劇の宣伝は、変わらぬ伝統を保っております」51へえ!

2008年05月19日 | レヴューのトリビア

 
「宝塚歌劇の宣伝は、変わらぬ伝統を保っております」51へえ!

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 ※写真は昭和9年の広告の「枠」です。本文の最後のほうに出てきます。

 昨日引用した夕刊フジの記事には、あと少し続きがあるんです。続きも読んでみましょー。

 宝塚は〝バック・トゥー・タカラヅカ〟を、まじめに検討しはじめた。少女たちのために美しい夢を、花園を取り戻そうというわけだ。
 若さを売りものに宝塚歌劇団の理事長に就任した小林公平さんは〝バック・トゥー・タカラヅカ〟を前向きにとらえたキャッチ・フレーズを決め、来春早々、あらゆる機会に大々的に打ち出すと宣言した。
 いわく「ファンタジー・アドベンチャー」

 下線は生意気娘Kによる。

 「ファンタジー・アドベンチャー」(笑)
 いい標語ですねえ(笑)
 でも、創始者の一三先生の「清く、正しく、美しく」にくらべると、だいぶ弱いかなー。

 「清く、正しく、美しく」は、キャッチコピーであるだけでなく、もともと夜の文化であったレビューを「ウチは違う!」と強弁し、タカラヅカを従来のレビューや芸能のイメージから切り離すための、非常に巧妙な「思想(的戦略)」になってたんですよね。
 それにくらべると、「ファンタジー・アドベンチャー」は、カッコイイけど無味乾燥で思想性がないなあ。(いや、なきゃイカンというわけじゃないけど。)タカラヅカはそれ自体が思想なんだから、そんなスマートすぎるコピーじゃなくて、もっと「宝塚とは!!」を無理やり定義づけるような強引さがあったほうがイイと思うけどねえ(笑)

 話それるけど、去年から宝塚歌劇団がキャンペーンはってる「応援します! 世界にひとつのタカラヅカ」ってコピー、あれは「宝塚らしくて非常にナイス!」だと思う(笑) 有名人つかって、「ほらほら、こーんな有名人も応援しちゃってる、世界にひとつのタカラヅカあああ!」という、自画自賛のおたけびポスター、最高じゃないですか?(笑) 宝塚はこうでなくては(笑) 

 ではここでスペシャル企画。
 昭和10年の新聞広告と、昭和51年の新聞広告を見比べしてみましょう。

 まずは1976年(昭和51年)5月26日の新聞広告。(何新聞かは不明)

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 青春と向い合って62年ーーーー
 愛を語り、夢を追って62年!

 80人の妖精と40人のオーケストラで
 あなたを魅了する東京宝塚劇場は・・・・・・

 国電有楽町駅から3分、地下鉄銀座線
 から2分、日比谷駅から1分の東宝有楽街の中心です。


 ヒビヤ 東京宝塚劇場
宝塚歌劇
 「ベルサイユのばら」観客数一〇〇万人突破!
 ファンタジックなロマンを求め、男性にも
 女性にも、そして年令も超えて楽しまれています。

野坂昭如 氏   ’75年11月21日号「週刊朝日」より
「ベルサイユのばら」は、六十年の歴史の中ではぐくまれた
宝塚の真髄が一気に噴出した感じで、ミュージカル、
音楽劇といった枠を超え、こちらを圧倒する。
ティーンエージャーと舞台の交歓を、どんな風に
おとしめて考えることだってできるだろうが、そのかもし出す
雰囲気は、何といっても、もっとも良き劇場のそれである
ことを、多分、夜道をたどりつつ納得できるはずだ。
宝塚歌劇は、美しい夢であり、いっそオスカル様風に
いえば、場面の一つ一つが思い出を紡ぐ五色の糸、
それぞれの胸に、綾なす錦織りなして、それは浮世の浪風に
決して色あせぬ。要するにキレイなのだ。

〈星組7月公演〉 7月2日→8月1日/6月6日前売開始
〈月組8月公演〉 8月5日→30日/7月11日前売開始
  友の会割引席は一般前売の2週間後に前売開始
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長谷川一夫・演出 植田紳爾・脚本・演出 池田理代子・原作
                          「ベルサイユのばら」より
                          少女週刊誌「マーガレット」協力

宝塚グランドロマン
ベルサイユのばらⅢ
第1部・薔薇になみだを 第2部・別れの紅薔薇
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  引用されている野坂の文章は、週刊朝日の連載エッセイです。このもとのエッセイも、P様の資料には入っていました。(スゴイ!)
 「野坂昭如のオフサイド75」に「『ベルサイユのばら』とわが家と宝塚」として、見開き二ページ、連載まるまる一回分を使って、思い出を絡めながら宝塚を語っています。「連載・46」と書いてあるから、連載46回目??タイトルの「75」が1975年を表しているなら、1975年の週刊連載46回目・・・は、年末かな。
 次は1934年(昭和9年)5月20日、朝日新聞に出た広告をどうぞ。

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 東京朝日新聞紙上より

 五月九日付朝刊、東京朝日新聞に次の様な記事が出てゐました。簡潔な記事ではありますが世間が、宝塚星組公演をどんな風に見てゐるかと云ふ事を知っていたヾく一助にもならうと思ひまして、此処に大略掲載させていただきます。

 好手際の「太平洋行進曲」

東京寶塚五月公演の出し物はレヴュウ「太平洋行進曲」、オペレット「アルルの女」、日本舞踊「奴道成寺」、オペレット式レヴュウ「ウィーナー・メーデル」の四本でいづれも相當に見られるものをそろへてゐる。
 「太平洋行進曲」は酒井海軍少佐の原作に岸田氏がレヴュウ的手法を加へ、山田耕筰氏が作曲したもので、音楽が全作品を通じ一貫した個性によって統一されてゐる。
場面の変化も封照に富み、少女たちと思はれぬ程雄壮に海兵生活を活写する。鉄骨構成によるフィナーレの旗艦に於ける砲塔の操作、これにつゞく礼式整列、分別式、いづれも手際よく行はれ、軍国日本の海の誇を壮麗に展開する。

 ▽・・・・・・・・

「アルルの女」は金曜会の藝術的な演出に比すると遜色があるが、大切な老人役、殊にバルタザールも少女にさせる以上はこの位に行けばよいとしなければなるまい。

 ▽・・・・・・・・

「奴道成寺」は五月公演中、藝術的にもっとも光ってゐる。白拍子花子、実は左近をつとめる天津乙女の踊りは正月のコケラ落しの三番艘よりずっと出来がよい。

 ▽・・・・・・・・

 最後の「ウイーナー・メーデル」にはもちろん種があるが、材料を上手にこなし、宝塚向きに改装したロマンチックなオペレットで、無邪気なユーモアもあり、あまり■にもならぬセンチメンタリズムもある。
 明津麗子の女主人公アニー、春日野八千代の主人公エミール、共に適材適所、その他の配役も當を得てゐるので、全出演がきはめて自然に行はれ、観客の心を素直に作中の人物へ導く。(牛山)

 五月星組公演 三十一日まで

日本海海戦二十九年記念上演
海軍省軍事普及部提供

一、レヴュウ 「太平洋行進曲」(全六景)  海軍少佐 酒井慶三作
                                  岸田辰彌改修及振
                                  宇津秀男舞踊振付
                                  山田耕筰作曲
二、オペレット 「アルルの女」(全三場)   白井鐵造改修及振
                           須藤五郎編曲
                           
三、舞踊 「奴道成寺」(全三場)     水田茂作及振
                         酒井協作曲

四、レヴュウ 「ウィーナー・メーデル」(維納娘)(全十八場)  堀正旗作及振
                                      荒尾■一舞踊振付
                                      中川榮作作曲
                                      山内匡二編曲
 平日 午後四時開場・六時開演
 土・日曜日 昼夜二回公演
          昼の部 午前十時開場・正午開演
          夜の部 午後五時開場・六時開演

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 六月の東宝は
   春秋座 市川猿之助一幕
   東宝専属男女優合同公演
   一、「若き日の成吉思汗」
   二、「武者修行とお化け」
   三、「吉田大八」
前売開始!!

 御観劇料
  三階席 五十銭・一円
  一、二階席 一円五十銭・二円
  御座席券は当日売、前売に区別して御座いますから
  いつでもよい席が御座います。
 前売開始 毎日午前九時より

ヒビヤ 大衆藝術の陣営 
     家庭共楽の殿堂 
東京宝塚劇場
 


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 むりやりブログで再現してるんで、レイアウトまでカンペキに写しとれてないんだけど・・・。まあ雰囲気だけ見てくだされ。■は活字がつぶれてて読めないとこですじゃ。
 レビュー「太平洋行進曲」は、なんと海軍少佐が原作したとな!?ご時世とはいえ、すごいですね~。「日本海海戦二十九年記念上演」とか「海軍省軍事普及部提供」というコトバが、時代をよくあらわしとるな。

 で。どーですか。ふたつ見較べてみて、「広告の仕方」、変わってないよね!!

 昭和51年は「週刊朝日」から、昭和9年は「朝日新聞」から、批評を引用してきて「どおだあ!」と載せる方法が一緒~。

 あと、が一緒なの。広告を囲んでいる枠が。
 広告を囲む枠が、五線譜みたいなデザインになってるんですよ。これ、昭和51年のも昭和9年のも両方、五線譜デザインです。(まったく同じではないみたい。びみょーに太さとかデザインは変わってるっぽい)

 すごいよねー。戦前、戦後と何十年も変わらないスタイルで広告を打ってたんだ・・・。写真は昭和9年のほうを、枠だけ撮ってみました。うまく見える??

 わたしは「東京宝塚劇場」の新聞広告を目にする機会、まったくないんですけども、ひょっとして今も「五線譜の枠」あるのかなあ?

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「宝塚ベルばらヒットの要因は、舞台がパリだから?」53へえ!

2008年05月17日 | レヴューのトリビア

 
「宝塚ベルばらヒットの要因は、舞台がパリだから?」53へえ!

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 1976年(昭和51年)4月15日の夕刊フジ、「男のための〝ベルばら辞典〟」として、宝塚とベルばらについて、「読めばとりあえずひととおりわかる」まとめ記事を載せています。内容はまあ、当たり障りないカンジ。
 原作がマーガレット掲載の人気劇画であることを紹介し、あらすじを載せ、宝塚の舞台人気について、ムダなくさっぱりとまとめてあります。すこしだけ引用。(一面使ったけっこう大きい記事です。)

 これまでの宝塚のレパートリーといえば、レビュー誕生期の「花詩集」(昭和8年)、戦後の宝塚を盛りたてた「虞美人」(26年)などが知られているが、〝ベルばら〟は公演日数、観客動員数ともに六十二年の宝塚史上、群を抜いて一位。こんなところから「宝塚もとうとう『忠臣蔵』を持った」(演劇評論家、戸板康二さん)という見方もある。もっとも「パートⅢで打ち止め。再演はとうぶんありません」というのが歌劇団の方針で、ベルばらブームもこの夏で一応ピリオドが打たれる。

 下線は生意気娘Kによる。

 ベルばらブームの、まさに「総括」とゆーカンジの記事ですよね。
 この記事のド真ん中の一番目立つ太い文字が、宝塚の『忠臣蔵』っていう見出しです。ブームの存在が世間に定着し(すでに騒ぎ終わったあと)、宝塚歌劇の再飛躍を冷静に眺める段階に入っての記事ですね。

 参考までに、この記事に織り込まれている有識者(?)コメントを引用しときましょう。今もベルばらや宝塚について折に触れて語られる有識者コメントはありますけども、爆発的ブーム当時のリアルタイムコメントはなかなか貴重だ。

石子順造・評論家
 「少女マンガは日本の少女たちの〝夢の王国〟、そして〝ベルばら〟は、こうした甘く痛ましい夢の集大成だと思う。甘く、痛ましいことでは宝塚も同じだから、この原作が宝塚の舞台に乗ったのは一種の〝本家がえり〟で、大当たりしたのもごく自然なことだろう。この甘さと痛ましさ、日本の女性を考えるのに重要なポイントで、あのウーマン・リブの甘さと無残さとも共通しているんじゃないか」

小田島雄志・東大助教授(いまは名誉教授)
 「宝塚は楽しめばいいんですよ。装置から衣装、演出・・・とはずかし気もなく徹底的にロマンチシズムを打ち出したところが、とても爽快です。だいたい、あれだけきたえられて歌と踊りをみせてくれるのは宝塚だけ。世界のどこへ出しても通用するものをつくれる実力があります」


 まあ・・・。当たり障りないコメントだよね。読んでも「ふうん」という。石子のはわかったようなワカランような、「雰囲気評論」だし、小田島は宝塚を「持ち上げコメント」ですね。

 紙面変わって、東京中日スポーツ1974年(昭和49年)12月21日の「’74話題を追って」というコーナーに出た「空前 ベルサイユのばら」という記事に、以下のようなくだりがあるんです。

 パリを忘れてた・・・

「ヒットの原因? もちろん池田理代子さんの原作漫画の人気が大きいでしょうね。劇場へやってきたお客さんの三分の一は、これまでと違う少女ファンでしたから」(東宝演劇宣伝)という分析は当然だが、その一方で「ベルサイユのばら」が、このところ宝塚歌劇の忘れていた〝美しい夢〟を与えてくれたのが大きいと力説する関係者も多い。
「近ごろのヅカには、エンビ服や近衛士官の服がピッタリくるスターが少なくなった。私がこんど演出を引き受けた理由の一つはそれですよ」と長谷川もいう。
「最近のヅカの舞台はスペインだったりメキシコだったり・・・・・・。花の都パリを忘れていたんですよ」と反省するスタッフもいる。
 宝塚は〝バック・トゥー・タカラヅカ〟を、まじめに検討しはじめた。少女たちのために美しい夢を、花園を取り戻そうというわけだ。
 

 下線は生意気娘Kによる。

 「花の都パリを忘れていたんですよ」ってコレ、宝塚歌劇団「側」のヒトから、よく出てくる分析だよね。
 たしか高木史朗先生も、かの植田しんじ先生もどっかで触れてたはず。もとは、白井先生が「宝塚にはパリが一番似合うよ」とか何とか言ったっていうのが、ベースになってるんじゃなかったっけ。

 わたしの見聞の範囲内の印象だけれども、これ、外の評論家は意外に言わない。石子みたいに「雰囲気」の話とか、ナベジュンみたいな「女性像がどうたら」とかはよく見かけるけど、「やっぱり宝塚はフランス、パリだよね!」は、劇団からの分析コメント以外は見かけない気がする。あったとしても、劇団の受け売りとゆーか、これは「劇団発の見解」だと思います。

 前にも書いたけど、こと宝塚に関しては、わたしは外野(ファン・評論家・有識者・文化人etc)よりも当の劇団内部のヒトのほうが、冷静に宝塚というものをとらえている、と思ってるんです。
 ベルばらは原作がもともと多数の「読者」を抱えていて、彼女たちが宝塚に流入したことで起こった「宝塚ブーム」であったわけですが、舞台見たときに彼女たちが「ガッカリ」しなかった要因は何か・・・って考えたとき、それこそ「雰囲気」だと思うんですよ。オスカルのキャラクターは、植田しんじ訳で「ただの女」に書き換えられてしまったけれども、雰囲気がすごく出ていた・・・。それは、オスカルが本当の「男装の麗人」(男役)であったことに加えて、装の麗人が戦う舞台であるロマンティックなパリの雰囲気が、まさに宝塚歌劇にピッタリだったからじゃないかなーだと思うの。

 「宝塚にはパリだったんだよねえ」っていう劇団の分析は、もう一度じっくり考える価値があると思いますねえ。これ、けっこう大事なポイントだとわたしは思う。

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「あの渡辺淳一先生もベルばらを語る時代!」65へえ!

2008年05月16日 | レヴューのトリビア

 
「あの渡辺淳一先生もベルばらを語る時代!」65へえ!

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 わたしは「作家(小説家)」が書くエッセイとかコラムの類が昔からとっても好きなのです。「エッセイスト」とか「コラムニスト」が書くものより、書き方も芸風もあまり「完成されすぎていない」感じで、思ったことをざっくばらんに書き付けている雰囲気が好きなのよ。なんか、作家のおしゃべりを聞いてるような気分になるじゃんね。プラス、作家の作風・得意分野に照らしてそのおしゃべりを味わうのがまた楽し。

 お借りした資料のなかに、作家が書いた文章を見つけてニヤニヤしながら読んでしまった。(←あやしい人・・・)

 野坂昭如だと、宝塚語りするのは別段「珍しくない」ので、今回は昨年の「鈍感力

ヒットも記憶に新しい、渡辺淳一ことナベジュン先生をご紹介。はあ~。あんな「少女文化」から縁遠そうなおヒトも、ベルばらをエッセイに織り込んでしまう時代だったのねえ~。
 
 どっか単行本に収録されてるかもしれないですが、わたしナベジュンファンじゃないのでよくわからない・・・。

 夕刊フジ連載のエッセイ「努力してもムダなこと・・・」からです。1976年(昭和51年)12月7日、タイトルはそのままズバリ「ベルばら!」。

 冒頭は「最近は洋風の舞台をほとんど見ていない。夏に見た某洋風芝居は誠につまらなくて、真剣に見ている人の気が知れなかった(要約)」という、「某洋風芝居」のファンが読んだら怒りそうな前振りです。(ああ、もしかしてこれが噂の「鈍感力」?(笑) もーすこし批評風に書くとか、なんとかしようという気持ちはなかったんでしょうかねえ・・・。ほら「私には良さはわからなかった」とか、もっと言いようがあるじゃんか。)

 そのナベジュン先生、池田理代子先生と知り合いで、切符をもらって「宝塚ベルばら」をご覧になったらしい。で、ことのほかお気に召したご様子。

 衣装や舞台装置など、いかにも宝塚らしく豪華絢爛、陳腐といえば陳腐だが、見た目には楽しい。
 筋は大体、ご存知のとおりだが、なかで興味があったのはオスカルという主人公である。
 いままで、こういう舞台に出てくるヒロインは、大体、美しく可憐で、可哀想で、虐げられて、じっと幸せをまっている。するとあるとき王子さまが現れて救ってくれると、パターンが決っていた。
 あるベテラン編集氏が、男が愛を抱く原型はスーパーマンで、女の夢はシンデレラ姫だと喝破した。
  (中略)
 ところがオスカルは全然違う。シンデレラのように、幸せのくるのを、ただメソメソと泣いて待ってはいない。自分から剣を振りかざして幸せをとりに行く。
 それどころか、国や政治まで動かそうとする。
 それに面白かったことは、彼女は男装であることを隠そうとしない。男装は動きまわるのに便利だからつけているといった具合である。
 あれを見てきゃあきゃあ叫ぶ少女を見ていると、宝塚ファンも変ったものだと思う。
 こういう少女たちが大きくなるのだから、男なぞかなうわけもない。


 下線は生意気娘Kによる。

 なにか、こう・・・。いろいろ考えさせられる文章ですよねえ。
 「ところがオスカルは全然違う」うんぬんは、ありがちなオスカル論で、わざわざナベジュン先生がお書きにならなくても、類似した文章はこの世にゴマンとあることでしょう。
 オスカルの解釈は、原作ファンからすると、ナベジュン要約はホンのわずかに違和感あるけどね。たぶんナベジュン、原作読まずに舞台見てるから、「植田しんじ訳」ベルばらとしては、まあ間違ってはないかな。

 後半の「あれを見てきゃあきゃあ叫ぶ少女を見ていると、宝塚ファンも変ったものだと思う。」。こーれはどうなんでしょうねえー。
 以前の宝塚ファンは、「清純な乙女」にばかり共感してたっていうの?
 「レビュー時代」以降、男装短髪の男役が少女歌劇ファンを熱中させてきたのは、けっきょく「オスカル人気」と根っこ一緒だと思うけど。

 戦前の少女歌劇・レビューブームのなかで、女学生たちのあいだで「僕」という一人称が広がり、眉をひそめる記事が新聞に載ったこともあったんだし。(大昔のレヴューのトリビア昭和十年、女学生の男言葉はレビューの影響だった・・・の?」74へえ!→ココ」を見てくだされ)

 だいたい、宝塚が男性のあこがれ(娘役スター)→女性のあこがれ(男役スター)へと移っていき、圧倒的に女性ファン多数の文化になっていたのだって、レビューで「男装の麗人」が登場した昭和ヒトケタの昔話だし。昭和五十年まで待たなくても、「少女」が持っている男装へのあこがれは、とっくに具現化して舞台に乗って熱狂を巻き起こしてましたよ。
 ナベジュン先生は、いったい宝塚にどーいうイメージをお持ちだったのだろうな。それが気になる。

 はい。それでこのエッセイはまだオチがあるのだ。
 この先を読み進めて、わたしは椅子から転げ落ちそうになった。

 だが、あの舞台で一番感心したのは、長谷川一夫の演出である。
 この人、たしか七十歳ぐらいかと思うが、よくあれだけ若々しい演出をできるものだ。
 歳を取ったら盆栽などいじり、やたらに小言をいう。藝術院会員などになって悟り顔する人は沢山いるが、七十になってなおミーハーに徹するのは尋常なことではない。
 余程、意志の強固な人なのか。
 こういう人に、もう少し立派な勲章をあげてもいいような気がするが、日本は文化国家だから駄目なのだろう。


 下線は生意気娘Kによる。

 ああっ。ひさびさにホントに面白い文章を読んで、(笑いの)涙が出てしまった(笑)
 
 ベルばらの話をして、オスカル像を語っておいて、「一番感心」したとして最後にあげるのは長谷川一夫!?
 いや、もちろん功労者です。そんなことは当時のファンも、現代のわたしだって、よくよくよーーーーく知ってます。長谷川演出が、宝塚ベルばら成功の一助となったのは間違いないです。それは承知承知。

 それでも、この文章の流れで、最後の最後に「一番」としてホメるのが長谷川一夫!!という書きかたに、わたしは「うーむ!さすがナベジュン!」と机を叩いてホホエんでしまったのじゃ。

 長谷川一夫の「演出」を若々しい、という文章にしてあるけど、あとにつづく「盆栽うんぬん」のくだりから推察するに、よーするに「ベルサイユのばらなどという、若者ハヤリ文化かつ俗っぽい内容の仕事をするなんて、キミ若いねーーーー!(自分ならやらない)」という話ですよね。

 さらに最後の「(こーゆー人に勲章あげたいけど)日本は文化国家だから駄目なのだろう」の箇所、わたしは最初意味がわからなかった。再読してよく考えると・・・ああ、「タカラヅカ」や「ベルサイユのばら」なぞ、「文化」に価しないから、文化国家(ここでいう「文化」はメインカルチャーに振り分けられるモノたちのことなんでしょう。サブカルチャーは入れてもらえないんだな)の日本では賞は与えられないだろーな、という話ですかぃ!!

 まー。政治的なことは、わたしはようわからんので、「タカラヅカが文化かどうか」「ベルばらが文化かどうか」うんぬんを議論しようとは思わないけど(それはわたしの守備範囲外だ)、とりあえずこの一文からは、少なくともナベジュンの中では、「タカラヅカはまだ文化・芸術の数にかぞえてもらえない!」というのがわかります。まあ、ナベジュンは保守的だからねえ。当時の文化人だれもがそう思っていたとは思えないけど。1970年代って、もうだいぶサブカルの地位、上がりつつあったんじゃないの?

 まあ、なにはともあれ、少女歌劇が「ものの数に入らない」という状況を如実に示すサンプルのひとつだな。
 いやー。大変でしたね、歌劇団サマ。この時点でタカラヅカって60年ぐらい歴史あるでしょー?そうかあ。「自画自賛広告でタカラヅカ万歳をお伝え」し続けてウン十年たってもまだ、そういう扱いだったのかー。大変でしたねえ。

 いやあ、面白い記事だったなあ。

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「白井先生がナショナルのCMに出たことがあったらしい!」87へえ!

2008年05月15日 | レヴューのトリビア
 
「白井先生がNationalのCMに出たことがあったらしい!」87へえ!

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 ええーーーーーーっ。そうなんだ・・・。
 これたぶん、新聞記事だと思うんだけど、「ゆにいくCM」と題して、コマーシャルを紹介してるんです。記事内容から推測すると、たぶん1975年です。ベルばらブームで宝塚が脚光を浴びている真っ最中ですよね。

 なんかナショナルが当時「昔の仲間(イエスタデイ・ワンス・モア)」っていうシリーズCM作ってて、
第一弾が「ジャズ仲間」(中村八大など)
第二弾が「プロ野球ビッグスター」(大下弘など)
その第三弾が「宝塚スター」だったらしい。

 内容は「白井鐵造を囲んでなつかしのOGスターが集まり談笑するパーティ。そこへ現役の榛名由梨花尾まきも現れて華を添える」というものだったそうです。「すみれの花咲く頃」が流れるなか、集ったスターたちが昔の舞台写真など見ながら思い出話に打ち興ずる、という設定だったらしい。

 大きい写真もついてます。ソファセットとルームランプのある、洋風のリビングで白井先生を真ん中にOGたちが座り、後ろに現役の榛名さんと花尾さんが立っています。

 気になる出演OGは、記事に書いてある順に明石照子・淀かおる・加茂さくら・・・あれ。写真ではOGらしき女性、四人いるぞ。記事に名前が出てこないあと一人はどなたなんでしょうねえ。ご存じの方、教えてくださいませ。

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「ベルばらは狸御殿になったかも・・・しれない!?」58へえ!

2008年05月14日 | レヴューのトリビア

 
「ベルばらは狸御殿になったかも・・・しれない!?」58へえ!

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 これは新聞記事といっても、単なる「お遊び」的な記事です。話半分ですよね。
 だから、実際にそーゆー計画があったかどーかなんてのは、わからないんですけども、空想にしてもちょっと面白いなと思ったのでご紹介。

 わたしもちどりさんところのブログでその単語を目にするまで知らなかった単語なんだけども、みなさま「狸御殿」て単語、知ってらっしゃいます??「狸御殿」というシリーズの映画があったらしいですね。有名なんでしょうか。
 あれだよね。鳳蘭サマを中心にやってた、宝塚OGの「狸」シリーズってのもたぶんコレだよね。2005年にオダギリジョーが出てた映画「オペレッタ狸御殿」もたぶんこの系統かな。

 なんか元は大映映画が作ってたシリーズで、人間の姿になった「狸」が歌いーの踊りーのという、オペレッタ・・・?ミュージカル・・・?まあ、和製ミュージカルのはしりみたいな映画だったようです。
 その後、「狸御殿」とゆーネタ自体が、日本では定番化した様子・・・?なんか歯切れ悪い説明でごめん。わたしもよくわかってないのだ、狸御殿。

 1975年(昭和50年)12月16日日刊ゲンダイの匿名批評「映画を斬る」コーナーで、ベルばらのことが取り上げられました。書き手は「ペン鬼」の名前。

 ベルバラ騒動・下
 ともかく、ベルバラのブームなのだ。少女大衆になぜ、この古めかしき〝革命のロマン〟が受けるかという、社会心理的な考察はさておくとして、まさにその人気は白熱。芸能界ベルばらならでは日も暮れやらず、夜もあけず、そこで映画各社はかの暴力路線の東映すら、便乗企画の食指を動かす。
 本家・東宝はもちろん、市川 崑監督アイデアで、劇画(池田理代子・作)と、ステージ本番実写との合成による〝アニメふうミュージカル〟を企画しておる。これは当らないな、ホンモノみたほうがよいに決まっておる。わざわざ〝映画になった劇画(舞台)〟 をゼニ払って見に行くようなガキなど、いるわけがない。
 そこで、大映京都撮影所では「ベルバラ狸御殿」、という奇抜な企画を考えた。つまり、宝塚少女歌劇ベルバラご一統の出演による、かの〝狸御殿〟の再映画化である。これぞ、あの永田雅一さん、新興キネマ時代快心の大ヒット、当時少女歌劇人気スターの宮城千賀子、高山広子といった、可憐なる美少女群総出演、本邦ゆい一の〝オリジナル・ミュージカル映画〟、と称すべきものであった。そんなもの、いまの時代に当たるかいなだって?

(中略)

 邦画どん底の戦国時代、キリトリ強盗は何とやらのたとえ、師走の木がらし、きびしき折の〝ベルバラ騒動〟である。あの企画、この企画とうたかたと、うたかたのごとく消えてはまた結び、一九七五年は暮れていく。かくて十何番煎じの〝寅さん〟、これまた裏をかえしての〝トラック野郎〟では、乗り切れぬ不況の七六年は明けるのである。

 下線は生意気娘Kによる


 狸御殿といえば、少女歌劇スター。かの水之江瀧子(ターキー)サマもご出演なさった少女歌劇ファン御用達(?)シリーズ。初期は宝塚や松竹の少女歌劇スター、後記は美空ひばりで作られたようです。ターキー様は1949年(大映)の「花くらべ狸御殿」に登場。これ、わたし見させていただいたんです!!歌い踊る動くターキー様が保存された貴重映像っっ!!もう、うっとーーーーーりしました。歌・踊りや所作もウットリなんですけども、やはり一番の魅力はホホエミだと思います。テレビ画面の前で「いやんv」と照れてしまう、甘いスマイル。色あせない男役の魅力がそこに・・・!わたしの王子様、ターキー様・・・。(←寝言入ってきました。)ああ、書いてて胸が熱くなってた。ジーン。(←ヒートアップしすぎ)

 いや、ちょっと話がそれすぎましたね。えーっと、なんで狸の話になったんだっけ・・・。
・・・・(十行戻って自分の文を読む)・・・。
 あ。ベルばらでしたね。ベルばらが狸になるかも、というアイデアがあったとかなかったとか、匿名コラムが書いていたんでしたね。

 ベルばらで狸御殿(笑)
 なんかこの企画、想像しただけで興奮してくるんですけど(笑)読んだ瞬間、わたしのツボを直撃しました(笑)
 もし実現していたら、とんでもない迷作がこの世に出現していて、三十年後の現在、わたしが血眼になって映像を探して、大ヨロコビで見て「お気に入り」になってた可能性大だなあ(笑)
 いや、「予感」ですけどね。なんとなく、わたしが好きそうなぶっ飛び作品になりそうじゃない!?

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「灼熱!ベルばらブーム!!レコードも本もバカ売れだったらしい」73へえ!

2008年05月13日 | レヴューのトリビア

 
「灼熱!ベルばらブーム!!レコードも本もバカ売れだったらしい」73へえ!

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 いよいよ灼熱の「ブーム全盛期」記事です。
 まずは1976年(昭和51年)の8月26日デイリースポーツ夕刊。これ・・・たぶん一面??一面記事??

 咲き誇るベルばら
 宝塚初演からまる2年 記録ずくめ30日にフィナーレ


 劇画の人気に便乗して大ホームランをかっ飛ばした〝ベルばら〟こと「ベルサイユのばら」も、いよいよフィナーレが近づいた。一昨年九月、宝塚大劇場で宝塚歌劇団の創立六十周年記念公演の一つとして初演してからなんとまるまる二年。月組から花、雪、星組へとバトンタッチしたあと再び東宝劇場公演を最後に幕を下ろすが、千秋楽の三十日でジャスト五百回の公演。その間百四十万人の観客動員数を記録ーというのだから、総括を前にして関係者すら驚いている。


 この記事はくわしい。(さすが一面全部使ってるだけある・・・)
 なんでも、
・東京の宝塚友の会会員数は三倍以上になった。
・「歌劇」誌の売上げは五倍になった。

 んですってよ!すごいね。五倍だよ五倍・・・。「歌劇」読んでる人間が一気に五倍になったんだよ!?

 実況レコードも売れまくったらしい。ベルばら前、十年ぐらいは宝塚自体の人気が下降気味だったので、それでも出してたレコードは、しょーじき売れ行きビミョーだったようですが、ベルばらを出したとたん、売れる売れる・・・。ベルばらパートⅡなんか、二十万枚も売れたらしいです。ひえーっ!

 で、このデイリーの記事によると、ベルばらが本当に「宝塚ファン」の実数を劇的に増やしたらしくて、ベルばらだけじゃなくて、ほかの公演のレコードも売れ出したと。ベルばら以外の宝塚公演も、一気に集客できるようになったらしい。この頃、かの「星影の人」も初演で、それもたいそうチケットが売れたそうな。

 複数の記事に書いてあるんだけど、「池田先生の劇画→ベルばら上演で宝塚を知る」の流れで増えたファンは、「中・高校生」が中心なんですって。

 へええーーー。若いよね??
 わたしがハタチ越えてから歌劇観劇デビューだったせいか、なんか「中学・高校」で宝塚がブームになるっていう感覚自体がピンと来ないなあ。
 わたしの妹が、お嬢様系?の私立女子高校に行ってたんだけども、そこには「宝塚ファン」という女子高生がけっこういたそうです。わたし、自分の高校の同級生でそんな話聞いたことないけどね。(←イナカの県立高校出身) いま、いつも一緒に宝塚を見に行ってる高校の同級生、友人Rにしたって、初観劇はハタチ越えてたはずだし。
 わたしが高校生で、突然タカラヅカブームが来たとしても、チケット買えないから見に行ってないわ、絶対。高校んときのお小遣いって、2500円(ガッコーの規則を生真面目に遵守し、バイトはしとりません。)でしたからね。それで文具とかちょっと遊びにいくとか、すべて込みだったから、歌劇どころの騒ぎじゃないのよねえ。映画ですら、映画館では一本も見てないんじゃないかな。テレビ放映やレンタルビデオでは見てましたけど。雑誌一冊買うのも計画たててコツコツ・・・って感じだったからねえ。

 宝塚のチケットが安い席は「数百円」で今よりさらにリーズナブルだった、という話は知ってるけども、当時の物価ってどうだったのかなあ。物価上がってますからね。当時の六、七百円って、中・高校生がお小遣いで行ける範囲だったんでしょうかー。

 わたしのなかでは、歌劇を見に行くのって「大人のぜいたく」って感覚なんですよね。ゼータクな趣味だな、と思っちゃうんですよ。ほかの舞台に較べたらずいぶんお手頃価格なのはわかってるんだけども、それでもやっぱり劇場に出かけて何千円かするチケット代をかけるっていうのは、贅沢感があるなーと思ってるんです。(まあ、わたし自身の収入がショボイから、という話もあるんだけども・・・。)
 中高校生の宝塚ブームという存在が信じられない(十代のときに、観劇するお金なんかあったけ?みたいな・・・)なんて、そんな感覚わたしだけなんですかねえ(遠い目)
 ダンナ殿の話聞いてると、彼はわたしと違って高校時代に「文化的な生活」もぞんぶんに謳歌してるみたいで・・・。おかしいなあ。なんかわたし、要領悪い学生だった?バイトしないのがいけなかったのかねえ。高校生でアルバイトってみんなするもの??(学校が禁止してるし、周囲の友人もしてる気配なかったし、ぼーっと時間だけをもてあまして暮らしてましたよ。勉強するわけでもないのに。)

 あ、話がそれた。

 とにかくベルばらブームです。レコード売れまくりです。
 1976年(昭和51年)の7月12日、サンケイスポーツにも書いてあります。

「売れる劇レコード」「ベルばら〝バラ色〟」

 日刊スポーツにも書いてあります。

「間に合わぬプレス」 (しかもこれ、「レコード売上げベスト」なんかが載ってる、「SOUND」というレコード記事欄として書かれたもの)

 いずれも「ベルばら」以外の宝塚レコードも売上げを伸ばしていることにも触れてます。宝塚レコードがそんだけ売れる、というのは、よほどのニュースだったんでしょうな。
 レコード屋に負けじ、と本屋も売ります。
 いつ、何新聞に載ったのか不明なんですけども、「出版界にも宝塚ブーム」と題した新聞記事がありました。一部引用してみます。

 ざっとその〝顔ぶれ〟を紹介してみるとー。
 報知新聞のカラーグラビア「宝塚歌劇」、安奈淳の自伝もの「愛のベルサイユ」(二見書房)、スターたちの裏ばなしを網らした「宝塚のわかる本」(広済堂)、まるで学校ガイドといった感じの「宝塚音楽学校」(読売新聞社)、宝塚六十年の歴史を写真で、まとめた「ああ、宝塚60年」(朝日新聞社)・・・。自伝あり、小説じたてあり、ハンドブック、グラビアありと、本屋さんの店内はまさに百花りょう乱といったところだ。
 もちろん、そのほとんどがものすごい売れ行きを見せているのだ。日比谷の紀伊国屋では、八月から〝ヅカ・コーナー〟をつくっているが、この十一月中旬に売り出した読売新聞社の「宝塚音楽学校」を店頭に出したところ、二時間ばかりで三十冊を完売。また、朝日新聞社の「ああ宝塚60年」もまたたく間に五十部を売りつくした。ほかのほとんどの〝宝塚の本〟も同様で、この現象には売り場担当者の方が目をシロクロ。仕入れ担当者になると悲鳴の上げどおしなのだ。


 すごいねえ。
 そのモノ(ベルばら・宝塚)自体の人気を記事にするのを通り越して、関連商品の売り上げがこうして記事になるのは、まことに「ブーム」の証だと思います。
 すごいなあ。すごいなあ。灼熱のベルばらブームだ。

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「ベルばらブームって本当にあったんだ!!」 99へえ!

2008年05月12日 | レヴューのトリビア

 
「ベルばらブームって本当にあったんだ!!」 99へえ!

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 さて。トリビアシリーズの初期、わたしが古書店だの図書館だので古い資料を引っ張り出してきて何を調べていたかといえば「モンパリとかパリゼットで大昔にレビューが流行ったなんてえのは、劇団様の誇大広告なんじゃないのー!?」という疑問を晴らすためでした。

 →結果:本当にレビューは流行ったらしいと知って愕然!

 で、昭和初期の新聞を自分の目で確かめて、「すいませんでした宝塚歌劇団様」と、たいへん恐縮したワケです。(←遅い・・・)

 さて、その第二弾というべきか・・・。

 レビューが流行ってたことを確認したわたしは次に思った。
「そうか。そいつはわかった!つぎの宝塚歌劇団の転機はベルばら・・・。宝塚ブームを巻き起こしたとうわさのベルばら・・・。我が母もうっすらと流行ってた記憶がある、とか言ってたベルばら、あれはどの程度ブームだったの!?本当に社会現象級のブームだったの!?
 だって、ブームっつっても規模はいろいろじゃん!ナタデココもパンナコッタもベルギーワッフルも「ブーム」って言われたけど、規模も「その後」もいろいろじゃんか。

 P様にお借りした貴重資料をありがたく拝見させていただきます。おおおおお!こ、ここに本当の答が!!ファイルが光り輝いてみえます。ぴかーーーーっ!!(←いらない擬音語)
 そっとあけてみましょう。

 うわーーーーっ。あるわあるわ・・・。ざくざくとブームの証拠がああっ!!
 本当にあったんだ、ベルばら大ブーム!!いやもう、わたしはひたすら感動しました。

 ありとあらゆる紙媒体(雑誌、新聞・・・)に宝塚ベルばらが!!
 ブーム分析なんてのもたくさんある!

 たとえば1974年(昭和49年)10月の東京中日スポーツ

「家族連れが・・・女子大生が・・・」
「劇画の刺激か 〝サヨナラ真帆〟の感傷か」
「東京宝塚の前売りでは〝ファン異変〟」

 などの見出しで、初演月組の東京公演の時の、「チケット前売り」の盛況ぶりが記事になってます。

 前売り初日の六日、東京宝塚劇場の窓口には、朝九時半だというのに二千人の行列ができた。それもいつもの宝塚ファンではなく、小学生を連れた家族連れや、女子大生、サラリーマンらしい父親などがまじって・・・・・・。劇場側はあわてて整理券を発行、午後六時半までの前売り時間を一時間延長してやっと一万二千四百枚を売りさばいた。
 「いつものファンと違うので、時間が倍近くかかって、あれが売り場の能力の限界。ずいぶん、たくさんのお客さんを帰しちゃいましたが、それでも四十三年の那智わたるさんのサヨナラ公演の一万二百四十枚の記録を軽く破ってしまいました」と窓口嬢。
 「このすごい人気の分析ですか? まず第一に池田理代子さんが少女雑誌〝マーガレット〟に連載した劇画の評判。それに来月二月退団する真帆志ぶきにとって、これが最後の東京公演になる。この二つの理由が重なったせいでしょう」と劇場側では話す。


 何でも、「ふつうの宝塚(歌劇)公演」(たぶん東京公演の話?)は、だいたい動員が五万人ぐらいだそうで、このベルばらは七万五千人はカタい、という劇場側のコメントも出ています。
 ほーっ。ベルばら直前の、タカラヅカ冬の時代(?)でも、やっぱそれなりに動員してるんだなあ、と「五万人」のほうに感心したわたし。

 この記事は初演のムラが終わった翌月に書かれているから、まだけっこう冷静ですよね。スータン様の退団が近いから・・・なんていう、宝塚歌劇としてはきわめてフツーな意見が提出されています。再演が繰り返されるあたりの記事になると、もうそんな宝塚的な「見かた」はどっか吹っ飛んで、「とにかくいまベルばら!」「宝塚に殺到!!」みたいな、熱狂ぶりを伝える記事が多くなっていきます。
宝塚歌劇の公演としてどうこう、という語り方じゃなくて、劇画を含めた「ベルサイユのばら」自体のブームを検証する視点が増えていくんですね。

 ところでスータン様って、ベルばらのころに退団だったんだ・・・。
 けっこう長く在団されてたんですね。1952年初舞台で1975年退団だから、研23だよね。わたしのなかで、スータン様といえば「ベルばら以前の大スター」ってイメージだから、ベルばら初演時にまだ在団なさってたとは知りませんでしたわー。へえー。へえー。

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シリーズ「ベルばらの時代」始めます。

2008年05月11日 | レヴューのトリビア

 もう気候が初夏だ・・・。ああ、五月だなあ。
 めでたく転職を果たし、よーやく「まった~り・ライフ」を取り戻したわたくし。
 ゴールデンウィークにひたすらグータラしたので、レヴューおよび宝塚の資料を眺める気力が復活しました。

 あーーー。歌劇やレビューのDVD見るのが楽しいわっっ。
 なんか久々に本来の自分を取り戻したカンジ。やはりグータラは活力のもと・・・え?そんな「本来の自分」はいらない(むしろ脱するべき!)って?その通りっっ!どうもすいません。(なぜか謝る)

 わたしの場合、あんまし忙しいと、日常で摩耗しちゃってモノ考えたり芸術を味わったりする余裕がなくなっちゃうんだよね。もっと忙しい日々を送りつつ宝塚を楽しんでいらっしゃる方、たくさんいらっしゃることと思うんですが・・・。キャパの小さい人生を送っております、生意気娘K。しょーがないしょーがない。

 そんなわけで、ようやくレヴューのトリビアも復活だ!
 明日からは、いよいよ迫りくる全ツ版ベルサイユのばら上演を祝って、シリーズ「ベルばらの時代」をお送りしちゃうぞ。

 今回はわたし、何もしてないんです・・・。何も調べに行ってないんです・・・。
 すべてP様にお借りした貴重資料の数々から紹介させていただきます。P様本当に本当にありがとうございました。

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 最近、なんかアクセス数が増えてる(←あくまで当ブログ比だけどね)ので、トリビアシリーズひさびさの再開に合わせて今一度アナウンスさせていただきます。

・トリビア記事はもともと観劇の合間の埋め草として始めました。お遊びです。
・わたしが個人的に感心したり驚いたりしたことを勝手に発表しているだけの記事です。わたしがビックリしてるだけです。まあみなさまとっくにご存じの事実がいっぱいるんでしょうけども、宝塚見始めて6年ぐらいしか経ってないヒトなので、わたしには何でも新鮮なんですよね。

 よろしくお願いします。
 明日からは、おそらくリアルタイムで体験された方も多いでありましょう、ベルばらブーム時代にタイムスリップして、しろうとのわたしが何にでも驚いちゃうぞ。当時の実感がこもった思い出話や「それってああでこうなんだよ」などなどありましたら、コメントで教えていただけると嬉しいです。

 何本になるかまだわかんない・・・。(まだ書き中・・・。土日に一生懸命書いたんだけど、書き終われなかったんだよねえ・・・)


「昭和11年、雑誌エスエス創刊号は巻頭記事にいきなり小林一三登場!」70へえ!

2008年01月16日 | レヴューのトリビア

 
「昭和11年、雑誌エスエス創刊号は巻頭記事にいきなり小林一三登場!」70へえ!

「エスエス(STAGE&SCREEN)」創刊号 昭和11年7月号より

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 先週の丸善古書市で買ってきたの!?とお思いでしょうが。ちがうんだよー。こないだの古書市は、ひさびさの大カラ振りで~。目につく古雑誌の山はすべて徹底的に調べましたが、出物は発見されませんでした。残念。

 これはもっと前に買ってあったやつ。

 「エスエス」と、デカデカと表紙に書いてあり、それだけだと意味不明ですが、古書マニア&レビューマニア&東宝マニアのわたしの嗅覚は、表紙をみただけで「こ、これはやばい。何かあやしい。絶対買うべきだ!」と脳内で大警報を鳴らしており、中を確認すると案の定、「これはわたしが買うしかないでしょ!」な内容で、アドレナリンがどばどば出たのであった。・・・なんか、表紙から東宝オーラが出とる。(←気のせい)わたしのなかの東宝アンテナがビリビリ言うわい。

 で、これはどーゆー雑誌かというと、まあ昔版レプリークだね。東宝系エンタメ雑誌です。東京宝塚劇場の「東宝発行所」が出してます。お値段は20銭也。以前、名古屋宝塚劇場発行の「東宝レポート」を紹介したことがありましたけど、あれの東京版なんですかね。東宝レポートはペラッペラの、いかにも「劇場が出してるPR冊子」ってカンジだったけど、これはPR冊子と呼ぶには、あまりに立派だから違うかもしれんけど。フツーに雑誌の厚み、内容で写真もたくさんアリ。トーゼン、東宝系の興業の話題がいっぱい。

 映画、レビュー、演劇のほかに、オリンピック記事もあります。

 写真にうつってるコレは「創刊号」なんだけど、たっぷりの巻頭グラビアが30ページぐらい続いて、よーやく本文に来たと思ったら・・・

 どしょっぱなが、いきなり小林一三執筆のエッセイ!!

 うーむ。阪急東宝グループの総帥が、フツーに古川ロッパを語っている!
 「おれがオーナーだぜエヘン」って感じがぜんぜんなくて、まったく「一執筆者」として執筆陣に混じっているー!

 一三がナニ書いてるのかは、後日記事をあらためるとして、今日は雑誌タイトル「エスエスの由来」を、創刊の辞(?)から引いてみましょう。

 エスエスとは
 スクリーン・エンド・ステーヂ
 それからスポーツ・エンド・スピード
 スヰート・ソングだってやはり
 エスエスです

 輝く陽の光り
 サン・シャイン
 夏の夜空の
 スカイ・サイン
 これは気の利いた
 ショート・ストオリイ

 エスエスこそは
 若きみなさまの
 感覚です

 おお。ポエムだ。


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