ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散をお願いします】左にも右にも土砂採掘現場が拡がっている(20210219-②)

2021年02月26日 | 沖縄島中南部

2021年2月19日(金)晴

 沖縄島南部2日目。昨日18日の現場(4稿に分けて記載済み)について私は当たりをつけていたが、残余のエリアの鉱山はさっぱり分からない。25000の1地形図(国土地理院)の「糸満」を頼りに該当地をピックアップ。結果、摩文仁ー宇江城ー真栄平ー高良ー玻名城ー与座ー仲座ー平和祈念公園の周回コースとする。約14km。この大部分は私は初めて歩く。

 

宿から大渡に上がると太陽光発電の施設が拡がっている。南に広がる海岸は大渡、米須の海岸(右側)。7:58

ここから国道331号を東に歩く。

前森鉱山が左手(北側)見えてきた。この仏像(写真左)に見覚えがある。ガタガタと採掘の音が聞えてきた。8:07

ここはトラックの出入り口。この奥が鉱山。8:09

かなりデカイ。先ほどのトラック道からではなく事務所のあるとこから中を覗いた。8:09

摩文仁の集落の手前を北西に左折。両側に鉱山が広がっている。

丸波鉱山とある。進行方向右側。8:27

この丸波鉱山も広い。沖縄防衛局がタンマリ採れるというのも頷ける。8:28

 しかしこれまで乱開発が進められてきたわけだ。ここは摩文仁だぞ。当然の如くに遺骨混じりの石灰岩ではないのか。これまで遺骨収集の基本的な調査がされる以前に開発が進んできたのではないか。要調査だろう。戦後沖縄史の中で忘れられてきたエリアが案外にあるのではないか。少なくとも私は全く認識していなかった。いちから勉強しなければなるまい。

 泥道を前に進む。トラックに用心しながら。

前森鉱山。先ほどの前森鉱山の裏口らしい。左奥だ。立ち入り禁止だから、遠慮する。8:34

左上の丘でトラックが作業中。8:41

これは右側。左右に凄いな。8:42

右側。トラックが並んでいる。8:43

こっちにむかってきた。8:45

このあと、右折してきて、私を抜いていった。農道みたいな道なんだけど。何と何台かに抜かれた。

大度鉱山。このトラックの痕をみてくださいな。9:02 これを右に行ってみる。

茂みにノアサガオ。しばし気分を取り戻す。9:02

大度鉱山。入り口。ここは古くからの鉱山のようだ。9:03

北西に進むと漸く鉱山の影が薄れてきた。本来はこうした丘・森だったところがああなったのだろう。9:13

宇江城の集落に入った。Y字の交点を右折。

左の碑に「軍旗奉焼」とある。「山雨の塔」だ。第24師団の最期の地。1945年6月30日第24師団司令官雨宮中将自決。天皇から戴いた軍旗を焼くことの意味はオシマイということ。こう書けば軽すぎるが、天皇の軍隊のオシマイということ。当時のこの国は「神の国」だったから、この意味は限りなく重かったわけだ。自決した司令官の決意の重さもだが、部下達の思いはいかばかりだったのだろうか。逃げ惑わされ、焼き殺された住民は?! 合掌 9:23 

 こういうモノを見ると気が滅入る。私はそんな時代に戻りたくないのだ。戻したくないのだ。

糸満のレタス。沖縄のレタスはこうだ。高原野菜ではありません。レタスと言えば、私は高原野菜なので、不思議な気持ち。上の集落は真栄平。9:34

県道に出た。さくら。バックの緑は人家の手入れが行き届いた庭木。9:43

真栄平の集落のT字を右折。坂を登る。

レタスの取り入れ、出荷のようだ。9:57

トウモロコシ畠。10:03

坂道坂道。

先ほど通ってきた鉱山を見下ろす。あーぁ。10:13

この先は自衛隊のエリアとなる。別稿にて書きます。

 

 

 



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