ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】6月23日の平和祈念公園周辺の状況(20240623ー➁)

2024年06月25日 | 沖縄島中南部

2024年6月23日(日)晴れ ➁

そろそろ全国戦没者追悼式が始まるだろう。私は入り口に移動する。

ありゃ。蝶類研究者のアキノ隊員だ。11:32 右を向いている小柄な人。沖縄県警10人に取り囲まれている。女性刑事が2名だ。手を上げている男は何をやっているのか? 不思議。

11:38 警察官が右手をアキノさんの鞄に置いている。何かあれば、即拘束の構えだな。

11:40 警察官の車両だ! 沖縄ナンバーだ。

首相一行は、とっくに中に入ったという(群れている警察官の話)。式典は、11時50分から12時40分の予定だ。

 

左側で騒然としているようだ。

行ってみよう。

某党派系の団体のようだ。

県警と沖縄県庁職員が、抗議しようとしている市民団体のスピーカーを押えようとしている。11:47

これも排除の一形態だ。

式典を静粛に行ないたいという建前は、遺族達の心境から考えれば、理解できるが、そうした環境を壊しているのが首相の参列であり、挨拶だろう。沖縄県は、抗議されることをやりながら、市民を排除するというのは、本末転倒ではないか。

11:47 抗議文を読み上げる。左のスマホをもっているのは、県庁職員でも警察官でもないようだ。黒の礼服に小さな日の丸をつけている。右翼だろう。

12:03 奥を機動隊の一団が北へ移動していく。首相らご一行の出口は、あっちかもしれない。

今回は完全に私の失敗。昨年あたりから、警備態勢が全く変わっている。去年の私は、ここ平和祈念公園にこなかったのだ。安倍首相の事件が起きて以来、警察(警察庁)は、線(要人の移動に沿った)警備をやめ、面警備にかえたようだ。そうした警備態勢を沖縄全戦没者追悼式に取ること自体が、不穏の元なのだ。

交差点には琉球独立派の人たちがずっとたっている。12:24

12:48 式典は終わるだろう。迎えのバスが入ってきた。機動隊も配置についている。広島管区機動隊だ。広島から応援に来たのか。式典(8・6広島)警備は、なれているからな。

13:08 式典が終わり、警察車両が外に出ていく。「私服刑事」ばかりが乗っている。

どうもご一行様は、奥から出るようだ。

私は移動する。「国際反戦集会」へ。

暑いね。撮影していると、暑さを感じないが、歩くと汗が噴き出てくる。

ここから4キロ余り。ひたすら歩く。

「倉敷」ナンバーの機動隊。13:46

あちこちから来ていたんだな。続けて「岡山」ナンバーのワゴン車も通過。今回は、九州・中国地方からの動員態勢だろう。長崎県警機動隊もいた。

米須先の日向の塔の木陰で一休み。14時過ぎた。

熊野鉱山。14:33 人骨混じりの土砂があるにちがいないと、市民が鉱山の許可に待ったを掛けていた。結局、沖縄県は、許可を出してしまったのだ。南部にはこうした「鉱山」がたくさんあるのだ。沖縄戦末期は、壕に潜んでいた人が多数おり、飢えて亡くなった方々もいただろう。特に住民ならば、誰それがいないとか、互いに了解できただろうが、中部などから逃げてきた人は、孤立したら、誰にも知られずに消息不明になっただろう。土砂の下に遺骨は、充分に考えられる場所なのだ。

私は南へ歩き出す。

途中で、旧友と会い、彼のバイクに乗る。

14:38 国際反戦集会最後の場面に駆け込めた。

14:41 ひといきいれる暇も無く撮った。

間に合って良かった。抗議船船長のKさんが閉会挨拶。15時終了だった。

 



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