ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】岸田首相の白々しい戯れ言の中の真実とは何であり、どうずべきなのだろうか?(20240625)

2024年06月25日 | 忘れてはいけないこと

 2024年沖縄全戦没者追悼式の挨拶で、岸田首相は、白々しい言葉を並べた。「哀悼の誠」が空疎に響くだけだった。哀悼とは、個々の故人を想起できないまま、可能なのだろうか。沖縄戦の戦没者は、20万人と言われており、想起したくても想起できないだろう。だとすれば、時の政権の最高責任者として、どうするのか? こうした努力なしに、吐かれる言葉は、余りにも空疎だ。
 せめて、事前に、遺族からじっくり話を聞く、歴史を学び直す、平和の礎をじっくりと見る、遺骨収集に直接関わる…。可能なことは、少なからずあるはずだ。

 対馬丸事件を取り上げているが、「耐えがたいできごともありました」ではなく、何故対馬丸事件が起きたのかを考え直さなければなるまい。1944年8月のことだったが、当時の大日本帝国・軍隊は、既に琉球諸島はおろか、トカラ列島周辺の制海権も制空権も米国に奪われた中での「疎開」だったのだ。軍隊が武力攻撃をやる上で、使い物にならない、邪魔になる子どもたちを退かすための「疎開」=暴挙の結果として多数の方々(1484名、このうち学童は784名。但しお名前を確認できている方のみであり、詳細は未知)が亡くなられた。攻撃されることを、確実に予測できた中での出航だった。
 また、「平和の礎に刻まれたひとり一人の戦没者の無念、残されたご遺族の方々の悲しみや喪失感を思うとき、胸ふさがる思いを禁じ得ません」と流し込み、(中略)「他方で今もなお、沖縄の皆様には米軍基地の集中等による大きな負担を担っていただいています」と、「負担軽減論」を語りながら、実質を考えようともしないのだ。無理、無茶な辺野古・大浦湾へ、国が代執行まで行なっての新基地建設の強行、自衛隊ミサイル基地の強行等で、軍備拡張を果たし、琉球の島々を「最前線」にひきあげて、日米共同演習を沖縄県内外の島々でも繰り返している。やりたい放題ではないか。
 
 岸田首相は、「平和国家」と言うが、核発電により、プルトニウムを大量に保存しており、やるとなれば、核爆弾を即作る準備はできている。武器の輸出入の原則禁止も安倍政権以降、改定し解除し、戦闘機やミサイルまで開発・売り込みに走っているではないか。「世界の誰もが平和で心豊かに暮らせる世の中を実現する」と真逆な道を米国と連みながら走っているではないか。
 最後に「ご遺族の方々のご平安を、心からお祈りし」と結んでいるが、再び沖縄に戦没者を出さないためには、やるべきことがあるだろう。少なくとも「在日米軍施設・区域の整理・統合・縮小」を掲げるのであれば、日米地位協定を抜本的に改定し、米国に対等に物が言える国になることだ。そして米国の国益に掬われない外交力を洞察し、経験を積み、武力による威嚇をやめ、平和外交のベースを作ることだろう。
 その要諦は、日米地位協定の改訂と、核兵器禁止条約の締結から始まるだろう。

 岸田首相は、空疎な美辞麗句を捨て、歴史を学び直し真実の言葉で語り直して欲しい。しかし無理だろう。私達が、政権交代に向けて、準備していかなければなるまい。道は遠いが、諦めからは、絶望しか生まれない。



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