ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

人は考えなければ自滅するということについて(20210927)

2021年09月27日 | 考え直すために

 今週は前半をちょいと問題点の整理を行い、後半から動き出す予定。昨夜も25時までやっていた。私が「人は考えなければ自滅する」と言い出したのは、沖縄に来てからだろう。2013年7月、米国がシリア爆撃を企てたときに、米国大使館前(ずーっと前だー機動隊が邪魔して行かせてくれない)で私は叫んだ。「日本はこのまま行ったら、戦前に戻るよ」と警告した。あれから8年が経ち、私の予想はかなり当たってきた。

 しかしこの機に及んでも、大胆に変わる気配が見えない。沖縄では反動が進んでいる。お金が生み出す欲望は、コロナ禍だからこそ、浮上しているのだ。

 「人間は考える葦だ」との言説がある。「柔な葦」に対して、「考える精神性」を説く考えらしいが、17世紀のフランス思想家の限界だろう。これを現代の私が解釈しなおせば、風になびいても柔軟な(簡単に倒れない)葦、ということになる。この柔軟性に人間界は、失敗してきたのだろう。「俺が勝つ」との欲望は、ダメでしょう。柔軟性を活かした生き方を再構築できなければ、自滅に至る。

 右翼が説くように、近代の限界は、「絶対的なもの」をおいてみたところで、解けないのだ。その「絶対的な者」がどれだけの自然を壊し、どれだけの人々を殺してきたのか。冷厳に直視すべきだ。

 やはり私という個が、どう生きるのか、どう生き合えるのかを抜きに、前に進まない。人は、「微力でも生きる」ために【考える】という一番やるべき事をおろそかにしてきたのだ。このままいったら、自滅するということだ。

 わからない奴がいると思うので敢えて言うが、はやとちりしないでいただきたい。だったら、(われわれは)誰かと戦って勝てば、生き残れるというのは、ないね。米国はアフガンをイラクを踏み潰したが、制圧できなかった。ミャンマーだって、香港だって、武力弾圧の次に来るのは、武力は武力を再生産し、絶望しか残らない。このままだったら、ますます荒廃していくだろう。武力で「幸福を追求する」とか、「守る」とかは絵空事だ。

 人間が屍になったら、おしまいだ。だから弔いがある。個が死んでも次に活かせるか否かは、その人を取り巻く「社会性」に掛かっているのだと私は思う。

 ということで、自滅への道に対抗していけるよう、私は考えていきたい。一人一人が考えていただきたい。

 

 



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