ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】このまま「不沈空母」を受け入れるのか、私たちが問われている(20231114)

2023年11月14日 | 考え直すために

おはようございます。今日の朝メモランダム。

 琉球諸島を軍事基地化する話しは、2010年年末のこの国の防衛計画大綱から始まった。あれから13年が経ち、今に至る。22年の「安保3文書」では民間空港/港湾を軍事利用するという。それが今回の自衛隊統合演習では、岡山空港、大分空港、奄美空港、徳之島空港でも自衛隊機(戦闘機)の利用が始まった。日本中の空港/港湾を軍事拠点化する工事が始まろうとしている。詳細は別途考えるとして、今私が考えたいことはふたつ。

(1)このまま「不沈空母」に乗りますか?

 昔、「日本列島不沈空母論」を唱えた首相が居た。中曽根康弘だ。あれから約40年が経つ。当時は対ソ不沈空母論。今は対中不沈空母だ。日本列島、琉球諸島は弓状になっており、東西に長いが、南北は短い。軍人は、海上優勢(制海権)・航空優勢(制空権)が重要だと言う。しかしミサイル攻撃をくらえば、簡単に突破される。軍事拠点が全国化していけば、どこでもそういうことになる。

 政権と防衛省は、軍事拠点を地下化して、堅牢にすると言う。しかし、一般市民に、地下施設は回ってこない。他方で、軍隊は、本物の海上自衛隊の空母で、南に一旦待避し、反撃する。いや可能な限り、一瞬でも早く敵基地攻撃を行なうことになるだろう。「日本列島不沈空母」は、戦う軍隊のみが、その利益を被るだけだ。燃料も食料も海外に依存している経済を造っておいて、「不沈空母」も糞もないだろう。

 戦うために、全身全霊を掛けさせられた旧軍(天皇の軍隊)。彼らは、天皇の命令を絶対とされて、命を絶たれた(飢え死に)。「兵站」という考え方がそもそもなかったのだ。今は米軍仕込みだからそこまでではないだろう。しかし自公政権は、一般市民のことをどう考えているのだろうか? 一般市民を犠牲にする兵站も糞食らえだ。

 日本列島には原発が54基も立ち並んでいる。今回の自衛隊統合演習でも原発現地で対テロ演習をやっている。しかし対中戦争となれば、テロの規模に留まらない。ドカン・ドカンとやられない保障はないだろう。東北大震災ですら爆発した原発だ。逃げ場を喪った住民達は原発からの避難は不可能だろう。より危険な方向に誘導されるのがオチだろう。それが沖縄戦の教訓だ。軍隊は住民を守らないのだ。

 私たちは、「不沈空母」に頼れない。所詮、それは泥船なのだ。私は「不沈空母」を拒否する。「殺すな!殺されるな!」

(2)「公共事業」について

 辺野古・大浦湾への新基地建設も、リニア新幹線建設も無意味だ。自然を壊すことと、税金で巻き上げたお金「公共投資」を意味もなく投げ捨てるだけだ。こうした事例が余りにも多いのが、自公政権の「成果」だろう。山間部(地下)を通るリニア。過疎地が豊かになるのか? 一本通して儲かるのは大企業だけだ。国の財政(公共投資)をドブに捨てるのも、市民のために活かすのも、政権次第だ。

 「儲かるのは今だけの政治」を改めるためには、多くの有権者達が目覚めるしかあるまい。再び、人を殺すことを国是とする政治を許すのか否かだ。「公共事業」とは一部の利益のためではないはずだ。「財政が逼迫しています」と言いながら無駄に使う、人殺しのために使う、などと何処を向いて言っているのだ。私たちの意思が問われない政治を終わらせよう。私たちが決めることができる政治に転換しよう。

(補)「勝つ方法はあきらめないこと」と言ってきたのは、辺野古・大浦湾の闘いの中からだった

 こう言い始めたのは、2004年の座り込みの中でだった。基地建設が本格的に始まりだした頃だ。今この教えを私は再生したい。諦めないという守りの姿勢だけでは太刀打ちできないからだ。私たちが生きる希望を抱ける闘いにしなければならない。人が分断されていれば、希望を失っていく。この先を皆さんと、力を合せて頑張りたい。

 



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