ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】Q&Aに私はどう答えるのか?(20231127)

2023年11月27日 | 考え直すために

Q&Aに私はどう答えるのか?

(1)「基地の島沖縄」を巡っての質問に、私は如何に答えられるのか? そこを少々考えてみる。
 自分が体験し撮影してきた現場から判断できることは、概ね応えられるだろう。考えが及んでいないことには、応えられない。そこは一緒に学び直すしかない。

 どうしても「これって何か、何故か?」から始まる。具体的に頭に浮かんだ疑問から始まる。頭に浮かんだ疑問を手放さないことだ。現場で、痛みを身体で覚えることが重要だ。そこから自分に問いを育んでいく。私は沖縄を知り始めた1989年からこうしてきたつもりだ。

(2)なかなか質問できないのは何故か 
 質問することは、いくらかでも考えよう、動き出そうという姿勢と重なっていく。素朴な疑問・質問から始まる。しかし既存の常識に捕らわれていれば、疑問は浮かばない。見てもスルーしていく。沖縄に観光客が何百万人来てもスルーしていく。
 この強烈なギャップに日々私は悩まされている。観光というブライトな面を「見るだけ」の体験は、暗部を見ないことを常識としている。
 「既存の常識」とは何だろう。「ここに人が生きている」と考えながら、既存の常識を打破したい。そして人々が日常との違和感を意識化するためには、事前学習が重要だ。

(3)私の体験から考える
 2016年8月21日、私は東京の経産省前で不当逮捕された。奴ら数名の公安刑事が撮影中の私に飛びかかってきた。私は押し倒された。横断歩道を引きずりまわされた。このどこが「公務執行妨害」なのか!! 私は忘れもしない。もちろん不起訴。
 この日未明、たまたま脱原発テントが強制撤去された。私が沖縄に帰る日だった。私は、脱原発テントの現場を少々見ておこうと思い現地に立ち寄った。福島第一原発の巨大事故から起きたことへの諸々の抗議テントは既に跡形もなくなっていた。それでもそれを担っている人々を垣間見ることはできた。権力の弾圧に対する構えを知ることもできた。
 私は一寸見るだけのつもりだった。見ていたらやり方が余りに酷いので、抗議しながら撮影していた。「撮影妨害をやめろ!」と叫びながら。自分が押し倒され、持って行かれるとは思っていなかった。油断大敵だった。

 反原発の闘いと反基地、東京と沖縄だ。課題も違えば、場所も違う。しかし国家権力はこのタイミングを重視していたようだ。めんどくさい奴を逮捕しろ。反原発の当事者は誰も逮捕されず、私が逮捕されたのだ。おかしいよ(とついつい愚痴る私)。沖縄では高江におけるヘリパッド強行建設の最中だったのだ。
 事後、この逮捕に至る一部始終を記録していた動画を拝見した。あのドタバタの中でよくぞお撮り頂いた。感謝だった。

(4)原発と基地、司令塔と従属物
 「原発と基地」は彼らの中ではひとつながりのようだ。沖縄と東京もひとつながりだ。東京(政府中枢)が司令塔で沖縄や原発各地は従属物だ。この国が原発を推進してきたのは、何故だろう。被爆国でありながら、戦後は原発推進。日本海側などに原発を多数建設し動かしてきた。
今度近隣諸国と軍事衝突が起きれば、決定的な打撃を受け、広げてしまうだろう原発。これをいまだに固執している日本国政府。ただただ金儲け集団。人が生きているという想像力が皆無なのだろう。米国の要求に従うだけの没論理だ。
 こうした理由も含めて、この国は基地を沖縄に押しつけ続けている。沖縄・琉球諸島を戦場にする戦ならば、日本中から大きな反戦の声はあがるまいと高をくくっている。
 日本の民衆も嘗められたものだ。沖縄差別を許してはならない。否、あらゆる地域は生きていく権利があり、そのためには住民自治・市民自治の権利・思想を育まなければならない。

(5)基地と原発、そして日本国憲法
 2016年3月、与那国島に陸上自衛隊のレーダー基地ができた。警備隊(歩兵部隊)が置かれた。基地と原発の動きは重なっているのではなかろうか。対中戦争の準備は2011年から公式に始まった。2010年12月の「防衛計画大綱」に謳われた。「安保3文書」の12年前のことだ。2014年7月1日、集団的自衛権の一部合憲化の閣議決定があり、2015年4月に米日軍事ガイドライン(作戦指針)が改定された。そして同年9月に安保法制が強行成立させられた。この2022年12月の「安保3文書」は、2014年の超解釈改憲の延長線上に強行されたのだ。
 日本国憲法はズタズタにされたのだ。平和よりも「抑止力」(軍事力の強化)をとの世論が形成されてきた。島々が軍事化された今、私たちは日本全国を直視しなければならない。分断を超える生き方を追求しなければならない。軍事力に抗して、平和力を育むのは対話力からだろう。
 こうした司令塔の動きに沖縄は対峙している。現場の状態に沖縄は、敏感に反応できるが、司令塔の動きを知ることに弱さがある。沖縄差別に敏感な人々は、原発差別にも敏感でありたい。相互にすりあわせることが重要だろう。ズタズタにされた日本国憲法を再生するためには大手術を避けられないだろう。ここにも私は沖縄から注目し、発信していく。

 



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