ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】今日は雷雨ー見えない日には、考えよう(20240501)

2024年05月01日 | 沖縄暮らし

おはようございます。本日2024年5月1日(水)名護市西海岸は雷雨です。

 もう停滞前線が沖縄島辺りに陣取っている日々なので、如何ともしがたい。昨夜あるひとから重要な情報が入ってきて、もしかしてと思い、確かめに行くつもりでしたが、この天気では濡れるばかりか、見えないでしょう。それでは意味がない。再起を期しましょう。無駄に時間とお金を使ったら,もったいない。見えないことには、確かめようがなく、どうしようもないです。

 本日は5月1日。メーデーです。労働者の祭典。私は労働者でなくなったので、縁がありませんが、連合メーデーを突き破る労働者のメーデーに期待しています。昔東京辺りでは、日比谷公園で、全労協メーデーをやっていました。毎年参加していた。風薫る季節で、ケヤキなども新緑に包まれて、良い季節だった。

 しかし1989年11月に総評が解体され、労働運動は「連合」に統一されていった。大資本基軸の「労働運動」に収斂されていき、社会党も解散、社民党へ。野党勢力が劣化していきました。こうして大資本がのさばり、「新自由主義」が拡大していったのです。儲けることだけが「自由」にできる社会へ。あれよあれよという間に、「ぼくたちはどこにいるの?」というほどに、不明瞭な世界を彷徨い出した。

 もっともあのカール・マルクスが描き出していたような1840年代と異なり、賃労働と資本の関係だけでは解けない時代に入っていました。多次元の難題が続発してきています。権力者達はあけすけに自身の儲けだけを追求し、面倒なことをすり抜ける。えげつないやりかたですが、知らんぷりすることで、益々力をつけていった。無関心を誘い出せば、何をやっていてもスルーできる仕組みを作り出したのです。「自助・共助・公助」と「自己責任」を押しつけてきた。

 夢も希望もない時代の中で、切り捨てられていく人々。今思えば、希望を語ることができなくなっていたのです。個別課題をやるだけでは、先が見えなくなっていたのです。私達が拠って立つ足場が崩壊してきたのに、そこを直視できなかった。反戦と言っても響かなくなったのは、反戦と日々の暮らしがすれ違う。この国の存立自体が、戦争に大きく踏み出していた。時代は1992年のPKO法から、2000年代の対テロ戦争の時代に。そしてイラク派兵に進み、2014年~15年の戦争法へと突き進んだ。

 この流れは、沖縄にも及んでおり、足踏みしている状態です。やっと視点が沖縄島から、他のシマジマにも目が届くか否かの所にきましたが、この落差はデカイ。島暮らしを客観的に見れば、島の大きさや、距離、交通の便,島の生産力などによって格差がでるのは、当然です。しかし相互の学び合いが足りなかったので、連帯よりも競合と対立が拡大してきた。

 反戦の足下を掘らなければ、反戦は空洞化していくばかり。「お花畑」などと嗤われる。もっとも右翼の頭は、天皇主義(全体主義)などにとりつかれており(信じ込み)、同じ過ちに突入していくでしょう。

 私達は、生きる為の希望を語れなければ、「戦争予備軍」に転落していく。総動員態勢とは、私達も戦争予備軍に組み込まれていきますよと言うことです。権力側はパット決めれば、決まるけど、私達は、そんな独裁を推進する装置をもっていない。面倒だけども、逐一、調べて考えて議論しなければ前に進まない。歪んだ足下の立て付けを直さないとならない。歪んでいることを知ることから始めるしかない。

 雷雨の天気の中で,無理に濡れるよりも、こうしたことを考え直すことも有意義な時間のはずです。「お前の生は,死ぬことしかない」という悪魔の再生を許したらダメでしょう。大人として許されない。



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