母の病院に行ってきました。
気になることがいくつかあったので、それを先生に伝えました。
介護認定を受けたこと。
それについて、ケアマネジャーさんと今後の方針を決めるのでアドバイスをいただきました。
先生は、「デイサービスやデイケアに行くこと」と。
それと、最近、眠れないと訴える母が、睡眠導入剤を欲しいと言うので、
それを伝えました。
それに対しては、前回貰ったパーキンソンの薬であるメネシットのせいで眠れないと思うので、
夜の服用は止めるようにします、とのこと。
そうすれば、眠れるようになりますよ、とのことでした。
母の気になる症状を言うと、薬を調整してくれます。
アリセプトも前より減ったし、メネシットも前回より減りました。
そうやって、一番調子が良いところを探っていくのですね。
さて、母の病気であるレビー小体型認知症のことを少し。
興味のない方は、どうぞ、スルーしてください。
認知症全般の話として、中核症状と周辺症状というものがあります。
「中核症状」としては、
記憶障害 (記憶力の低下)
見当識障害 (自分の置かれた場所、時間、状況などを認識する力が落ちた状態。失見当ともいう)
判断力の低下
抽象思考の障害
性格変化 (人格変化)
高次中枢機能障害 (失語、失認、失行)
(うまく話せなくなったり、道に迷ったり、着替えができなくなったりする)
「周辺症状」
暴力、暴言、徘徊、独語、妄想、幻覚幻視幻聴、過食、不眠などの陽性症状。
無気力、無関心、無言、うつ状態の陰性症状。
母の場合、レビーなので、このようなもの以外として、パーキンソン症状が強く出ていました。
そして、ここ最近の母の状態は、(あくまで私の主観ですが)
病院に行く前の母は、物忘れ(通帳や印鑑、保険証などをなくす)、ボーとしていることが多い、
しっかりしている時とぼんやりしている時が交互に現れる、
興味のないことには極端に無関心、
足元がおぼつかない、
難しい話を嫌う(理解できない)
寝言で暴言を吐く、
寝言を言いながら布団を叩いたりする、などがありました。
といっても、一人で生活しているので、普通の生活は送れるレベルでした。
でも、「絶対おかしい」と確信し、病院に行きました。
そこで、レビー小体型認知症と診断され、まずはアリセプトというアルツハイマーに使う薬を処方されました。
それを飲みだして、上記の症状のほとんどが改善されました。
ところが、その反面、パーキンソン症状が強く出てきたのです。
手足の震えは、日に日に悪化し、足元もふらつき始めました。
そこで、パーキンソンの薬であるメネシットを処方してもらいました。
すると、手足の震えは激減。
歩き方もだいぶしっかりしてきたのです。
ところが、何やら、性格がキツくなったように感じ始めました。
元気すぎるというのか、攻撃的というか、怒りっぽいというか。
これは、母には言わなかったのですが、
私は内心、困ったなぁと思っていました。
なんだか、母が始終怒っているような感じがしたのです。
メネシットのせいじゃないか、と。
調べてみると、薬には、作用がある反面、それに伴って別の症状も出るのです。
例えば、興奮系薬剤と抑制系薬剤があって、
それによって、陽性症状(怒りやすくなったり、大声、暴力暴言、徘徊、独語、妄想、
幻視、過食、不眠)が現れたり、(母の場合、怒りっぽくなり、不眠になったと思われます)
陰性症状(無気力、無関心、無言、うつ状態)が出たりします。
こんなふうに、薬によっって、症状が改善されたり、それに伴って、別の症状が出たりします。
それを、調整しながら、一番良い状態に持っていってくれるのが、
お医者さまの仕事なのですね。
そして、周りにいる家族は、本人の様子をこと細かく観察して、どんな様子も見逃さないことが大事と
思います。
今日は、長々と書きましたね。
見てくださった方、ありがとうございました。
こうして書くことによって、私は、母の症状の確認をしているのですが、(第三者的視点で)
これから誰もが進んで行く老化のその先にある問題の一助になれば幸いです;笑)
これは、去年の夏、畑仕事をする母と私。
この頃は、まだクワをふるっていましたよ。
今年は無理かな。
寂しいけど、できることをし、その中で楽しみを見つけて欲しいと思っています。
今日も良い日で。
気になることがいくつかあったので、それを先生に伝えました。
介護認定を受けたこと。
それについて、ケアマネジャーさんと今後の方針を決めるのでアドバイスをいただきました。
先生は、「デイサービスやデイケアに行くこと」と。
それと、最近、眠れないと訴える母が、睡眠導入剤を欲しいと言うので、
それを伝えました。
それに対しては、前回貰ったパーキンソンの薬であるメネシットのせいで眠れないと思うので、
夜の服用は止めるようにします、とのこと。
そうすれば、眠れるようになりますよ、とのことでした。
母の気になる症状を言うと、薬を調整してくれます。
アリセプトも前より減ったし、メネシットも前回より減りました。
そうやって、一番調子が良いところを探っていくのですね。
さて、母の病気であるレビー小体型認知症のことを少し。
興味のない方は、どうぞ、スルーしてください。
認知症全般の話として、中核症状と周辺症状というものがあります。
「中核症状」としては、
記憶障害 (記憶力の低下)
見当識障害 (自分の置かれた場所、時間、状況などを認識する力が落ちた状態。失見当ともいう)
判断力の低下
抽象思考の障害
性格変化 (人格変化)
高次中枢機能障害 (失語、失認、失行)
(うまく話せなくなったり、道に迷ったり、着替えができなくなったりする)
「周辺症状」
暴力、暴言、徘徊、独語、妄想、幻覚幻視幻聴、過食、不眠などの陽性症状。
無気力、無関心、無言、うつ状態の陰性症状。
母の場合、レビーなので、このようなもの以外として、パーキンソン症状が強く出ていました。
そして、ここ最近の母の状態は、(あくまで私の主観ですが)
病院に行く前の母は、物忘れ(通帳や印鑑、保険証などをなくす)、ボーとしていることが多い、
しっかりしている時とぼんやりしている時が交互に現れる、
興味のないことには極端に無関心、
足元がおぼつかない、
難しい話を嫌う(理解できない)
寝言で暴言を吐く、
寝言を言いながら布団を叩いたりする、などがありました。
といっても、一人で生活しているので、普通の生活は送れるレベルでした。
でも、「絶対おかしい」と確信し、病院に行きました。
そこで、レビー小体型認知症と診断され、まずはアリセプトというアルツハイマーに使う薬を処方されました。
それを飲みだして、上記の症状のほとんどが改善されました。
ところが、その反面、パーキンソン症状が強く出てきたのです。
手足の震えは、日に日に悪化し、足元もふらつき始めました。
そこで、パーキンソンの薬であるメネシットを処方してもらいました。
すると、手足の震えは激減。
歩き方もだいぶしっかりしてきたのです。
ところが、何やら、性格がキツくなったように感じ始めました。
元気すぎるというのか、攻撃的というか、怒りっぽいというか。
これは、母には言わなかったのですが、
私は内心、困ったなぁと思っていました。
なんだか、母が始終怒っているような感じがしたのです。
メネシットのせいじゃないか、と。
調べてみると、薬には、作用がある反面、それに伴って別の症状も出るのです。
例えば、興奮系薬剤と抑制系薬剤があって、
それによって、陽性症状(怒りやすくなったり、大声、暴力暴言、徘徊、独語、妄想、
幻視、過食、不眠)が現れたり、(母の場合、怒りっぽくなり、不眠になったと思われます)
陰性症状(無気力、無関心、無言、うつ状態)が出たりします。
こんなふうに、薬によっって、症状が改善されたり、それに伴って、別の症状が出たりします。
それを、調整しながら、一番良い状態に持っていってくれるのが、
お医者さまの仕事なのですね。
そして、周りにいる家族は、本人の様子をこと細かく観察して、どんな様子も見逃さないことが大事と
思います。
今日は、長々と書きましたね。
見てくださった方、ありがとうございました。
こうして書くことによって、私は、母の症状の確認をしているのですが、(第三者的視点で)
これから誰もが進んで行く老化のその先にある問題の一助になれば幸いです;笑)
これは、去年の夏、畑仕事をする母と私。
この頃は、まだクワをふるっていましたよ。
今年は無理かな。
寂しいけど、できることをし、その中で楽しみを見つけて欲しいと思っています。
今日も良い日で。
きちんと理論的に認知症を把握して、病院との連携も
細やかにされている。お母様は幸せですね。
私は大ざっぱなのでこのようにきちんと理路整然と
まとめられるか不安です。
娘も今乳がんの疑いで色々受診していて私がいろいろ
情報を届けたのですが、娘は百もt承知のことばか
りでした。
挙句はしばらくそっとしてほしいと言われ、3月末には
検査のための手術をしたはずですが結果はまだ
わからないらしく何も言ってきません。そっとしてお
いてと言われて様子を聞くのも遠慮したままです。
そんな時私があるけないなどと話す気にもなれなく
て私も悶々としています。53歳。
子どももいないので夫婦で何とか切り抜けようとして
いるのでしょうか。
かんたんに行き来できない信州にいるので、気がか
りです。
素敵な親子関係に、つい自分のことを書いてしまいました。
娘もいつも私気遣ってくれて やさしい娘ですが。
そして、良いと思われることは実行する。融通がきかない困った性格です。母からしたら、窮屈な娘だと思います。(笑)
chidoriさんの娘さん、大変な時なんですね。
私も、50歳の時、市町村の検診で乳がんの疑いと言われ、高知医大に通ったことがあります。
結局、乳がんではなかったのですが、その後も、7年くらいは通院していました。
検査の結果がわかるまでの時間は、本当に辛くて、もう死ぬんじゃないかと思って、パニックになっていました。それでも、人前では、いつもと同じように仕事をし、笑って喋っていましたが、心の中は洗濯機の渦の中に放り込まれたような感じでした。
たぶん、娘さんは、今、そんな状況なのでしょうね。きっと、本当に辛い時だと思います。
chidoriさんに甘えられないくらい辛いのだと思います。離れているからこそ、心配をかけまいと頑張っているのでしょうね。
chidoriさんも、足が痛くて不自由でしょうし、心も晴れないと思います。でも、明るいブログを拝見し、こちらも元気をいただいています♪