大河ドラま平清盛の放送も終盤に近ずいているようです。壇の浦の合戦で源氏に敗れ捕らえられた平家の総大将宗盛と、その子清宗が、源義経の護送で鎌倉から京え送られました。その道中で宗盛は滋賀、野洲の大篠原にて斬首されました。息子の清宗は草津の野路で斬られています。写真は大篠原の宗盛が葬られ建てられている胴塚です。子供、宗盛の胴塚は草津にあります。
京、丹波守護代の山城である八木城の城主であった内藤飛騨守忠俊は熱心なキリシタン信者でした。天正7年(1579)の落城の後、徳川幕府のキリシタン禁教令により、高山右近と共にマニラに追放されたようです。城主でキリシタンであった内藤ジョアン(洗礼名)を記念して城を望むこの地に碑が建てられています。碑はキリシタンらしく十字架になっていました。