武弘・Takehiroの部屋

われ反省す 故に われ在り

管理社会と感性の衰退?

2024年08月04日 14時45分01秒 | 芸術・文化・教育

<以下の文を復刻します。>

成熟した社会は「管理社会」になると先に書いたのだが、これには世の中がコンピュータ化したことが大いに寄与している。言ってみれば、コンピュータに管理されているようなものだ。
 それが良いとか悪いとかという問題でなく、現実がそうなってしまった。しかし、それによって人間の実感とか体感というものが劣化したのは間違いない。
 例えば、私の会社員時代に最も大きなショックを受けたのは、給料が「振り込み」になったことである。これはほとんどのサラリーマンが経験していることだが、私の場合はもう何十年前だろうか、それまで現金の入った給料袋を受け取っていたのに、ある日突然、給与の明細書だけ渡され、月給は全て銀行振り込みになってしまった。
 その時は実に寂しい思いをしたものである。しかし、会社が事務処理を早く円滑に進めるためには、給与の銀行振り込みをぜひ実施したいというので、やむを得ずそれに従ってしまった。
 ところが、私の同僚の中には、給与はどうしても現金でもらうことに固執した者が何人もいて、彼らは長い間(定年間近まで)、銀行振り込みを拒否していた。労働基準法24条には、「賃金は通貨で、その全額を労働者に支払わなければならない」とある。
 それはともかく、現金の入った給料袋を持って帰宅すると、妻が待ちかねていたように「ありがとう。ご苦労さま」と言って、押しいただいていたのを思い出す。その時は、自分もちょっぴり優越感にひたり、俺が稼いだ金なんだぞという気分になったものだ。
 ところが、銀行振り込みになってからは、妻が銀行で給料を引き出してくると、その一部を小遣いとして私にくれ、残りは全て彼女が管理するようになった。こうなると立場が逆転して、私が妻から給料の一部をいただいているような“錯覚”に陥る。銀行振り込みを断固拒否している同僚が羨ましく思えた。
 ボーナスの時は袋が分厚く(???)なるはずだが、これも明細書1枚だけだ。銀行振り込みだと紛失や盗難などの心配はないが、これもやはり寂しい。
 いつだったか、業績好調というので「一時金」が現金で支給されたことがあった。この時は嬉しかった! 袋を開けて10数万円だかを取り出し、さっそく飲みに行った。帰宅して女房にたしか2~3万円だかくれてやったが、別にやらなくても良かったのに・・・(笑)。 つまり、人間は給料などを現金でもらうと“実感”が湧くのである。この実感や体感が大切なのだ。これがアナログ的感覚なのである。
 ところが、世の中がコンピュータ化されデジタル社会になってくると、このアナログ感覚が失われる。何かバーチャル(仮想的)な感じになってくるのだ。頭の中では分かっていても、実感や体感が失われてくる。
 仕方がない面もあるが、この実感の喪失というのが危険ではないのか。何か人間が“ロボット”のようになっていく気がする。つまり「感性」の薄い人間ばかりが増えてくる気がする。そう言えば、未来の戦争はロボットが主体で行なわれるそうだが、そうなると人間はコンピュータやボタンをいじっていれば良いのか。
 話が少しそれたが、バーチャルな世界で育ってくると、仮想世界が現実の世界に見えてくる。バーチャル・リアリティというものだ。
 しかし、人間というのは本来、実感や体感を欲しているのだ。悪い例だが以前、飛行CPゲームだかに凝った航空機マニアが、実際に機長を刺して飛行機を乗っ取り、東京のレインボーブリッジの下を通過しようとした事件が起きた。つまり、彼は仮想世界を実感や体感で経験したくなったのだ。仮想と現実の区別がつかなくなったのである。
 人間本来の「感性」は大切なものだが、コンピュータに管理された社会では“頭でっかち”な若者が育ち、彼らは時々とんでもない事をし出かすことがある。
 それは人間本来の情緒を無くした者が、仮想の世界から現実に戻ろうとする時によく起きるのだ。こうした傾向はさらに強まるだろう。しかし、誰もそれを食い止めることは出来ない。世の中がますますそういう方向へ進んでいるからだ。
 今日は少しまとまりのない話になったようだが、感性のある方だったら筆者の言わんとすることを“感得”してくれたかもしれない。(2010年3月30日)


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追記 (矢嶋武弘)
2020-02-13 10:27:34
給料袋から現金が消えて、明細書だけになった時はたしかにショックでしたね。
しかし、その前に「3億円強奪事件」などが起きて、銀行振込みが安全だという風潮が出ていました。今から考えると、これは当然の時代の流れだと思います。
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実感や体感 (矢嶋武弘)
2020-02-08 11:23:33
遅くなりました。
人間はほんらい実感や体感を求めていると思います。それが、生きている証しですから。
どんなに車や交通手段が発達しようとも、人間は自力でも走りたがるものです。だから、競走やスポーツなどは決して無くなりません。いや、ますます多くの種類のスポーツが生まれるでしょう。
同じように、視覚や聴覚、触覚など五感に訴えるものもますます増えると思います。
世の中はAI・人工知能などが進化していますが、その一方で、五感などの“生命力”がかえって求められるのではないでしょうか。
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Unknown (おキヨ)
2020-02-07 12:51:13
はるか昔そういうことがありましたね。私の場合は夫から薄~~い給料袋を頂く側でしたが、それでも現金の入った袋と銀行振り込み明細書だけの袋とは気分的に格段の違いがありましたね。
夫に対する感謝の念も明細書並みの薄さに変った?☺
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労働基準法 (矢嶋武弘)
2014-09-17 07:00:20
keitanさん、労働基準法第24条では「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。」とありますね。ただし、現物支給なども可能だそうです。
コンピューターのことはともかく、例えばラブレターなどは活字ではなく、肉筆で書きたいものです(笑)。これが実感、体感と言うんでしょうか。
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現金と預金 (keitan)
2014-09-16 17:19:19
会計では、勘定科目を全て細分化すると現金と預金は別の勘定となりますが、大雑把な分け方では『現金預金』と言い、同じ勘定とすることもできます。
 『現金預金』とは即ち「預金は現金に区分される」ことを意味し、振込による支給でも現金支給と同じ、即ち労働法の規定には反しません。

 コンピューターが普及すると実感を失うと言うのはコンピューターに実感をなくす作用や性質があるのではなく使う人がコンピューターを用いてすることの意味や記憶されている情報の意味について考えないからでしょう。言わば「押せば(叩けば)何とかなる」と言う気構えでしているのでそうなって来るのです。
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