武弘・Takehiroの部屋

われ反省す 故に われ在り

青春流転(9)

2024年08月12日 02時42分26秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』

そんなある日、行雄の一年先輩で、大学の国文科に籍を置く笹塚健一が「君とぜひ話しをしたい」と誘ってきた。 笹塚も全学連の運動に参加していたから、行雄は高等学院の頃から彼とは顔見知りだった。

 笹塚はこれまで二、三度、話しをしたいと誘ってきたことがあるが、行雄は気乗りがせず、多忙を理由にして断ってきた。彼との話し合いが嫌だったのである。 本当の理由は、笹塚の評判がマル学同の中で芳しいものでなかったからである。

「彼は革命思想を食いものにしている人間だよ。 自分だけを良い子に見せたがるアナーキストだ。いわば、革命の“ジプシー”みたいなものだね」 大川やマル学同の学生達は、よくそんなことを言っていた。

 ジプシーとは、革命運動の“放浪者”ということか。 いずれにしろ、安保闘争が高揚期を迎えて忙しい時に、どうしてジプシーとゆっくり話し合いをしなくてはいけないのか。 行雄は忌々しく思ったが、笹塚が執拗に誘ってくるのでとうとう根負けし、彼と短時間話し合うことを承諾してしまった。

 ある日の夜、大学近くのS喫茶店に行くと、笹塚は、色白で小太りの目がクリクリした女子大生と一緒に、行雄を待っていた。 

「村上君、紹介するよ。この人は英文科にいる瀬戸山史子(ふみこ)さんだ。 君の家の近くの蕨市に住んでいるんだよ。彼女は僕と同じ日比谷高校の出身で、高校時代からの友達なんだ」

 笹塚に紹介されて、行雄は仕方なく「僕、村上です」とぶっきら棒に挨拶した。 「村上さん。わたし以前から、あなたが電車で高等学院に行くのを知ってましたよ。 だって、あなたは全学連の運動に熱心だったから、同じ電車に乗っていた時は注意して見ていたの。ごめんなさい」

 瀬戸山が明るい声で微笑みながら語りかけてくるので、行雄は面食らった。 彼女は、彼より一年先輩だという態度が少しにじみ出ているようで、行雄はあまり面白くない感じがしたが、微笑むと童顔の瀬戸山の表情はけっこう可愛らしく見えた。

「まあ、そんなことはいいだろう。 時間もあまりないから、早速本題に入ろうよ」 笹塚はコーヒーを一口飲むと、改まった顔付きになり話しを始めた。 「ねえ、村上君。 君は革共同がやろうとしている革命について、疑問を感じたことはないのか?」 彼は度のきつい近眼鏡の奥から、細い目を光らせながら聞いてきた。

 それはどういう意味なのかと行雄が反問すると、彼は次のように言葉を続けた。「革共同もブントも、革命を志向しているのは正しい。 その点はまったく同感だ。だから僕だって、君達のデモにはいつも一緒に参加している。 しかし、問題は、人間が本当に解放され自由を得ることができるのは、共産主義社会になってからという理論にある。

 その理論からいくと、理想社会が実現するまでは、人間はプロレタリアート独裁といった、ある権力の統制や支配を必要とすることになる。 こうした理論が本当に正しいのだろうか。君はどう思う?」

 行雄はすぐに切り返した。「プロレタリアートの独裁といったものは、やはり必要だろう。 マルクス、レーニンも言っているように、ブルジョワジーの反革命を防止し、これを抑えるためにも、一時的にプロレタリアートの独裁は必要だ。 現にロシア革命でも、さまざまの反革命が起き、それをレーニンやトロツキーらが革命政権の権力によって鎮圧したではないか」

「それなら、反革命を鎮圧した後、ソ連ではどうして国家がなくならず、逆に国家権力だけが強大になっていったのか?」 笹塚がすぐに追及してきた。

「それは簡単な理由さ。 スターリンが一国社会主義という間違った理論によって、ソ連の官僚支配を徹底させていったからだ。 だから僕らは、スターリニズムに反対して、日共とも闘っているのだ」「それじゃ、どうしてスターリニズムがソ連では勝ったのか?」

「それは、トロツキーら民主派の力が弱かったからだ。彼の永久革命論は正しかったが、組織論的に見れば、トロツキーらの力はボルシェビキの中では貧弱で、スターリンらの官僚勢力に屈せざるをえなかったからだ」

 すると笹塚は、またコーヒーをごくりと一口飲んだ後、行雄の顔を“ねめつける”ようにして言葉を続けた。

「村上君、それは違うよ。 君らはトロツキーの力不足などを理由にあげるが、それは間違っている。スターリニズムの根源は、レーニンの前衛党理論の中にあるのだ。 革命を遂行するためには、強力な前衛党が必要であり、革命家は一つの歯車のようになって、党中央の命令や指示に絶対に服従しなければならないという、レーニンの組織論こそ全ての誤謬の出発点なのだ」

 行雄はレーニンを否定する笹塚に対し、怒りを覚えた。「どうしてレーニンが間違っているのか? 彼が訓練された職業革命家の集団、つまりボルシェビキを創ったからこそ、ロシア革命は成功したのではないか。 それ以外の組織で、誰が革命を成功させることができたと言うんだ!」

 すると、それまで黙って聴いていた瀬戸山が口を挟んできた。「ロシア革命の成功、不成功を言っているのではないわ。スターリニズムの根源は、レーニンの組織論の中に内在していると言っているのよ。 あのように党中央絶対という考え方が、必然的に、スターリンによる官僚支配政治を生んでいったとは思わないの?

 たとえ、トロツキーがスターリンに勝っていたとしても、ソ連の国家権力はなくならなかったと思うわ。 トロツキーの方がスターリンより少しは民主的で、多少マシであったというくらいの違いよ。 どちらにしても、ソ連の統制的な国家権力はずっと続いていったはずだわ」

 すぐに行雄が反論する。「君達はメンシェビキみたいな言い方をするね。 それなら、ロシア革命そのものを否定するのか。あのまま、ツァーの専制政治が続いた方が良かったとでも言うのか。 いずれにしろ、ロシア革命を成功させたのは、メンシェビキではなくボルシェビキなんだ」

 笹塚が答えた。「勿論、ロシア革命を否定するものではない。 ロシア革命は、二十世紀で最も偉大な歴史的事業だった。ただ、革命がレーニンの指導原則で成功した所に、その後の不幸の全ての始まりがあるんだよ」

 笹塚はここで皮肉たっぷりの微笑を浮かべると、さらに続けていった。「さっきも言ったように、前衛党絶対という考え方が間違っているのだ。 これでは、党中央が誤りを犯しても、それを正すことは容易なことではない。誰がそれを正すというのか。

 もし、ある党員グループが党中央の方針を批判したらどうなるか。 鉄の規律の一枚岩政党なら、除名されるだけだ。要するに、党員は党の方針や決定に絶対に服従するか、それとも除名されるかのどちらかだ。

 これほど非民主的で、これほど自由のない組織が、どうして人類を解放し人間を自由にすることができると言うんだ! これこそ、お笑いだよ。 それなら、どうすればいいのかと言えば、革命を行なう組織はそれ自体、自由で民主的な性格のものでなくてはならないのだ。 革命の主体が自由でなくて、どうして将来、自由な共産主義社会ができるというのか。

 マルキストは生産力と生産関係のことばかりを言うが、それは人間の自由、人間の尊厳というものとは関係のないことだ。 いくら生産力が無限に拡大し、豊かな共産社会が実現したとしても、それで人間が本当に自由になったと言えるのか。 食えるだけ食え、飲めるだけ飲めれば自由だと言えるのか。

 それによって、国家権力は、またプロレタリアート独裁はなくなるというのか。そんな保証はどこにもない。 要するに、革命を行なう人間、そして、その人間の集合体である組織が、自由を自覚して革命を行なわなければ、絶対に自由な共産主義社会はこないのだ。

 自由という目的のために、手段を選ばずということであってはならない。 自由という目的に達するためには、ここが重要なポイントなんだが、その過程やその手段においても、自由の原則が確立されていなければならないのだ。 村上君、どう思う?」

 笹塚はここで間を置いて行雄の反応を窺ったが、彼の方は黙ったままでいた。初めて聞く革命理論なので、即答ができなかったのである。 笹塚はさらに続けた。「いま言った点については、残念ながら革共同もブントも、もちろん日共も、そんな自由な連帯組織からかけ離れているのだ。

 党中央の決定ということで、日共がどれほど過ちを犯したかは、戦前戦後の日共の歴史を見れば十分に分かることだ。 ところで、この前の四・二六の集会の時だったが、君達は誰からも指示されないのに、自発的に角材や石を集めてきて右翼の襲撃に備えていたね。

 僕は君達の行動をよく見ていたが、ああいう自発的な行動こそ意義があり、重要なのだ。 ああした下からの自由な発想や創意工夫こそ、上の指導部は柔軟に取り入れていかなくてはならない。 そうした自由で、自発的な行動の集積の上に、初めて活気のある革命的な闘争が生まれてくると僕は思う」

 笹塚が、先日の集会での行雄らの行動を褒めたので、行雄は満更でもない気持になったが、ようやく反撃する思いになった。「君の言うことももっともだと思う面もある。 しかし、革命という大事業を完遂していくためには、一糸乱れぬ統一性というか、優れた前衛党の指導体制が確立していないと、成功するのはやはり難しいのじゃないだろうか。

 前衛党員の自発性も大切だが、勝手気ままな行動が許されれば、それはかえって革命運動の足並みを乱すことにもなりかねない。 その辺が難しい問題だと思うのだが・・・」

「勿論、勝手な行動は許されないさ。 しかしそれでも、僕はさっきから言っているように、革命の主体は、自由な諸々の組織の連合体でなければならないと思っている。 その点で僕は、前衛党信奉者というより、はっきり言って“アナルコ・サンジカリスト”ということだ」

「アナルコ・サンジカリスト?」「そうだ。 サンジカ、つまり労働組合が革命の主体となり、ゼネストなどの直接行動によって、ブルジョワ政治権力を打ち倒すというアナーキズムだ。 ヨーロッパでは、スペイン革命の時に部分的に成功した例がある。

 つまり、革命の主体として前衛党を認めず、代りにサンジカの連合体が、革命の主導権を握るというものだ。日本では、大杉栄らが主張してきた。 だから、社会主義政権ができても、生産や分配、その他いろいろの経済活動を取り仕切るのは、国家ではなく、労働組合の連合体がそれを行なうことになるのだ。

 その方が、プロレタリアートの主体性や自発性がより十分に保障され、前衛党による馬鹿げた官僚支配は除かれることになる。 こうした理論が間違っていると思うかい?」 笹塚の説明に、行雄は成る程と思った。 そんな理論は初めて聞いたが、はたしてそれが有効で正しいものなのだろうか。

 行雄が黙り込んでいると、笹塚はさらに続けた。「労働組合というと、君達はすぐに経済主義的で、革命の主体には不向きだと思うかもしれない。 しかし、労働者、プロレタリアートの解放こそ革命の目標ではないか。 いくら前衛党が革命を志向して闘っても、プロレタリアートが自覚しなければ、本当に革命を行なうことはできないのだ。

 だから、革共同だって盛んに労働組合のオルグを行ない、産業別労働委員会なるものを創ってきたではないか。 その意味で革共同は正しいが、革命の主体は革共同ではなく、あくまでも、そうした産業別労働委員会の連合体でなければならないのだ」

 ここで行雄は、最後の反撃に出た。「しかし、そのアナルコ・サンジカリズムというのは、スペイン革命の一部の例を除いて、今までに革命に成功したことがないじゃないか。 成功したのは、レーニンのボルシェビズムであり、同じマルクス主義の流れをくむ毛沢東主義だけではないか!」

 彼の反論に刺激されたのか、暫く黙っていた瀬戸山が、遮るような形で甲高い声をあげた。「成功や失敗のことを言っているのではないわ! 理論が正しいか、正しくないのかを言っているのよ。そんなことを言うなら、レーニンがロシア革命に成功するまでは、マルキシズムなんか、大抵の社会主義者に敬遠されていたと言ってもいいくらいよ。

 だから私達が言いたいのは、アナーキズムや、その一つの革命手段であるアナルコ・サンジカリズムという理論が、正しいのかどうかということを問題にしているのよ。 革命が成功したって、その革命が誤った理論によって指導されていたのでは、結果はロクでもないことになるだけだわ。

 だから今こそ、どの革命思想や理論が正しくて、理想にかなうものなのかを徹底的に議論し、検討しなくてはいけないと思うの。 わたしは、革共同の皆さんが、そこまで真剣に考え抜いているとは思えないわ」

 笹塚と瀬戸山の弁説に押された感じになり、行雄は困惑して答えた。「君達の言おうとしていることは分からないではないが、もっと勉強しないと何とも言えないよ。 それよりもまず、安保闘争だ。 安保闘争を徹底的にやっていくことが第一だ!」

 二人はどっと笑った。「それはそうだ。安保闘争は徹底的にやらなければならん。その点では一致している」笹塚がニヤニヤしながら答えた。 その後も三人は議論を続けたが、行雄はアナーキズム(無政府主義)というものの輪郭が、おぼろげに分かるような気がしただけだった。

 別れ際に笹塚が、クロポトキンの「パンの略取」とソレルの「暴力論」という、二冊のアナーキズム関係の本を貸してくれたので、行雄はそれを持って帰宅した。


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2 コメント

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誰も言わなくなったプロレタリアート独裁 (ヒロシ)
2016-02-24 18:39:30
40年前に書かれたとありました。そうすると70年安保時代ということになりますが、浅間山荘事件のような凄惨昏迷に落ち込んで行く学生運動の時代ですね。総括という用語が流行っていたように記憶しますが、この小説の作者はその辺をどのように総括していくのか、今後の進展がたのしみです。
フランス革命以降今日まで基本的にブルジョアジー独裁が続いています。それとの対比でプロ独があるとおもっているのですが、あまりに刺激的な用語ですから、口にするのが憚られる、そういうことではないでしょうか・・
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プロレタリアート独裁 (矢嶋武弘)
2016-02-25 07:25:30
この小説は70年安保とは関係ありません。あくまでも60年安保です。主人公はやがて挫折、転向していきます。
「プロレタリアート独裁」というのはもう死語になりましたね。たしかに、もう誰も言いません。当然だと思います。
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