担任の杉崎は興奮していた。昼の掃除時間に生徒の太郎と良夫がつかみ合いのけんかをしているのを仲裁に入ったのだが、放課後教室に二人を残して言い分を聞いていると昨晩の学園ドラマが脳裏によみがえってきたのだ。杉崎はいつのまにか、ドラマの熱血教師と一体化して、普段と声も口調も変わっていた。
「なんだ太郎、良夫の言ってるのと違うじゃないか。これはどちらかがウソを言ってるってことだ。いいか、確かに青春は傷つきやすいものだよ。」(この時目の前の生徒がまだ小5であり、「青春」と呼ぶにはいささか早すぎるということをすでに忘れていた)「しかしな、ウソは許さん。オレは絶対許さん貴様らこうなったら体で決着をつけろ。おれがレフリーをやってやる。決闘しろ!」
太郎と良夫はビックリした。先生が仲裁してくれると思っていたのに、教室の中で暴力をけしかけるとは。そのためらいが杉崎をさらに興奮させた。「お前ら、決闘する勇気もないのか、それで青春と言えるか」と不必要に「青春」に拘泥し、罵声を浴びせて、二人の足首を蹴飛ばした。
尋常でない担任の興奮ぶりに恐怖した二人はしょうことなしに組み合った。しかし恐怖のあまり硬直した足がもつれて、太郎が転び、太郎の服に手が絡まった良夫が腕から床に落ちた。
良夫が学校中に響くような悲鳴を上げた。生徒や教師がこの教室に集まってきた。「決闘のレフリー」は我に返った。そこはドラマの熱血高校とは違う、川崎市立小学校の自分の職場であり、目の前には手首を骨折して泣いている自分の生徒がいた・・
というのが読売新聞22日の記事に基づく実況中継ですが、この「決闘」をけしかけた先生の頭には「脚本」があったんでしょう。
取っ組み合いをする太郎と良夫。いつまでたっても決着がつかず、ついに床の上で二人大の字になって倒れ込む。良夫、太郎を見遣ってニヤリと笑う。太郎、良夫に微笑み返す。杉崎「よーし、二人ともこれで納得したか」。窓から夕日が見える。3人並んで夕日を見つめる・・・
学園ドラマで生徒のけんかがあると、先生は「暴力はやめろ」なんて野暮なことは言わずに好きなだけやらせるのがお約束で、たいていは上のようなベタな展開で締めくくっています。この学園ドラマ好きの先生もパプロフの犬のように反応しただけという言い訳も可能でしょう。
しかし問題はこの事件が一年半経って明るみに出たときの校長のコメントです。
「子供たちにぶつかっていくような姿勢で指導しようとするあまり、教育的な指導を超えた部分があった」
そうですか校長先生、あなたは例えば猥褻教師をかばうときは、「子供たちとのふれあいを重視するあまり、教育的な指導を超えた部分があった」
盗撮教師をかばうときは「生徒の健康状態を記録するあまり、教育的な指導を超えた部分があった」
とおっしゃるんでしょうね。でも、実際には管理職としての自分の立場を守るあまり、教育者としての視点を忘れているんじゃありませんか。日本では「決闘罪」(明治二十二年法律第三十四号)があるので、これは犯罪教育になります。
そして教育委員会も「処分するほどでない」と事件のもみ消しを図っている。隠蔽と口裏合わせと言い逃れ。日本型犯罪の3点セットを教育現場の幹部が率先して「教えて」いるわけで、世間を騒がせている耐震偽装問題のルーツは案外こういうところにあるのでないかという気がします。いわゆる”グル”の構造と舌先三寸の責任逃れ。
(文中の人名は仮称ですが、ストーリーは報道に基づいています)
「なんだ太郎、良夫の言ってるのと違うじゃないか。これはどちらかがウソを言ってるってことだ。いいか、確かに青春は傷つきやすいものだよ。」(この時目の前の生徒がまだ小5であり、「青春」と呼ぶにはいささか早すぎるということをすでに忘れていた)「しかしな、ウソは許さん。オレは絶対許さん貴様らこうなったら体で決着をつけろ。おれがレフリーをやってやる。決闘しろ!」
太郎と良夫はビックリした。先生が仲裁してくれると思っていたのに、教室の中で暴力をけしかけるとは。そのためらいが杉崎をさらに興奮させた。「お前ら、決闘する勇気もないのか、それで青春と言えるか」と不必要に「青春」に拘泥し、罵声を浴びせて、二人の足首を蹴飛ばした。
尋常でない担任の興奮ぶりに恐怖した二人はしょうことなしに組み合った。しかし恐怖のあまり硬直した足がもつれて、太郎が転び、太郎の服に手が絡まった良夫が腕から床に落ちた。
良夫が学校中に響くような悲鳴を上げた。生徒や教師がこの教室に集まってきた。「決闘のレフリー」は我に返った。そこはドラマの熱血高校とは違う、川崎市立小学校の自分の職場であり、目の前には手首を骨折して泣いている自分の生徒がいた・・
というのが読売新聞22日の記事に基づく実況中継ですが、この「決闘」をけしかけた先生の頭には「脚本」があったんでしょう。
取っ組み合いをする太郎と良夫。いつまでたっても決着がつかず、ついに床の上で二人大の字になって倒れ込む。良夫、太郎を見遣ってニヤリと笑う。太郎、良夫に微笑み返す。杉崎「よーし、二人ともこれで納得したか」。窓から夕日が見える。3人並んで夕日を見つめる・・・
学園ドラマで生徒のけんかがあると、先生は「暴力はやめろ」なんて野暮なことは言わずに好きなだけやらせるのがお約束で、たいていは上のようなベタな展開で締めくくっています。この学園ドラマ好きの先生もパプロフの犬のように反応しただけという言い訳も可能でしょう。
しかし問題はこの事件が一年半経って明るみに出たときの校長のコメントです。
「子供たちにぶつかっていくような姿勢で指導しようとするあまり、教育的な指導を超えた部分があった」
そうですか校長先生、あなたは例えば猥褻教師をかばうときは、「子供たちとのふれあいを重視するあまり、教育的な指導を超えた部分があった」
盗撮教師をかばうときは「生徒の健康状態を記録するあまり、教育的な指導を超えた部分があった」
とおっしゃるんでしょうね。でも、実際には管理職としての自分の立場を守るあまり、教育者としての視点を忘れているんじゃありませんか。日本では「決闘罪」(明治二十二年法律第三十四号)があるので、これは犯罪教育になります。
そして教育委員会も「処分するほどでない」と事件のもみ消しを図っている。隠蔽と口裏合わせと言い逃れ。日本型犯罪の3点セットを教育現場の幹部が率先して「教えて」いるわけで、世間を騒がせている耐震偽装問題のルーツは案外こういうところにあるのでないかという気がします。いわゆる”グル”の構造と舌先三寸の責任逃れ。
(文中の人名は仮称ですが、ストーリーは報道に基づいています)