「おーーっと、私の右手にまさに透視通りに時計台のある学校が見えて参りましたぁ~!」と興奮するレポーター。「
ふん、時計台のない学校の方が珍しいで」と引き気味の視聴者の突っ込みが届かないのか、スタジオのゲストコメンテーターたちはわざとらしく身を乗り出して、「時計が円いのが透視と一致していますね」
(まあ三角の時計はないやろ)と色めき立つ・・・・
テレビ朝日の「TVのチカラ」(以降「チカラ」と略)「超能力捜査」のおなじみの場面である。
この「チカラ」に神戸の小学校が抗議した
。
<テレビ朝日の情報番組「TVのチカラ」で「殺人事件の容疑者が近くにいる」として、神戸市東灘区の小学校の名前や外観、地図を放映したため、同校は七日までにテレビ朝日に抗議した。>、< テレビ朝日などによると、同番組は五日午後八時から全国ネットで放送。霊視能力者が一九九○年に札幌市で発生した殺人事件の容疑者の居場所を探る内容だった。>
(神戸新聞12月7日)
不思議なのはこの時効間近の「容疑者」の居場所は特定され、局は警察にも通報しているというが、いまだ逮捕には至っていない。
おとといの段階では局は「番組の責任者が学校に行って番組の制作意図を説明させていただく」、と強気だったが、昨日になって、「結果として、保護者と児童のみなさまの不安をあおったことになり大変申し訳ない
」と述べた」という
(朝日新聞)。
「超能力者」の登用がウリ
この「チカラ」は、どの局でもたびたび放映される指名手配犯の公開捜査の一種だが、通常の情報番組では視聴率が取れないと判断したのか、「超能力者」を登場させて犯人の居場所などを探らせるのがウリである。「超能力者」に漠然とした地図を描かせ、それをもとにスタッフが車で
駆け回り、「あーっ、あれがその川でないのかぁーっ
」
(興奮しなくても川はどこにでもあるヨ)などど奇声を上げて視聴者に臨場感を持たせて興味をつないでいく。
テレビ朝日の「チカラ」のページに
これまでの公開捜査の実績が上げられていて、確かに犯人が逮捕されたり行方不明者が「発見」された例は多いようではあるが、肝心の「超能力者」がずばり「犯人」の居所
を突き止めて、スタッフが踏み込んで格闘の末取り押さえ
、その一部始終をカメラがとらえたという劇的な解決はまだ一度もないようである。超能力者の「チカラ」でなくて、
視聴者の数の多さの「チカラ」が最も寄与している。
「チカラ」のページには捜査に「協力」しているとされている
「超能力捜査官」なる人物14名のプロフィールが紹介。日本の番組なのに全員外国人なのが大相撲を見るようで淋しいが、それはともかくテレ朝のキャプションが笑わせる
。
ミッシングハンター、伝説の交霊術、遠隔透視、運命をよむ女、まあこのあたりはいいとして、
カナダの英雄、ロシア最強、ポーランド透視女帝、となるともうプロレスの世界だ。「チカラ」が報道番組でなくバラエティーを目指していることがよく分かる。
これら「超能力捜査官」がインチキであると決めつけるような大胆さを
小生は持ち合わせていないが、とにかくその「透視」が外れても責任を取らされていないらしいことはその仕事を継続していることから分かる。
いっそこれら「超能力者」に大相撲のような番付制度を導入して、「給金」に差をつければどうか。日本人の参入も自由化すればいい。”競争原理”の導入で活性化し、これまでのように曖昧な地図でなく、ズバリ住所と氏名を特定するような「超能力者」が出てくるだろう。とにかく、日本のお間抜け番組に出演
しなければ生活が成り立たないというお粗末な「超能力者」
は淘汰されることになる。
「放送審議委員」がすでに今日を「透視」
正直、この「チカラ」は放送コードギリギリの番組だ。今回は少し則を超えてしまったが、内部でも「常に危うさを抱える番組」という評価はあったようだ。テレ朝のHPのたぶん誰も見ないページ、
放送番組審議会報告の2004年2月20日号に、実は外部の放送審議委員からこの番組に対する疑問が上げられている。まさに今日の事態を「透視」したものとして、その一部を転載し、実績の上げられない「超能力捜査官」に替えて、この審議委員を登用するようにテレビ朝日に提言したい。
「”こんなことをして大丈夫なのか”という心配が次々と生まれてくる番組。内容的な展開とは別のところでハラハラドキドキした。」
「透視というツールを使うことで非常にシラける。青少年に影響をおよぼす危険性もあるのではないか?」
「超能力者が出てくるとリアリティーが無くなるのでやめた方が良い。」
「他人の不幸にこんなにも好奇心を持っていいのかと、良心の呵責に駆られてしまう。」
「パネラーの役割がよくわからない」