ミイラの呪いと言えばエジプトのツタンカーメン王が有名だけど、こちらはイタリアで発見されたミイラの「呪い」で関係者が次々と変死しているというニュース。
イタリアの地元紙が報じているということで、まあこれも地域興しかなと思うけど、「イタリア北部のアルプス山中で1991年に発見された約5300年前の男性のミイラにかかわった7人が次々に謎の死をとげ」ている(読売新聞)というのはツタンカーメン王の「呪い」の話しに似ている。
先にツタンカーメンの「呪い」についての誤解を解いておくと、「発掘に関わった全員が変死している」などというのは全くの作り話であることが分かっている(たとえばこのサイトなどを参照)。と言うよりも、なぜぞのような話が捏造されたのかその動機を探る方が、よほど興味深い仕事になるはずだ。
もちろんツタンカーメンの発掘(1922年)に携わった人物はすでにみな死去している。死に方も色々であるが、それは発掘に関わらなくても同じだ。
今回のミイラ(『エッツィ』と愛称がつけられている)は日本では通常「アイスマン」と呼ばれ、日本でも展覧会まで開かれた(上の写真はそのポスター。もちろん「山男」は復元された「アイスマン」)ほどの”有名人”だ。解剖したときに背中に傷があり自然死ではなかったことが判明した。ポスターに『エッツィ』氏の最後の瞬間が図解されているのがお分かりだろうか(白で書かれたマンガ)。
氏が非業の最期を遂げていたことも、「呪い」伝説を産み出す原因だろう。しかし発掘から15年も経つと「関係者」(で、その範囲は?)の中に亡くなる人がいない方が不思議だ。今年10月に亡くなった研究者は「パソコンから『エッツィ』研究データが消えていた」というが、我々でもパソコンから意図しないのに「データーが消えていた」ということはよくあることだ。それも「呪い」なのかもしれないが、せいぜい「さっき殺した蚊の祟りかな」と思うくらいで、まさか5000年前に生きていた人が「介入」しているとは夢にも思わない。
そうなのだ。日本の伝統的な考えでは死者の魂が「この世」に留まるのは「49日」で、あとは別の人間に生まれ変わる。時々成仏できない魂があったとしても、まさか5000年ということはない。そもそも「皇紀」でも二千六百何年だから、「日本国家の歴史」の倍以上まだ現世に執着している「魂」という概念は日本人には全く理解できない。
発見された『エッツィ』氏は享年「46歳ぐらい」(なぜ”ぐらい”が付くのか分からないが)というから、まだ「呪い」をかけ続けているとしたら、「この世」よりも100倍以上も長く「あの世」にいるということだ。「輪廻転生」に失敗し続けているのだろうか。
「輪廻」という言葉を使わなくても、魂の「転生」は別に東洋に固有の考えというわけではない。西洋でもあのピタゴラス学派は魂の生まれ変わりを力説していたという。ただ東洋とちょっと違うのは、古代の哲学者の間で「転生」説批判派が持ち出した論証法だ。「肉体を離れた魂はどこで待機しているのだ。受胎したら飛び込もうと他人のセックスを天からジーと観察しているというのは滑稽ではないか」というのだ。ハハハハ・・全くその通りですが、人類がスケベなのはそのせいでは?
古代や中世と違い、近・現代においては「輪廻転生説」は独自の困難に直面する。それは人口の急激な増加だ。肉体と魂の一対一対応という「カントール集合論」的立場に固執すると当然魂の側の「不足」が避けられなくなる。しばらくは再エントリーできなかった古代人の魂の「ストック」でしのげるがすぐに限界がやって来る。他の動物からの「魂」の供給が避けられなくなった。
よく芸能人などが「あなたは××の生まれ変わり」と「霊能力者」に言われたなどと吹聴しているが、××は「天草四郎」だったり「沖田総司」などの”好感度”の高い歴史上の有名人がほとんどだ。まあそう言わないと「霊能力者」はおまんまの食い上げになるからだが。ただ名前を失念したが、ある芸能人がテレビで、「私は虫の生まれ変わりだと言われた」と告白していた。「過酷な真実」を告げた霊能力者には「天晴れ」をやりたい。ちなみにピタゴラスは人間と他の動物の魂の相互転生を主張していた。
さて、『エッツィ』氏の肉体はミトコンドリアDNAを解析され(母方の親類関係を調べる)、例えばオックスフォード大学のブライアン・サイクス博士によって、平凡なイギリスのマリー・モーズレーという主婦は『エッツィ』氏と同一のDNAを持っていることが発見された。『エッツィ』氏の子孫であるか、少なくとも親戚関係にあるということだ。
一方『エッツィ』氏の魂は恐らくは100回以上?の輪廻転生を経て(”ローテション”の早い日本式ならそれくらいだ)、現在は生身の体を持っているだろう。すでに述べたように現在では「魂」の需要は逼迫しており、「人間経験者」の魂は引く手あまたであるから。
その肉体は「アイスマン展」で”自分”の5300年前の肉体を食い入るように眺めながら、「こいつどんなもん食ってたんだろうね」と隣の恋人に水を向け、彼女に「あんたに似てるわね」と言われて、「こんな”原始人”と一緒にするな!」と食ってかかっていたかもしれない。
最早『エッツィ』氏の魂は5300年前の怨讐を忘れ屈託ないが、DNAは姿を変えずに今に受け継がれているのだ。そして殺し合いの習慣もまた。これこそどんな「呪い」よりも恐ろしいものではないのか。殺し合いをし続けるべく「呪われ」ているとしたら!
今日は除夜の鐘。鐘の数が108回なのはそれが煩悩の数だから。心を縛りつけて修行を妨げる10種の煩悩(十纏<じってん>)と、人々を輪廻の世界に結びつける98種の煩悩(九十八結<くじゅうはっけつ>)とを合わせて百八煩悩と数える(他にも諸説あり)。ああやはり「輪廻」からは逃れられないのですね。
イタリアの地元紙が報じているということで、まあこれも地域興しかなと思うけど、「イタリア北部のアルプス山中で1991年に発見された約5300年前の男性のミイラにかかわった7人が次々に謎の死をとげ」ている(読売新聞)というのはツタンカーメン王の「呪い」の話しに似ている。
先にツタンカーメンの「呪い」についての誤解を解いておくと、「発掘に関わった全員が変死している」などというのは全くの作り話であることが分かっている(たとえばこのサイトなどを参照)。と言うよりも、なぜぞのような話が捏造されたのかその動機を探る方が、よほど興味深い仕事になるはずだ。
もちろんツタンカーメンの発掘(1922年)に携わった人物はすでにみな死去している。死に方も色々であるが、それは発掘に関わらなくても同じだ。
今回のミイラ(『エッツィ』と愛称がつけられている)は日本では通常「アイスマン」と呼ばれ、日本でも展覧会まで開かれた(上の写真はそのポスター。もちろん「山男」は復元された「アイスマン」)ほどの”有名人”だ。解剖したときに背中に傷があり自然死ではなかったことが判明した。ポスターに『エッツィ』氏の最後の瞬間が図解されているのがお分かりだろうか(白で書かれたマンガ)。
氏が非業の最期を遂げていたことも、「呪い」伝説を産み出す原因だろう。しかし発掘から15年も経つと「関係者」(で、その範囲は?)の中に亡くなる人がいない方が不思議だ。今年10月に亡くなった研究者は「パソコンから『エッツィ』研究データが消えていた」というが、我々でもパソコンから意図しないのに「データーが消えていた」ということはよくあることだ。それも「呪い」なのかもしれないが、せいぜい「さっき殺した蚊の祟りかな」と思うくらいで、まさか5000年前に生きていた人が「介入」しているとは夢にも思わない。
そうなのだ。日本の伝統的な考えでは死者の魂が「この世」に留まるのは「49日」で、あとは別の人間に生まれ変わる。時々成仏できない魂があったとしても、まさか5000年ということはない。そもそも「皇紀」でも二千六百何年だから、「日本国家の歴史」の倍以上まだ現世に執着している「魂」という概念は日本人には全く理解できない。
発見された『エッツィ』氏は享年「46歳ぐらい」(なぜ”ぐらい”が付くのか分からないが)というから、まだ「呪い」をかけ続けているとしたら、「この世」よりも100倍以上も長く「あの世」にいるということだ。「輪廻転生」に失敗し続けているのだろうか。
「輪廻」という言葉を使わなくても、魂の「転生」は別に東洋に固有の考えというわけではない。西洋でもあのピタゴラス学派は魂の生まれ変わりを力説していたという。ただ東洋とちょっと違うのは、古代の哲学者の間で「転生」説批判派が持ち出した論証法だ。「肉体を離れた魂はどこで待機しているのだ。受胎したら飛び込もうと他人のセックスを天からジーと観察しているというのは滑稽ではないか」というのだ。ハハハハ・・全くその通りですが、人類がスケベなのはそのせいでは?
古代や中世と違い、近・現代においては「輪廻転生説」は独自の困難に直面する。それは人口の急激な増加だ。肉体と魂の一対一対応という「カントール集合論」的立場に固執すると当然魂の側の「不足」が避けられなくなる。しばらくは再エントリーできなかった古代人の魂の「ストック」でしのげるがすぐに限界がやって来る。他の動物からの「魂」の供給が避けられなくなった。
よく芸能人などが「あなたは××の生まれ変わり」と「霊能力者」に言われたなどと吹聴しているが、××は「天草四郎」だったり「沖田総司」などの”好感度”の高い歴史上の有名人がほとんどだ。まあそう言わないと「霊能力者」はおまんまの食い上げになるからだが。ただ名前を失念したが、ある芸能人がテレビで、「私は虫の生まれ変わりだと言われた」と告白していた。「過酷な真実」を告げた霊能力者には「天晴れ」をやりたい。ちなみにピタゴラスは人間と他の動物の魂の相互転生を主張していた。
さて、『エッツィ』氏の肉体はミトコンドリアDNAを解析され(母方の親類関係を調べる)、例えばオックスフォード大学のブライアン・サイクス博士によって、平凡なイギリスのマリー・モーズレーという主婦は『エッツィ』氏と同一のDNAを持っていることが発見された。『エッツィ』氏の子孫であるか、少なくとも親戚関係にあるということだ。
一方『エッツィ』氏の魂は恐らくは100回以上?の輪廻転生を経て(”ローテション”の早い日本式ならそれくらいだ)、現在は生身の体を持っているだろう。すでに述べたように現在では「魂」の需要は逼迫しており、「人間経験者」の魂は引く手あまたであるから。
その肉体は「アイスマン展」で”自分”の5300年前の肉体を食い入るように眺めながら、「こいつどんなもん食ってたんだろうね」と隣の恋人に水を向け、彼女に「あんたに似てるわね」と言われて、「こんな”原始人”と一緒にするな!」と食ってかかっていたかもしれない。
最早『エッツィ』氏の魂は5300年前の怨讐を忘れ屈託ないが、DNAは姿を変えずに今に受け継がれているのだ。そして殺し合いの習慣もまた。これこそどんな「呪い」よりも恐ろしいものではないのか。殺し合いをし続けるべく「呪われ」ているとしたら!
今日は除夜の鐘。鐘の数が108回なのはそれが煩悩の数だから。心を縛りつけて修行を妨げる10種の煩悩(十纏<じってん>)と、人々を輪廻の世界に結びつける98種の煩悩(九十八結<くじゅうはっけつ>)とを合わせて百八煩悩と数える(他にも諸説あり)。ああやはり「輪廻」からは逃れられないのですね。