八柏龍紀の「歴史と哲学」茶論~歴史は思考する!  

歴史や哲学、世の中のささやかな風景をすくい上げ、暖かい眼差しで眺める。そんなトポス(場)の「茶論」でありたい。

説得すること。

2023-04-02 15:30:38 | 〝哲学〟茶論
 世界は、いま、どこを見渡しても〝対立と分断〟だけが、したり顔でのさばっているように見えます。
 近年になく熱いものやヒューマンなものを感じさせたWBC(World Baseball Classic )のさなか、もちろんBaseballのさかんでない地域には、その感動の波動は縁遠いものなのでしょうが、習近平はロシアに行きプーチンとひそひそと面談し、岸田文雄はウクライナに赴き、自身の選挙活動の癖がとれないのか、「必勝」と書かれた宮島しゃもじ持参し、ゼレンスキーに応援してるよとエールを送る。戦時下にあるということへの驚くばかりのリアリティrealityの欠落は、どうにもならないほど無残としか言葉が見つかりません。
 そして、任期を終えた中国駐日大使との面談をスルー・・・。G7の議長国としての見栄を張ることが、いまの彼にとって最大級の関心事なんだろうと思わざるをえない感じです。

 旧ソヴィエト帝国のノスタルジーNostalgiaに沈んで、泥濘に突っ込んだ感のあるプーチン・ロシアに、いまどきあらためて敵意と対立のメッセージをおくることは、それほど重要なのか。
 〝戦狼外交 Wolf warrior diplomacy 〟と呼ばれる自国至上主義の中国に、そっぽを向いて、いや、毅然とした態度でと思う方々もすくなくないでしょうが、嫌がらせ的な敵意を示したところで、はたして得るものがあるのか。
 <ブルーゲル画『バベルの塔』*旧約聖書:人間が驕って高慢になり、天にも届くバベルの塔を建てようとしたことに怒った神が、言語を混乱させ人びとに「対立と分断」の禍を下したという言い伝えから> 



 世界が〝対立と分断〟の困難な泥濘に足を取られているときこそ、泥濘から引っ張り上げて、乾いた草地を素足で踏みしめることができるようにすること。そのための努力を、世界は、いまこそ迅速におこなうべきではないのか。
 つまり、可能性は薄いかもしれないのですが、やはりウクライナへの侵攻は、理不尽じゃないのか。核などを使うなどとの脅しは止めて、いまから兵を引いて、まずはウクライナの話も聞くのが道理じゃないか。
 その富力で、世界の弱小国に金をばらまき、世界第一等国になるのではなく、儒教道徳の歴史を誇り、徳のある国として世界の困難をともに解決する国の列に加わってもらえまいか。

 いま世界で必要なのは、そうした説得を試みるという態度を持ち続けるということではないかと思うわけです。
 日本は、いまのロシアと同じように、過去の歴史のなかで、〝暴支膺懲〟などという言葉をひっさげて、生意気で根性なしで国家の体をなしていない中国を懲らしめてやると居丈高に言い募り、中国への侵攻をしていきました。
 途中、なんども「和平」を口実に、中国に過大な要求をくり返し、ここまでは皇軍(天皇の軍隊)が夥しい血を流して獲得した権益だと面子や意地を張り、侵略した権益を確保したままでの和平を強要し、ついには中国の人びとだけではなく多くの世界の人びとの恨みを買い、米英を中心とする連合国とソ連まで引っ張り出して戦い、惨憺たる結果を招いたのではなかったか。

 歴史はしばしば、調子に乗って、いい気になって、驕り高ぶって物事を進めても失敗する事例を多く教え諭しています。
 歴史を知らないものだけが、この轍を踏んで改めることを知らない。

 いまやることは、しゃもじをもって景気づけることでもなかったし、ぞんざいな態度で振る舞うことでもないわけで、まずは相手を「理」をもって説得することではないのか。
 「いけないことはいけない」と相手の指導者に面と向かって言う。相手の指導者が聞く耳を持たないとしたら、その周囲にいる人に語りかける。その国の人びとに囁きかける。そして、いろんな国々で心ある人に、一緒に説得してもらう。

 見るところ、いまの世界で、そうした動きを見ることはすくないように思います。まずは、相手の目を見て説得してみる。
 そのためには、自分自身が嘘や偽りを秘めていたのでは、相手を説得できません。
 虚心坦懐な気持ちで、まずは無益な戦争を止めましょう、いったん軍隊は引きましょう、と説得してみては? 占領地は返しませんかと、言ってみては? 世界がロシアを怖がっていることについて、得なことはありませんよと話しかけてみては?
 もともと漢民族国家ではなかった清の拡張政策の時代まで、台湾も新疆ウイグルも中国の領土ではなかったのでは? 「化外の地」(華化の及んでいない地の意味)ではなかった?
 いまのこの状況にあって、むりに「一つの中国」にこだわっても意味がないのではありませんか。東シナ海や太平洋に出たければ、お隣同士、周囲の国々にも納得できるようにしてみてはいかがですか?
  
 言うまでもないことですが、もちろん説得するには、自らの身と心を清廉なものにしておかなければ、その力は削がれてしまいます。
 繰り返しますが、調子に乗って、少なくともしゃもじを送るような〝カルイ〟ことは辞めにしたらと思うわけです。そして、謙虚な態度に終始すること。それが世界を〝対立と分断〟の桎梏から救う手段のように思うわけです。

 ところで、2002年ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんがおっしゃっていたことですが、SDGsの根幹は、地球のためではなく、人類が生き延びるためにいまの手を打っておこうという考え方なんでしょう。生物の一種に過ぎない人間が、たまたま蔓延って、そこで環境悪化を招いてしまっている。そのことが意識されていないのじゃないのか?(『朝日新聞』2023年3月26日)
 言い換えると、SGDsは、どこかに人間の奢りが潜んでいるという趣旨のことをおっしゃっていました。
 「奢れる者はひさしからず」。『平家物語』の一節です。〝対立〟や〝分断〟も、そうした気質から生まれてくるものです。自戒したいものだと思ったわけです。
 
 2023年も4月をむかえ、新たな気持ちで社会に飛び立っていく若者も多いことです。自宅の窓の外に広がる4月の青空を眺めて、そんなことを思っていました。

 それと再度のお知らせですが、この春からはじまる講座の案内をさせていただきます。
 テーマは、「教育」について、〝学び〟について考えます。
 いつもながら、思うのですが、この講座のよさは、わたしのお話が終わってのち、それをネタにzoom上でのみなさんのお話しと、その対話が面白い! 
 みなさんのご参加をお待ちしております。
          
*NPO新人会2023年夏学季講座*
 〝学び〟とは何か?
 「お受験」から「Reskilling」まで!
     ~教育と「国民国家」の現在~

◇期間:<全5講>2023年4月23日~7月2日
◇日時:隔週日曜日<午前11時~12時>
 *全講zoomかGIGAファイル便での受講
◇受講料:全講受講6000円<5回分>
 *学生3000円  
◇附記:各講毎、事前にPDFでレジュメ送付。
    それに沿って講座は展開されます。
【講座内容】
 
いまどきのこの国で、〝教育〟についての話はほとんど個々の記憶(Nostalgia)のなかで語られ、「ドラゴン桜」にせよ「ビリギャル」、「2月の勝者」にしても、その多くは受験の成功者による武勇伝ばかりが幅をきかしています。いかにしてエリートになり得たか、成功したか。親たちも子どもたちも、みな受験の勝利者が成功者であるという呪縛から逃れようとはしません。横ならびの実利のための学歴資本を得ることが最善という〝信仰〟のなんと強固なことか。そのなかで〝学び〟の精神は疎外され、いつの間にか空疎な競争社会とともにそこからの落伍者のニヒリズムが社会を覆ってしまっています。そこでこの講座では、みなさんとの対話の「トポス」を再設置し、「学び」の精神について深く考えたいと思います。
【日程とテーマ】
・第1講(4月23日):
『学問のすゝめ』とは?
 ~序論:〝学び〟は誰のためのものか?
・第2講(5月14日):
「国民皆学」と〝生活綴り方〟
 ~近代「国民国家」の教育とは?
・第3講(6月4日):
「大学」と知識人
 ~エリートと民衆について~
  人財か人格か?
・第4講(6月18日):
「平等」と〝競争〟
 ~再考:戦後「民主主義教育」とは何か?
・第5講(7月2日):
「学び」の現実と「場topos」の現在
 ~結語:いま〝学び〟とは?
☆講外講:7月15日(土)☆
 伊能忠敬の佐原と佐倉「歴博」の旅!(予定)



 
 

 

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