八柏龍紀の「歴史と哲学」茶論~歴史は思考する!  

歴史や哲学、世の中のささやかな風景をすくい上げ、暖かい眼差しで眺める。そんなトポス(場)の「茶論」でありたい。

石牟礼道子さんの言葉

2018-02-12 00:07:15 | エッセイ

 石牟礼道子さんがお亡くなりになりました。九十歳だったそうです。
 年齢的に、ちょうどわたしの母の世代の方でした。
 わたしの母は、もっと以前に亡くなっていますが、
 母と同世代であること、女性として戦前に生まれ、青春期に戦争をむかえ、
戦争への人びとの狂奔を目の当たりにし、そして戦後の動乱と高度成長期という、まさに時代の変容に木の葉のように振り回された世代であったこと。
 生前の母の言葉を記憶の糸から拾い出すとともに、
いま石牟礼さんの言葉をひとつひとつ思い返しているところです。

 『苦海浄土』。石牟礼さんのこの本に出会ったことは、その後のわたしの生き方を大きく変えることになったと思っています。
いま古いノートを取り出して、『苦海浄土』で記された言葉を読み直していますが、
ノートには1973年5月と記録していますから、『苦海浄土』が講談社文庫になって、ほぼすぐにこの本と出会ったのでしょう。

 『苦海浄土』にはつぎのような言葉がありました。

 ・・・突然、戚夫人の姿を、あの古代中国の呂太后の、戚夫人につくした所業の経緯を、私は想い出した。手足を斬りおとし、眼球をくりぬき、耳をそぎとり、オシになる薬を飲ませ、人間豚と名付けて便壺にとじこめ、ついに息の根をとめられた、という戚夫人の姿を。
 水俣病の死者たちの大部分が、紀元前三世紀末の漢の、まるで戚夫人が受けたと同じ経緯をたどって、いわれなき非業の死を遂げ、生き残っているではないか。呂太后をもひとつの人格として人間の歴史が記録しているならば、僻村といえども、われわれの風土や、そこに生きる生命の根源に対して加えられた、そしてなお加えられつつある近代産業の所業はどのような人格としてとらえられねばならないか。独占資本のあくなき搾取のひとつの形態といえば、こと足りてしまうか知れぬが、私の故郷にはいまだ立ち迷っている死霊や生霊の言葉を階級の原語と心得ている私は、私のアニミズムとプレミアニズムを調合して、近代への呪術師とならればならぬ。

 この文章に遭遇したときの衝撃は、いまも鮮明に覚えています。
 「・・・呂太后をもひとつの人格として人間の歴史が記録している」
その一文は、歴史とはけっして過去の事象を並べ立てているものではなく、記録することで、その後に生きる人びとに、その意味を伝える。言い換えれば、歴史というものが、まさに未来と密接に繋がっていることを瞬時に悟らせる言葉としてわたしの心に突き刺さりました。
 そして、・・・水俣病のありようは、けっして「独占資本のあくなき搾取のひとつの形態」などと、したり顔に分析解釈してみたりするものではない。
 人びとは、ともすれば時代や事象を解釈し、分析することで足りてしまい、その結果むしろ、時代や事象に内在している痛苦や辛酸をやり過ごし、自らの肉体や精神を傷つけないで済まそうとしている。石牟礼さんの言葉には、わたしたちが陥りがちな事物からの逃避を静かに諫めているものが多くあります。

 ところで、この本に出会った1973年といえば、それまで各大学で繰り広げられていた学園闘争や全共闘運動は衰退し、セクト間の〝内ゲバ〟(党派闘争)が激化していたころでした。
大学生だったわたしは、そうした時代のなかで、高校生だったときから、弟のように思っていた友人を半ば失いました。
 彼はあるセクトに属していたのですが、その敵対するセクトの学生に頭部を鉄パイプで割られ、その後彼が中年で没するまで、深く障害が残り、生来の快活で饒舌な性質を取り戻すことの出来ないまま世を去ることになってしまいました。
 そうした時代のなかにあって、「・・・私の故郷にはいまだ立ち迷っている死霊や生霊の言葉を階級の原語と心得ている私は、私のアニミズムとプレミアニズムを調合して、近代への呪術師とならればならぬ」と石塊に刻み込むように記された一文に、わたしは深く打たれたのを記憶しています。そしてその感動が、その後のわたしの思考の芯となっていったように思います。

 ・・・意識の故郷であれ、実在の故郷であれ、今日この国の棄民政策の刻印をうけて潜在スクラップ化している部分を持たない都市、農漁村があるであろうか。このような意識のネガを風土の水に漬けながら、心情の出郷を遂げざるを得なかった者たちにとって、故郷とは、もはやあの、出奔した切ない未来である。
 地方に出てゆく者と、居ながらにして出郷を遂げざるを得ないものとの等距離に身を置きあうことができれば、わたくしたちは故郷を再び媒体にして、民衆の心情とともに、おぼろげな抽象世界である未来を、共有できそうに思う。その密度の中に彼らの唄があり、私たちの詩もあろうというものだ。

 「共苦」という心情こそが、わたしたちの故郷ではないのか。
 いまあらためて、この一文を前にして、そんな想いが湧いてきます。
 むしろわたしたちは、人びとと共にする「苦」を無視し、そこから逃れようと足掻くあまりに、他者との関係性を希薄化させ、それとともに自らの未来そのものを閉ざしてしまっているのではないか。
 ともにある苦しみや切なさをたがいに通わすこと。それこそがこの社会を豊かにする糧となるのではないか。

「他者の死は、わたしの死ではない。・・・そこには覆いがたい荒廃が見えてくる」とわたしは、のちに石牟礼さんの言葉に導かれるようにして拙書『セピアの時代』に記しましたが、他者の死とはむしろ自らの死の意味を問い直すもののように思っています。
 人間とはだれもが、あらかじめ存在していた「世界」に参入して、時間が来て死ぬことで、その「世界」から離れていく。そして、「世界」とは、わたしたちが去ったあとも依然として存在し、あらたに参入してくる人びとがまた加わってくる。それがわたしたちの宿命です。
 ならば、そうして加わり、去って行くという循環の「現実」を見据えることなく、その事実から目を閉ざそうとすることは、反対に自らの存在そのものを否定していることになるのではないか。同じように、人びとの痛苦や辛酸を侮辱し無関心であるならば、自らの存在を侮辱することにつながっていくのではないか。
 石牟礼さんの言葉は、そんなふうにして、わたしに多くの示唆を与えてくれる呪文のようでもありました。

「・・・猫を愛撫する気持ちがあれば、そのような手に、健常、障害という差はない」・・・根源的な言葉の重さ。 

 石牟礼さんの紡ぎ出す言葉には、たんに土俗的だとか民衆主義などの概念でとらえられない、いやむしろそうした一切の概念化を破壊する、人間が本性的に持っている、命の叫び、あるいは慟哭というものが脈打っているように思います。混乱と熱狂、衰退と高揚・・・。時代がさまざまに様変わりするなかにあって、不変であるもの、まさに言葉の根源といったものをわたしは石牟礼さんに教えていただいたように思っています。

 石牟礼さんの言葉を何度も噛みしめながら、この「世界」に残っているものの一人として、もう少しの時間を生きていくことになります。

 その意味も含めて、石牟礼さんにこころからお礼を申し上げますとともに、まずは深く深くその死に哀悼の想いを捧げたく存じます。



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