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宇宙の山ちゃん

只今に感謝、ありがとうございます♪

三の酉

2021-07-01 06:10:00 | 神仏
毎年11月、浅草大鷲神社では酉の市が盛大に行われます。

昨年はコロナ禍の中、縮小して開催されたようですが。

11月の酉の日に開催されます。例年は一の酉、二の酉と大体2日行われています。

三の酉まである年があります。
昨年がそうでした。

昔のことですが、浅草近辺に勤務していた時、

「今年は二の酉で良かったね」
という会話が聞かれました。

三の酉の年は火事が多いのだそうです。

最近、火事の報道が多いと思うのは私だけでしょうか。

火事報道を見るたびに思い出します。

大難を小難に
小難を無難に

ありがとうございます。

夏越の大祓

2021-06-30 06:19:00 | 神仏
6月30日は『夏越の大祓』です。
半年に一度の穢れを祓います。

穢れとは、

清らかさ、純粋さ、神聖さなどが損なわれて、よごれた状態になる。よごれる。

②名誉や誇りに傷がつく。

女性貞操を失う。

死・出産・月経などにかかわって忌むべき状態になる。


辞書ではこう記されているようです。


神社は昔から人々の集会所の役目や今の役所的な役割を担っていました。

新型コロナのように疫病が流行り、人口の大半が死亡ということもあったようです。

神社には必ず手水舎があります。ここで手を清め、口を清めますね。

これは正に予防であったのではないかという説もあります。


辞書にある穢れの意味として、

③については犯罪的なものは別として今日日あまり言わないかと、ですよね。

ただ、④については現在も神社参拝を慎むべきとされているようです。

神様とコンタクトが取れると多くの著書を出版している桜井識子氏によると

女性の月の日にお参りしたところ(大宮氷川神社にお参りした時のこと)

神様が遠くに感じられ、結論、その日はお参りしない方がいいとしています。

これは賛否両論ありますし、神社側としても明確にしていないと思います。

死亡については明確に神社庁など参拝を慎む日数を参考に出しています。


神道でいう穢れは、『氣枯れ』であり、氣の枯れたものを祓い、また充実させてもらうのが、大祓であると私は考えています。


ありがとうございます。















奉納 埼玉県地酒

2021-06-15 11:28:00 | 神仏



武蔵一宮氷川神社に奉納されている地酒一覧です。

飲んだことはありません。飲むとしたら私は「浦霞」や「蓬莱」。

八海山は好きですが、純米や純米吟醸は売って無いので。
(あっても高いので買いません、たぶん)

私の晩酌は専らウイスキー🥃です。最初は炭酸水で割ってビール感覚を楽しみ、その後はロックで酔います。

私の本当に好きなウイスキーは、「山崎」ですが、今はありません。

いつも飲めるものではありませんが、誕生日などには飲みたいですね。
 
昔は転勤の時など餞別にいただいたりしてましたが。

「知多」とか買いましたが、予算的に厳しいのでやめ、今や「角瓶」などの2.7ℓを買っています。










武蔵一宮 〜氷川神社 社報 より〜②

2021-05-22 10:47:00 | 神仏
●武蔵一宮という名の通り、旧武蔵国に氷川神社は多くあります。

全国に氷川神社名を冠する神社は、1道1都19県合計289社あります。

埼玉県168社、東京都72社、神奈川県の一部に3社で旧武蔵国で243社あります。

私の学生時代を過ごした広島県や岡山県には存在しません。

北海道から九州まであるのが面白いですね。

大体あっても1、2社ある程度ですが、福井県14社、福島県8社と目立ちます。







●氷川神社の社名は、清らかさ、神聖さを表す氷「ヒ」と

原初の祭祀場が古代からの湧水地である事から古語で表す「カワ」、また、

出雲に流れる斐伊川の名に因むものといわれているそうです。

●荒川は古来幾度も川筋を変え、その流域は度々氾濫に悩まされていました。

氷川神社は農耕・開拓神として篤く崇敬されたことから、荒川水系の守り神としてお祀りされていました。

その他、武蔵武士が移り住んだ先でお祀りしたこともこの分布が考えられています。

以上、社報からご案内しました。




向かって左が門客人神社です。



氷川神社内に摂社「門客人神社」がお祀りされています。

ご祭神は須佐之男命の妻神である稲田姫命のご両親にあたる足摩乳命、手摩乳命とされており、家屋の守護神、門戸の守護神として深く信仰されてきたとのことです。

しかし、本当は縄文時代から祀られていたアラバキ神だと言われています。

アラバキ神は縄文時代に東日本中心に崇敬されていた神様です。

氷川神社内にある、かつて禁足地であった蛇の池は、今も滾滾(こんこん)と湧いています。かつての祭祀場であったと思われます。

出雲系一族がこの地を代わり治めることになり「スサノオノミコト」をお祀りしたが、

元々いた民の祀る土地神様を形を変えてお祀りしたのではないかといわれています。

全国にこうした例は沢山あるようです。時の勢力によって書き換えられることは。








武蔵一宮 〜氷川神社 社報 より〜

2021-05-16 06:46:00 | 神仏
江戸幕府が文化7年(1810)から文政12年(1829)まで、20年の歳月をかけて編纂した全265巻という膨大な地誌『新編武蔵風土記稿』があるそうです。

氷川神社に関しては、由緒として杵築大社(現、出雲大社)を遷(うつ)し祀ったため氷川神社の神号を賜ったこと、

朝野の崇敬の事例、約9万坪の境内地があったこと、

現在の神池につながる御手洗池には蓴菜(じゅんさい)が自生していたことなど多岐にわたる記載がされているそうです。

また、当時の本殿は、男体社、女体社、簸王子社(ひおうじ)と三社あり、男体社と女体社の間には御神木である大杉があったこと、

神仏習合の時代であり、聖観音を祀る本地堂や不動堂などがあったことも記載されているそうです。

当時の境内地を歩いてみたいですね。




修復中のニノ鳥居⛩です。