・・・・・・日ユ同祖論なるものがあるそうで、
今、パレスチナ紛争を見て、「投石に対抗して爆弾を落としている人たちが同祖か」と、
少々、気になっている人がいるようです。以下、抜粋ですが長くなりました。・・・・・・・
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古代イスラエル王国で10支族と2支族が分裂し、両者をイスラエル民族というが、 「ユダヤ人」とは後者の2支族のみを指す。
2支族は「ユダ族」と「ベニヤミン族」から成るが、狭義の意味ではユダ族を「ユダヤ人」と呼ぶ。
尚、 「ユダヤ教」とは、南ユダ王国の2支族が成立した一神教であり、北イスラエル王朝の10支族の信仰とは異なる。
アシュケナジー・ユダヤ人のルーツは、ロシアのコーカサス地方からカスピ海にかけて繁栄したハザール汗国にあり、8世紀頃に国教がユダヤ教となった。
夢蛇説では、スキタイはヒッタイト→ギリシア系騎馬民族である。
彼らはモンゴル高原からコーカサス地方、黒海、カスピ海、そして中央アジアからインド亜大陸まで、ユーラシア大陸全域を凌駕していた。
「失われた10支族」がスキタイ族と合流して日本に渡来した、という説も私は確信しているが、2支族の「ユダヤ人」もヒッタイト人と混血していたし、南ユダ王国滅亡後に一部のユダヤ人はペルシア人に同化した。
両者がどのような関係にあったかは想像の域を出ないが、 「スキタイ系イスラエル10支族」と「スキタイ系ユダヤ人」が存在した可能性を主張したい。
主に北東アジアに「スキタイ系イスラエル10支族」が定住したと仮定し、 「スキタイ系ユダヤ人」がハザール汗国を建国したと私は考えている。
問題は、ハザール汗国は元々、無宗教国家だったとされている事である。
それは、ハザール人がハイブリッド民族だった為に国教が定まっていなかっただけで、個人的な信仰がなかったとは考え難い。
いずれにしても、彼らは何の因果か、ユダヤ教徒になる道を選択した。
事実、ハザール帝国消滅後、東欧のユダヤ人口が爆発的に増えたのは、ハザール人の民族移動が考えられる。
また、ハザール人は、リトアニアの傭兵になったり、ポーランドやロシアに向かったという説も見逃せない。
イスラエル共和国の多くのユダヤ人は、ポーランドやロシアから来たユダヤ人たちだと言われている。
いずれにせよ、ユダヤ人は世界中に離散して各民族に融け込み、白人や黒人になったケースは少なくない。
少なくとも、今日、世界の支配者として君臨する白人系のユダヤ財閥は、もともと黒人系のカナン人で、イスラエル民族との混血の末、ヨーロッパに移住して白人になった可能性が高い。
・・・・・さて、あなたのご先祖は。
テレビにイスラエル人とパレスチナ人が出ることがあるが、
自分と同じ耳の形をしているのはパレスチナ人だ。
ユダヤ教に改宗すればユダヤ人。
大戦後イスラエルに集まった人のどれくらいが本当に同祖なのだろうか。・・・・・
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「スピタメネスの蜂起」より
ソグディアナで反アレクサンドロス闘争を指揮した人物はソグディアナに逃げてきたベッソスを引き渡したスピタメネスであった。
そこで彼が導き出した結論は、正面からマケドニア軍と戦うのではなく、ゲリラ戦と奇襲によってアレクサンドロスに立ち向かうというものであった。
前329年に始まったスピタメネスの蜂起に対して、アレクサンドロスは当初有効な手を打てなかった。しかし前329/8年の冬営中に西方から送られてきた多数の増援部隊(ギリシア人傭兵が主)が到着し、これによってスピタメネスに対して戦う体制を整えていくことが可能となった。
またこのころ、スキタイ人の使節が度々来訪して協力を申し出ている様子が書かれた資料も見られることから、
・・・・・スキタイはもともとギリシャ系でしたか。・・・・・
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紀元前
721年
アッシリア帝国の侵略により北朝イスラエル王国崩壊
607年~586年
バビロニア帝国に征服され南朝ユダ王国崩壊
「バビロン捕囚」奴隷生活
この時代にユダヤ教典タルムードが
生まれユダヤ教が誕生
538年
バビロンから開放され帰郷、パレスチナを復興
この時代にはじめてユダヤ人という言葉が生まれた
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そして、”北朝イスラエル”は紀元前712年にアッシリア帝国によって滅ぼされ、彼らの”奴隷”となるかまたは追放され、”南朝ユダ”はその後アッシリアの”属国”となったが、紀元前597年新バビロニア帝国によって滅ぼされ、彼らは”捕虜”としてバビロニアに連行されます(所謂バビロン捕囚)。やがて、アッシリア帝国は騎馬民族スキタイの度重なる侵攻によって弱体化し、紀元前612年新バビロニア帝国とメディアの侵攻によって滅亡。それによって”奴隷” となった”北朝系イスラエル10支族”は開放され、そのまま騎馬民族スキタイと融合する形で歴史の表舞台から姿を消す事になります。一方の”南朝系ユダヤ人”は、紀元前538年に新バビロニア帝国を滅ぼしたアケメネス朝ペルシアによって開放され、その後ペルシア、マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア、ハスモン朝シリア、そしてローマ帝国の”属国”となり、”イエス・キリスト時代”を経て紀元66年の”第一次ユダヤ戦争”まで続く事になります。
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現在のキリスト教は、カトリックにしろプロテスタントにしろ、白人社会によって築き上げられたものであり、原始キリスト教とは別物である。
そして、仏教と日本も無縁ではない。
釈迦がイエスの予型として誕生したことは既に述べたが、釈迦族は 『日種』 と名乗り、それは 『イエス・キリスト=天照大神』 の象徴であり、日本の国旗にも象徴されている。
そして、天皇のルーツである古代イスラエルのカド族は、釈迦族のルーツでもある。
日月神示に 『悪抱き参らせよ』 という言葉があるが、善と悪を二極化して悪を排除する西洋キリスト文明に対して、慈悲を強調する仏教が、日本と人類を救うと太子は感じていたのではないだろうか。
フリーメーソン研究家の赤間剛氏も、仏教的なイデオロギーによる世界の経済革命を説いている
・・・・・・予型、雛形のような意味らしい。・・・・・
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・・・・・・ガド族の紋章が五七の桐紋と酷似する、という。祖母さんの紋付には五三がついていたが、。ネットで探したが見つからない。ガド族の紋章、どんなものか知っている人がいたら教えて。さて、私はといえば、日斉同祖論者かな。・・・・・・
・・・・・・紋章は次のサイトにあるが、似ているとは無理があるのでは。・・・・・・
支族の歴史
今、パレスチナ紛争を見て、「投石に対抗して爆弾を落としている人たちが同祖か」と、
少々、気になっている人がいるようです。以下、抜粋ですが長くなりました。・・・・・・・
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古代イスラエル王国で10支族と2支族が分裂し、両者をイスラエル民族というが、 「ユダヤ人」とは後者の2支族のみを指す。
2支族は「ユダ族」と「ベニヤミン族」から成るが、狭義の意味ではユダ族を「ユダヤ人」と呼ぶ。
尚、 「ユダヤ教」とは、南ユダ王国の2支族が成立した一神教であり、北イスラエル王朝の10支族の信仰とは異なる。
アシュケナジー・ユダヤ人のルーツは、ロシアのコーカサス地方からカスピ海にかけて繁栄したハザール汗国にあり、8世紀頃に国教がユダヤ教となった。
夢蛇説では、スキタイはヒッタイト→ギリシア系騎馬民族である。
彼らはモンゴル高原からコーカサス地方、黒海、カスピ海、そして中央アジアからインド亜大陸まで、ユーラシア大陸全域を凌駕していた。
「失われた10支族」がスキタイ族と合流して日本に渡来した、という説も私は確信しているが、2支族の「ユダヤ人」もヒッタイト人と混血していたし、南ユダ王国滅亡後に一部のユダヤ人はペルシア人に同化した。
両者がどのような関係にあったかは想像の域を出ないが、 「スキタイ系イスラエル10支族」と「スキタイ系ユダヤ人」が存在した可能性を主張したい。
主に北東アジアに「スキタイ系イスラエル10支族」が定住したと仮定し、 「スキタイ系ユダヤ人」がハザール汗国を建国したと私は考えている。
問題は、ハザール汗国は元々、無宗教国家だったとされている事である。
それは、ハザール人がハイブリッド民族だった為に国教が定まっていなかっただけで、個人的な信仰がなかったとは考え難い。
いずれにしても、彼らは何の因果か、ユダヤ教徒になる道を選択した。
事実、ハザール帝国消滅後、東欧のユダヤ人口が爆発的に増えたのは、ハザール人の民族移動が考えられる。
また、ハザール人は、リトアニアの傭兵になったり、ポーランドやロシアに向かったという説も見逃せない。
イスラエル共和国の多くのユダヤ人は、ポーランドやロシアから来たユダヤ人たちだと言われている。
いずれにせよ、ユダヤ人は世界中に離散して各民族に融け込み、白人や黒人になったケースは少なくない。
少なくとも、今日、世界の支配者として君臨する白人系のユダヤ財閥は、もともと黒人系のカナン人で、イスラエル民族との混血の末、ヨーロッパに移住して白人になった可能性が高い。
・・・・・さて、あなたのご先祖は。
テレビにイスラエル人とパレスチナ人が出ることがあるが、
自分と同じ耳の形をしているのはパレスチナ人だ。
ユダヤ教に改宗すればユダヤ人。
大戦後イスラエルに集まった人のどれくらいが本当に同祖なのだろうか。・・・・・
--------
「スピタメネスの蜂起」より
ソグディアナで反アレクサンドロス闘争を指揮した人物はソグディアナに逃げてきたベッソスを引き渡したスピタメネスであった。
そこで彼が導き出した結論は、正面からマケドニア軍と戦うのではなく、ゲリラ戦と奇襲によってアレクサンドロスに立ち向かうというものであった。
前329年に始まったスピタメネスの蜂起に対して、アレクサンドロスは当初有効な手を打てなかった。しかし前329/8年の冬営中に西方から送られてきた多数の増援部隊(ギリシア人傭兵が主)が到着し、これによってスピタメネスに対して戦う体制を整えていくことが可能となった。
またこのころ、スキタイ人の使節が度々来訪して協力を申し出ている様子が書かれた資料も見られることから、
・・・・・スキタイはもともとギリシャ系でしたか。・・・・・
--------
紀元前
721年
アッシリア帝国の侵略により北朝イスラエル王国崩壊
607年~586年
バビロニア帝国に征服され南朝ユダ王国崩壊
「バビロン捕囚」奴隷生活
この時代にユダヤ教典タルムードが
生まれユダヤ教が誕生
538年
バビロンから開放され帰郷、パレスチナを復興
この時代にはじめてユダヤ人という言葉が生まれた
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そして、”北朝イスラエル”は紀元前712年にアッシリア帝国によって滅ぼされ、彼らの”奴隷”となるかまたは追放され、”南朝ユダ”はその後アッシリアの”属国”となったが、紀元前597年新バビロニア帝国によって滅ぼされ、彼らは”捕虜”としてバビロニアに連行されます(所謂バビロン捕囚)。やがて、アッシリア帝国は騎馬民族スキタイの度重なる侵攻によって弱体化し、紀元前612年新バビロニア帝国とメディアの侵攻によって滅亡。それによって”奴隷” となった”北朝系イスラエル10支族”は開放され、そのまま騎馬民族スキタイと融合する形で歴史の表舞台から姿を消す事になります。一方の”南朝系ユダヤ人”は、紀元前538年に新バビロニア帝国を滅ぼしたアケメネス朝ペルシアによって開放され、その後ペルシア、マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア、ハスモン朝シリア、そしてローマ帝国の”属国”となり、”イエス・キリスト時代”を経て紀元66年の”第一次ユダヤ戦争”まで続く事になります。
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現在のキリスト教は、カトリックにしろプロテスタントにしろ、白人社会によって築き上げられたものであり、原始キリスト教とは別物である。
そして、仏教と日本も無縁ではない。
釈迦がイエスの予型として誕生したことは既に述べたが、釈迦族は 『日種』 と名乗り、それは 『イエス・キリスト=天照大神』 の象徴であり、日本の国旗にも象徴されている。
そして、天皇のルーツである古代イスラエルのカド族は、釈迦族のルーツでもある。
日月神示に 『悪抱き参らせよ』 という言葉があるが、善と悪を二極化して悪を排除する西洋キリスト文明に対して、慈悲を強調する仏教が、日本と人類を救うと太子は感じていたのではないだろうか。
フリーメーソン研究家の赤間剛氏も、仏教的なイデオロギーによる世界の経済革命を説いている
・・・・・・予型、雛形のような意味らしい。・・・・・
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・・・・・・ガド族の紋章が五七の桐紋と酷似する、という。祖母さんの紋付には五三がついていたが、。ネットで探したが見つからない。ガド族の紋章、どんなものか知っている人がいたら教えて。さて、私はといえば、日斉同祖論者かな。・・・・・・
・・・・・・紋章は次のサイトにあるが、似ているとは無理があるのでは。・・・・・・
支族の歴史