ふわゆる~な感じ

タイトルと実際の僕は全然違うと思います。
ふわゆる~な感じにできたらなぁと、日々のことを綴ります。

真心

2005-10-17 00:07:52 | 自己紹介
僕の記憶に間違いが無ければ、今日は『みんなでコラボ』の日のはず。
それでお題は、『真心』。みんなどんな内容で書くのか今から楽しみです。
tatsuyaさんblog de aziendaの仲間を中心としたコラボです。
誰で書けるので書きたいなあって思ったら書いてください。
blog de aziendaに記事もでるのでそこにTBも貼れます。

さて、僕のテキストは、、、


『真心』を辞書で調べてみた。
他人のために尽くそうという純粋な気持ち。偽りや飾りのない心。誠意。

『純粋』『偽りや飾りのない心』
そういう心理状態が一瞬もしくは短い間はあるかもしれない。でも長い時間でみると下心って必ずあるような気がする。
おかげでビル・ゲイツの様な人が慈善事業などを行うと、売名だ、偽善だって言われてしまう。
だから僕は、『純粋』『偽りや飾りのない』『偽善』といった形容詞・形容動詞を信用しない。そんな言葉は、後からつけられたものだし、人の心に浮かぶ様々な気持ちは絶対に押さえられない。純粋な気持ちもあるし、それと同時に下心だってもてる。

僕が信じることができるのは、事実としての行為だ。最近、コンビニでパキスタン地震の募金をした。困ってる人を助けたいと考えてるけど、そのうち僕が被災したら助けてねって気持ちもどこかにある。『純粋』な気持ちと『偽善』な気持ちが同居してる。
どう考えてもこれがそのまんまの僕だ。

気持ちはどうあれ、『僕が募金をした』といいう事実は曲げられないことで、それが偽善であれ純粋な気持ちであれ 『僕が募金した』という事実はすでに存在している。

A: 偽善で僕が募金した。
B: 真心から僕が募金した。

AとB読み比べると印象がかなり違うけど、『僕が募金をした』ことには変わりない。
形容詞や形容動詞はたくさんあり、それはそれで、いい意味でも悪い意味でも生活や気持ちや表現を豊かにする。
でも、本当に信じることができるのは、事実だけだ。そんなことを意識して僕はものごとを見てる。こういう考えで物事をみるとどうなるか実験中と言った方が正しいね。

7分過ぎた。今日も一番のりでありますように。『投稿』!!