はーぴー日記

イラストレーター&デザイナーはらだゆきこの日記です。

言葉が現れるとき

2011-12-10 02:25:04 | Weblog
Say Something Nice



このビデオをながめて思うことは、
見た目ではなにもわからないということ。

デモで街を歩いていて、沿道の人たちを見る。
あちらもこちらを見てる
お互い、短い間だけど、見つめあってる。

デモで歩いてると沿道の人が冷たい、距離を感じる、という人もいる。
たまに手を振ってくれたり、笑顔の人を見てうれしい、という人もいる。

私はとっても正直なところ、沿道の人達の態度ってあんまり気にしてない。
自分がもし街で反原発のデモに出くわしたって、
急ぎの用事でもあって加われないのなら、
手も振らないし「ああ、デモやってるな」って普通の顔して眺めているだけだろう。

沿道の人達の心のなかの、デモへのハードルがすこしでも下がればいいと、
心から願って沿道の人達をみてるけど、
沿道の人達が無関心そうな顔してても、がっかりもしないし、
傷ついたりもしない。
人が何を感じてるかは、見た目でわからない。

もし反応として大事なものがあるとすれば、人々の表情じゃなくて
「写メ」だと思っている。

写真を撮るということは、すくなくともそのデモのことが、もう1人以上に
伝わる可能性があるということ(※公安カメラマン除く)。
こちらが発信しなくても誰ががこのデモのことを伝えてくれる、広げてくれる。
うざいな~と思って、撮るひともいるだろうけど、
すぐに消費されてしまう話題になるかもしれないけど、
とりあえず人がデモに「反応」して行動してるのは確か。
だから写真は撮られた方がいいし、それはよく観察している。

そして、このビデオみたいに「話したくなる場」があれば、
人は自分の気持ちを表明しだすだろう。

クリストフ・シュリンゲンジーフのように、過激な論争を巻き起こすような
やりかたもあるし、このImprov Everywhereはちょっと仕込みがありそうだけど、
それで普通の人達が乗ってくればしめたもの。
方法はたくさんだ。
どうしたら、こんなふうな「場」がつくれるのかな、とずっと考えている。
やっぱり、路上がいいよね。