風韻坊ブログ

アントロポゾフィーから子ども時代の原点へ。

アントロポゾフィーからみた総選挙08~教育という希望

2014-12-13 23:57:15 | アントロポゾフィー
手元にある「日本国憲法」を取り出してみると、
まだ“改正”される前の「教育基本法」が載っている。
なんと素晴らしい遺産を私たちはすでに手放してしまったことだろう。

「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」

この戦後の国家建設への決意につらなる言葉は、すでに消されている。
さらに次の言葉もー。

「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」

私が感動するのは、「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造」という言葉である。

これはアントロポゾフィーの理想でもある。
シュタイナーは、第一次世界大戦が終わって間もない1919年、ヴァルドルフ学校を設立する際に、ある「文化衝動」について語った。
一人ひとりの子どものなかの神性に仕えることこそ教育であり、それによって時代のなかに絶えざる「革新」を起こしていくこと。
文化は、この地上に生まれてくる一人ひとりの人間によって、つねに変容していく。教育は、一人ひとりの人間のなかの「意志」を神性として捉え、その発現のために仕えることだ。
それによって、文化そのものが生命を帯び、それは人類全体の生命に合流する。
このイメージは、かつて私たちが抱いていた「教育基本法」の理念そのものだったと思う。

明日の総選挙を前に、私は思うのだ。
今は、私たち一人ひとりのなかの神性を信じよう。
そして、どのような結果になろうとも、人間のなかの意志とともに歩んでいこう。

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