研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

ラディカル・モメント

2006-10-28 03:03:09 | Weblog
第二代大統領を引退したジョン・アダムズと、第三代大統領を引退したトマス・ジェファソンは、後世から「アメリカン・ダイアローグ」と呼ばれることになる書簡のやり取りを行っている。手紙の文章というのは、外国人にとっては論文よりもはるかに読みづらく、気楽には取り掛かれない。毎日カードに置き換えながら、一つ一つ仕上げていくという作業を続けることになる。そうしないと、いざ論文を書こうというときに使用できないからである。「あれ?これって二人は、どういう見解だったっけ?」と大抵は真夜中に気になり始め、文献から探そうとするが、分厚い書簡集からはなかなか関係箇所が見当たらず、斜め読みしようにも、ほとんど眠っていない頭では、雑で省略の多い英文は容易に頭に入ってこない。そういうわけで、原典に当たらなくてすむようなシステムを作っておかなければならなくなる。

そういうことに倦んでくると、久しぶりに原典を無作為に読んでみる。「やっぱり建国史は面白いなあ」と思う瞬間で、確かに私が専門とする分野は、一般にイメージされる「リサーチ」とは少し違うのかもしれない。音楽を聴く習慣をまったく持たない私は、「合衆国建国の父たち」の言葉を繰り返し「堪能」するのを趣味としている。彼らの言葉の面白さは、膨大な読書を背景に根元から物事を考え、それを簡潔に一行で述べるところで、だからこっちの学力が上がると、同じ文章でもより多くの回答を示してくるのである。例えば、『ザ・フェデラリスト』など、学部学生が読んでも、「政治学」として非常に面白いが、例えば10年くらい修行してから読むと、けっこうニヤリとする箇所が多かったりする。「マディソンって、ずるいな・・・」とかが分かるようになる。私は自分の論文で、「『ザ・フェデラリスト』は、各州の憲法案批准会議を通過させるために書いた政治的な書物だから、憲法解釈や政治史理解に使用するには危険なことが多い。立法者の意志を知りたければ、ジョン・アダムズの1780年のマサチューセッツ憲法案を精読すべきだ」と書いた。1797年の連邦憲法制定会議は、このマサチューセッツの1780年憲法案をたたき台にして議論がなされたのだから。

このマサチューセッツ憲法案は、マサチューセッツ西部でダニエル・シェイズなる人物が農民反乱を起こしたのをロンドンで耳にしたアダムズが、大慌てで帰国して作成したものである。こうした経緯と、その後の彼の『ダヴィラ論』を読むかぎり、アダムズにとって「憲法」とは秩序維持のためのものだったことが分かる。こうした憲法観は当時のフランスの、「理想を盛り込む」憲法観と対立するのだが、本当の憲法学的伝統からみるならば、どちらもおかしくて、本当は憲法とは、「国民の権利の保全を求めるために国民から政府に渡すもの」なのである。つまり、「権利の章典」なわけである。だから内容は必然的に「国王は課税を行う際には、~~をしてはいけない」という文体になる。

ところが、国王を追い出してしまった革命アメリカの場合、この専制者がいない。そこでアメリカの立法者たちが作った憲法は「列挙条項」形式となった。「政府は、○○をできる」という文体で、逆に言えば「ここで『できる』と書いていないものは、できないということである」というのがマディソンの主張で、これが共和派の厳格解釈の起源となった。ところが、同じ立法者にして『ザ・フェデラリスト』の執筆者の一人であるアレクザンダー・ハミルトンは、「法文上『できる』と書いていないことが、必要にして適切な措置までを『できない』ということを意味しているのではない」と主張し、連邦政府による財政案を次々に提出していった。この柔軟解釈派が、まもなく政党としての「フェデラリスツ(ハミルトン派)」を名乗るようになる。

こうなるだろうことを予測したジェファソンは、連邦憲法案を受け入れる条件として「権利章典(Bills of Rights)」をつけることを主張した。今の「修正条項」の1条~10条がそれである。ちなみにこの「修正条項」が後に、実質上の憲法改正の装置となった。憲法本文に時代に適合しない部分が見つかれば、「修正条項」として次々に付け足していく。18世紀に作られた合衆国憲法の本文がいまだに改変されていない理由はここにある。本文に手を入れるというプレッシャーの大きい仕事がなされてこなかったので、合衆国憲法ははからずも世界最古の成文憲法となったわけである。

連邦憲法に権利章典を付与するというジェファソンの主張は、ハミルトンには、連邦憲法に対する単純な誤解があるか、あるいは不勉強のように思われた。「列挙条項に記していないことは、すべて国民の自由なんですよ。権利章典なんか必要ないでしょう」というが、ジェファソンが「駄目だ」と言えば、ヴァージニアは動かない。それでマディソンが奔走して、当時はごくごく政治的手段(ジェファソンを納得させるための)として付与された。まもなく、ハミルトンと衝突したマディソンは、ようやくジェファソンがこだわった理由を理解したのだろう。彼は権利章典と厳格解釈派の牙城として活躍する。

こうした時代のことを晩年の二人は、振り返りながら、書簡の中で自分の解釈を説明しあう。「私たちは、互いを説明する前に、死ぬべきではないでしょう」(ジェファソン)という方針の下に。そのやり取りの過程で、独立から憲法制定までに頻発したアメリカ西部の民衆反乱の思い出が出た。アダムズが危惧したのはデモクラシーの暴走で、その根拠を古典古代のギリシャからいくつもの事例を掘り起こし、フランス革命まで話を進める相変わらずの凄まじい教養を披露する。それに対してジェファソンは、次のように回答する。

暴風雨というものが自然を健全に保つのに必要であるのと同様に、時々起こる民衆の暴動は、政府機能の健全さを保つのに必要なものだと私は思います。暴動によって、政府はそれまで放置してきた問題の所在を認識し、よりよい政治制度をつくることができるのです。

これがトマス・ジェファソンの偉大さなんだと思う。ある一定層が「耐え難い」と強く感じるならば、それは確かに統治に何か欠陥があるのである。しかし、平穏な雰囲気での改革は、人類の歴史を見るかぎりできたためしはない。民衆暴動こそが、統治者に改革を迫るものであり、それはジョン・ロックの「アピール・トゥ・ヘヴン」という概念によって正当化されている。「天に訴える」権利は、民衆に留保されていなければならない。それゆえ民衆暴動は、デモクラシーの欠点ではなく、デモクラシーに付随する国民の権利であり、デモクラシーを良しとする以上、統治者はそれを鎮圧するとしても、その主張には配慮しなければならない。もし配慮ができないならば、「革命」しかないのである。

私は、時として日本人のガヴァナビリティの高さに暗澹とすることがある。「増税とは悪しき制度の延命策である」という言葉を聞いたことがあるが誰の言葉だったか。例えば、医療を維持するために増税を受け入れることは、本当の愛国者のすることだろうか。あるいは、年金行政を破綻させないために、国民年金を払い続けることは、愛国者のあるべき姿だろうか。国民は法令を遵守しすぎて、政府を堕落させているのではないか。「まず義務を果たした上で、モンクは言うべし」などという正論が、一度でも改革に結びついたことがあるだろうか。過去の市民革命はすべてルールを放棄することから始まった。無駄を廃した上で、なおかつ高質な医療を実現するためには、ここはあえて支払わないべきなのではないか。国民が、ちゃんと払い続けているせいで、政府が緊張感をもって仕事をできなくなっているのではないか。まずは、干上がらせてみることから始めるべきである。そこまで追い詰めて、初めて改革がスタートするのであり、実は「国民が痛みをともなう改革」というのは、政府の言葉としては完全に語義矛盾なのである。痛みとは、ただ政府のみが受けるべきものである。国民が受ける痛みとは、暴動に際して官憲に捕縛されるさいに殴られるということ以外にはないのである。

こんど、NHKは受信料の未払い者に漠然と「払ってください」と呼びかけるのを改め、特定個人を選び、裁判所を通して個別的に攻撃を仕掛けてくる戦略をとる方針であることが分かった。孤立化させ各個撃破である。当局に中国古典に精通した人材がいるのだろうか。しかし、私はこういうときこそ集団的抵抗と暴動が必要だと思っている。先に出したシェイズの反乱の首謀者であるダニエル・シェイズは、その後どうなったか。彼は逮捕されいったんは死刑判決をうけたものの、翌年釈放された。大集団が行う暴力行為は犯罪ではなく、政治的主張である。シェイズの釈放は端的にそれを示している。