研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

『古典」としてチャールズ・A. ビアードの再発見

2021-06-15 03:48:32 | Weblog
理系の学問については知らないが、人文社会系の学問の場合も近年は新しい研究の方が精度が増す場合が多く見られるが、
その一方で、古い研究が新たに読み直されることも多いのではないかと思う。

アメリカの政党政治を考える必要があり、色々と検討していた時、ふと二人の革新主義時代の研究者の研究成果を思い出した。
Charles A. Beard, Economic Origins of Jeffersonian Democracy: How Hamilton's Marchant Class Lost Out the Agrarian South (Clyde W. Barrow, 2017)

いうまでもなく、『アメリカ合衆国憲法の経済学的解釈(An Interpretaion of the I.S. Constitution of the United States. 1913)』のチャールズ・A. ビアードである。
同書は、アメリカ合衆国憲法は民主主義国家アメリカの聖典ではなく、東部の支配者層の経済的利益の安定のために作られたという建国の父たち及び建国の物語の脱神話化
をもたらしたもの、それも当時は珍しかった経済学的解釈を取り入れることによって、new historyの旗手となったとっくの昔に亡くなっている古い大学者である。

昔のnewは、時代が変わると極端に色褪せ、ちょっと感心するぐらい読まれなくなっている、
経済史の進展、経済学そのものの発達によって、一気に古びたという側面もある。

僕は、実はまだ学説的なことを何も知らなかった学部生の頃、ビアードの『アメリカ政党史』を読んで、完全に政治学・政治史としての明晰さと面白さに魅了された。
だから無理だった僕は、彼を当時のnew historyの旗手とは考えず、政治史として楽しんで読んでいた。

その後、アメリカの政党政治を研究(それ自体が僕の研究対象ではない。アメリカ政治思想史の一つの必要性からだが)する際に、読んだのが
Richard Hofstadter, The Idea of a Party System: The rise Legitimate Opposition in the United States, 1780-1840 (University of California Press, 11969).
これは断然面白く、何よりも思想的にも抜群のクオリティだった。僕の研究分野で政党について何かを語る場合は、これの一点張りだった。

ところが、近年、ドナルト・トランプ後のアメリカ政治について何か語らなければならなくなった時、アメリカ革命史が専門で、多少の自信を持って語れるのが
南北戦争までのアメリカであった僕は、頭を悩ませていた。最新の正統研究は、計量分析か現代政治分析の独壇場で、思想史や歴史の入り込む余地がなさそうだった。
しかし、アメリカのリベラリズムがポピュリズムに圧倒され、党派間対立が深刻なアンタごニズムに陥り、熟議とは程遠い状況になった時、
ふと、この二人の著作が僕の中で輝き始めた。

今なら、ホーフスタッターはもとより、ビアードも政治思想史で料理できるのではないか。
核心的部分は、今年の学会発表のどこかで。