研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

Ownership Societyと脱世俗化するアメリカ(1)

2005-10-12 22:29:25 | Weblog
2005年のジョージ・W・ブッシュ大統領の就任演説について多くの論者は、イラクなど直近の問題が触れられず、漠然とした言葉が羅列され内容はあまりないないだとか、あるいはLibertyやFreedomなど「自由」という言葉が非常に多く使用されていることに注目してそこに何かを読み取ろうとしてみたり、だいたいそういうのが多かったと思う。

しかし、そもそも就任式というのは、ある種宗教的な儀式なので、具体的な問題は触れないのが普通であり、歴代の大統領就任演説もみんなそうだった。基本的には冗談も言わない。具体的な問題は、「教書」で語られる。就任演説は、アメリカおよびアメリカ人の歴史と神との関係が確認される場なのである。18世紀の西ヨーロッパとアメリカ建国の歴史を少し勉強すると、ブッシュの就任演説は、「残念ながら」なかなか含蓄にみちたできばえだと分かる。ライターはよほど教養のある人物なのだろう。一人の大統領就任演説だけを教科書にアメリカ史の講義をすることはいくらでも可能である。それくらい、一文に込められた含意は深い。知識に比例して、読み取れる範囲が広がるのが就任演説の醍醐味である。

私が一読して、もっとも重要であると感じたのは、演説の後半にふっと出てくるownership societyという言葉である。

To give every American a stake in a promise and future of our country, we will bring the highest standards to our schools, and build an ownership society.

私はブッシュの就任演説文の急所はここだと思っている。アメリカ建国の歴史は、やり方一つでownership societyで全部説明することが可能である。また、アメリカの単独主義的外交政策もここから説明できる。しかし、こまったことに日本人には非常に難しい。適切な訳が日本語にはないからである。要するに、「自らの運命を一切他者に委ねない」という建国以来の国是である。「独立自営の農民神話」も「共和主義の精神」も「アメリカのイギリス連邦帝国からの独立」も「ワシントンの告別の辞」も「モンロー・ドクトリン」も「マニフェスト・デスティニー」も、煎じ詰めればownershipの問題であった。ブッシュの就任演説は、この最近衰えているアメリカの理念を教育によって新しい時代に適合できるように再生・強化しようと言っているわけである。

しかし重要なのは、その政治的帰結である。ざっくり言えば、これは社会保障の切捨てについてのブッシュ政権の考え方である。そう考えて、就任演説文を全文読んでみればすーっと合点がいくと思う。

ただし少々気味が悪いのは、これが財政的な苦境から出た言葉なのではなく、現政権の宗教的確信から出た言葉であると考えられることである。すなわちピューリタン的な予定説である。アメリカ人一般ではなく、ピューリタンの建国神話を厳密に検討すると、そもそもピューリタンがアメリカ大陸に移住したのは、「すでに神に選ばれている」ことを確認するためであるのが分かる。日本人はここを誤解しがちなのだが、彼らは救いを求めてアメリカに移住したのではない。すでに神に救いを予定されていることを確認するためにアメリカに渡ったのである。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の勘所もここであって、「一生懸命働くと天国にいける」から彼らは働くのではない。すでに救いが予定されている選ばれたる者は、「合理的的に人生を設計し」「禁欲的で勤勉であり」「はからずも金持ちになる」傾向をもつことを確認するために生きているのである。(もちろん、こんな異常な心理状態は長く続かないので、プロテスタンティズムの強力な社会は急速に世俗化してしまうか、精神病者の子供ができたりする)。

ロックフェラーもカーネギーもモルガンも、自分たちの富は神に選ばれた人間であることの証拠であると確信していたという。こういう彼らにとって、慈善は当然だが、福祉国家は論外である。そんなものは神の御心に対する反逆であろう。神の予定が顕現するのを人為的に操作する試みだからである。そして、ここが日本語で翻訳不能のownership societyのダークな側面である。貧困者は選ばれていないのである。否、アメリカ人は、すでに選ばれているはずなのである。選ばれているはずなのに、そうは見えない現実をどう理解するのか?そこで必要なのが、「回心」である。そしてnew bornすることである。

ブッシュはかつてアル中のろくでなしだった。その彼が回心したのだという。この「回心」がまた日本人には難しい。「改心」とは違うのである。「反省し心を改め、まじめになる」というのとは次元が違う。くるっと、神に救われた存在である自己に気づくのである。その瞬間、世界は変わるのである。完全な宗教体験である。で、気味悪いことに、アメリカ人の4人に1人が、この回心体験をもつ福音主義者なのである。これが強力にブッシュを支持している。そして、ownership societyをブッシュの口を通して語らせた。宗教的確信が政治政策として姿をかえた言葉がownership societyなのである。本当に微妙なのだが、これは聖書に手を置いて宣誓する以上に、政教分離の原則からの本質的な逸脱を表す言葉なのである。