生きている由良川==竹田川編==
竹田川は多紀連山の北麓の栗柄峠に端を発し、三井庄川と合流して北流する。
さらに七日市辺りで黒井川と合流して市島町を越えた辺りで土師川と出合い、さらに北進して由良川となる。
高低差が小さい緩やかな流れである。
並行して走る国道175号線は「水分かれ街道」と呼ばれている。2つの重要な分水界を持っていることから名付けられた。
石生の分水界と栗柄の分水界は、ともに由良川(日本海)と加古川(瀬戸内海)の分水界であり、特に石生の分水界は標高95mで日本一低い中央分水界である。
野村断層
丹波市黒井地区にある断層。丹波市指定(春日町指定:昭和44年8月31日)天然記念物の野村断層。
説明には「断面層はチャートからなり、 走は南北線より26度西に向き、傾斜は65度東へ傾いている。破砕帯の幅は 20m以上で美しい鏡肌をもち断層面の南西側につづいている。その部分は著しく 破砕されているが粘板岩・砂岩からなる。この部分は脆くなっており激しく侵食された結果断層面があらわれたものである。断層の運動量は不明だが、破砕帯の幅からみるとかなり大きいと思われる。 <春日町の文化財より>」
チャートの層がきれいに出ている。
七日市遺跡
竹田川の西岸の埋没段丘と扇状地に位置する。当遺跡から直線距離で北の由良川河口まで40km、南の加古川河口まで55kmで、氷上回廊のほぼ中間点であり2つの河川の結節点にある旧石器時代の遺跡である。遺跡の範囲は10万㎡以上で日本でも最大級で、約25000年前姶良丹沢火山灰を堆積させた火山灰層の下位層より石器類が出土した。姶良丹沢火山噴火前にはナウマン象の群れが氷上回廊を移動していたと見られ、
それを追って旧石器人は狩猟をしていた様子がうかがえる。主な石器は、国府型ナイフ形石器、局部磨製石器であり、大型動物と中小型動物(鹿、猪など)が同時に存在していた様子が推測される。
丹波大納言小豆発祥の地
丹波市春日町東中が丹波大納言小豆の 発祥の地。「大納言小豆」の由来は、 大納言は殿中で抜刀しても切腹しない ですむということから、「煮ても腹が 割れない小豆」より名付けられた。
黒井城址
黒井城は保月城とも呼ばれ、八上城と並び戦国期の丹波の名城である。織田信長の丹波攻略に、八上城と共に頑強に抵抗し、天正3年明智光秀の大軍に、城主赤井直正は奮闘善戦した。しかしながら直正病没後、この直家も抵抗を続けたが天正7年8月9日、黒井城は落城した。これを皮切りに丹波は明智光秀によって平定されていく。この黒井城は標高375mの猪ノ口山全体が要塞化され、山頂付近に本丸、二の丸、三の丸、東曲輪等の連郭式、階段状に配置されている。今も往時の面影が偲ばれる。
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