猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち13 説経弘知法印御伝記⑥

2012年07月21日 18時32分08秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

弘知上人五段目 

 それから、弘知法印は、弘嗣の手を引いて高野山を目指しました。しかし、遙かなる

越路は、幼い足には、つらい旅です。やがて法印は、弘嗣を負ぶって歩きました。

 あるところまで来ると、弘嗣はこう言いました。

「のう、お師匠様。お話したいことがありますので、降ろしてください。」

法印は、

「言いたいことがあるならば、そこで言いなさい。」

と、先を急ぎます。しかし弘嗣は、

「負ぶわれたままで、お師匠様にお話する事などできませぬ、下へ降りてお話いたしま

す。降ろしてください。」

と、身体をくねって暴れるので、法印は仕方なく弘嗣を降ろしました。すると弘嗣は跪いて、

「外でもありません。七尺下がって師の影を踏まずと申しますのに、如何に幼いとはいえ、

お師匠様の背中に負ぶわれていては、天の仏神がご覧になって何と思われるか。時間は

かかっても、自分で歩いて行きます。お師匠様。」

と言うのでした。父、法印は、我が子の知恵の深さに驚いて、嬉しさが込み上げて来ました。

あまりに愛おしく、父を名乗って喜ばせたくも思いましたが、ようやく思い留まって、

「おお、大人びた弘嗣じゃの。幼い時は、天の許しもあるのだぞ。その上、弟子子と

言えば、師匠は親も同然。幼いうちは、親が抱き育ててこそ人となれるのだから、お前

の言うことも正しいが、幼いうちは親を頼るものだ。ささ、早く負ぶわれなさい。」

と優しく諭せば、弘嗣は、

「おじいさまが、常々仰られていたことは、『鷹は死ねども穂を摘まず。鳩に三枝の礼あり』

と言うことです。鳥類さえも礼儀を知っているのに、師匠と頼みながら、礼儀を失して

は、鳥類にも劣ることになります。負ぶわれるわけにはいきません。どうか手を引いて

いって下さい。」

と、頑なです。これには、法印もほとほと困って、仕方なく手を引いて歩き始めたの

でした。

 先を急ぎたい旅ですが、今年九歳の幼子の足が耐えられるような道ではありません。

やがて、弘嗣の草鞋は血潮に染まって、もう一歩も歩けなくなりました。弘嗣は、足の

痛みに耐えかねて道端に倒れ伏してしまいました。法印は、あまりの労しさに心を痛め

ましたが、負ぶうと言っても聞かず、さりとてもう歩くこともできず、途方に暮れておりました。

 そんな時に、辺りを見回すと、馬が草を食べているのが見えました。近くには今年生

まれたらしい子馬も居ます。土手には、馬子と思しき男が昼寝をしていました。法印は、

この馬を借りて、次の宿まで乗せて行こうと思い立ちました。

「これこれ、あなたはこの馬の持ち主ですかな。次の宿までこの子を乗せていただきた

い。駄賃は望みの通りに払います。いかがですかな。」

と、声を掛けると男は目を醒まして、起きあがると、

「いかにも、私はこの馬の持ち主です。駄賃の仕事でもあれば酒代にでもなろうと、こ

こでお客を待っていました。しかし、見ての通りの駄馬で、子もあるので、遠くへ行く

ことはできません。次の宿までなら駄賃貸し致しましょう。」

と言うので、法印は喜んで、弘嗣を馬に乗せました。法印が、

「我等は高野山へ上る沙門である。まだまだ先の長い旅であるので、道を急いでもらいたい。」

と言うと、馬子は、心得ましたと口を取り、先に立って歩き始めました。ところが、

子馬が急にいななき出すと、母馬も共にひと声いなないたのでした。六根清浄なる弘知

法印は、そのいななきを、こう聞いたのでした。

『子馬が乳を飲みたいと言えば、母馬は、この旅の僧達は高野山へ上る僧。私たちの

菩提に縁ある僧達で、先を急いでいるので、次の宿まで我慢をしなさいと言っている。

さても鳥類畜類に至るまで、人に変わらぬ志し、殊に恩愛の情には変わりは無い。』

と法印は思って、こう言いました。

「しばらく、ここで休むことにしましょうか。子馬に乳を飲ませなさい。」

弘知は、弘嗣を降ろすと、傍らに腰を掛けて休みました。子馬は喜んで母馬の乳を飲ん

でいます。

 すると、不思議なことに、親子の馬はそろって、ばったりと倒れてしまったのです。

いったいどうしたことでしょう。親子の馬はぽっくりと死んでしまったのです。馬子は、

呆れ果てていましたが、法印は少しも驚かず、親子馬の死骸に向かい、尊勝陀羅尼を

読誦しています。やがて、

「如是畜生地獄。到来生死、到来生死。」

と高らかに唱えると、陀羅尼の功徳が現れ、不思議にも親子馬の死骸はかっぱと二つに

割れたのでした。驚いたことに、母馬の死骸の中からは、父、秋弘が、子馬の中からは、

亡くなって久しい法印の母親が現れたのでした。

「珍しや弘友、お前が弘知法印となって、我々を助ける事は、前世よりの因縁と定まっ

た事。又、お前の妻、柳の前が死んだことも、七月半で生まれ出た産子と別れたのも

同じ事。仏の方便は無量であるから、やがて不思議なことが起こるであろう。さて、

我々は、不慮の悪縁によって、たちまち畜生道に落ちてしまったが、お前を子に持った

ことで、二人とも今、兜率天(とそつてん:須弥山の頂上)に生まれ変わろうとしているのだよ。

お前は、本当は観音菩薩であるのだが、衆生済度のためにこの世に生まれたとも知らず、

唯、我が子とばかり思い違いをしておった。お前は、永く即身仏となって、末代まで

衆生に拝まれることになるだろう。有り難し、有り難し。」

と、言いながら、二人は忽然と天人となり、虚空へと昇って行ったのでした。弘知親子

は本より、近郷近在の人々まで、前代未聞の出来事に、拝まない者はありませんでした。

つづく

Photo_2


忘れ去られた物語たち13 説経弘知法印御伝記⑤

2012年07月21日 09時52分46秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

弘知上人四段目 

 弘知法印が高野山に上ってから、既に七年の年月が流れました。弘知法印は、修業を

積んで、六根清浄の大知識となりましたが、さすがに望郷の念断ちがたく、修業がてらに

越路へと足を向けました。加賀と越中の国境である倶利伽羅峠(石川富山県境)に差し掛かると、

道の辺の死人に熊や狼が群れ集まって、死体を食い争っている所に出くわしました。

弘知上人は、このままでは成仏できないと、哀れに思って、回向をしてあげようと思い、

死体に近づくと、熊、狼が、怒り狂って襲いかかって来ました。法印はこれを見て、

「おお、不憫な獣どもよ。そんなに飢えているのなら、この法印がお前達の餌になって

やるぞ。さあ、早く食え。如是畜生。」(発菩提心が略されているカ)

(諸仏大慈悲方便力、普利法界群生類、尽未来際無疲倦、汝当得四無尋智:空海の四句の文を補う)

と四句の文を唱えると、

忽然と弘知上人の身体から光明が発し、辺りを隅々まで照らし出した。すると不思議な

ことに、死人がかっぱと起きあがり、畜生諸共に天狗と姿を変えたのでした。天狗共は

「弘知を魔道に引き入れてくれる。」

と、襲いかかって来ます。しかし、弘知は少しも騒がず、

「本来、お前達は護法神であるはず。何を血迷っているのか。」

と一喝すると、天狗共は頭を地に擦りつけて、

「倶利伽羅不動よりの仏勅にて、弘知の法力を現し、末世の衆生に拝ませる為、我々に

襲わせたのです。我々の好んですることではありません。」と言うなり、ほうほうの体で

退散したのでした。そこで、法印は、不動尊を参詣して、越後の国へと進まれたのでした。

 さて、無常は世の習いというもの。越後の国では、大沼長者秋弘は、弘友を勘当した後、

孫の千代若を大切に養育して月日を送っておりました。光陰は矢の如し、千代若も九歳

となりました。しかし、どういう宿世の因果からでしょうか、年ごとに財宝は消え失せ、

今はもう、召し使う者もなく、年寄りは九つの孫を力とし、千代若は七十を越えた祖父

を頼りとするばかりです。麻の単衣を身に纏って、秋弘は鍬を担いで野に出で食べ物を

探し、千代若は籠を背負って松の落ち葉を掻き集める毎日です。まったく哀れな次第です。

ある日、千代若が木の葉を集めていると、落ち葉の中から突然に大きな蛇が現れました。

蛇は、

「おお、懐かしの千代若よ。私はあなたの母ですよ。」

と、這い寄って来たのでした。飛び上がって驚いた千代松は、

「のうのう、おじいさま。大きな蛇が、物言って、這い寄ります。」

と、悲鳴を上げて逃げ回りました。蛇は、

「そんなに恐れることはない。千代若。」

と言って、懐かしげに千代若を追い回します。これを見て驚いた秋弘は、走り寄って鎌

で追い払いますが、

「このような蛇は、頭を切り落とすのが一番じゃ。」

と、鍬を思いっきり打ち込んだのでした。ところが、地面に岩でもあったのでしょうか。

蛇はするりと逃げて、自分が打ち下ろした鍬が跳ね返って、秋弘の眉間に突き当たって

しまったのでした。ばったりともんどりを打った秋弘は、そのまま息絶えました。

 千代若は、祖父の死骸に抱きついて泣くばかりです。いったいどんな因果の報いでしょうか。

やがて、事故を知った近所の人々が集まって、千代若を慰めている所に、今は弘知法印

となった父の弘友が通りかかったのでした。人々は、旅の僧を見かけると、引き留めて、

「この死人は、大沼長者秋弘と申す者。昔は大福長者でした。権之助弘友という子がありましたが、

勘当されて行方知れずになり、孫の千代若を育てて月日を送っておりましたが、どうい

う因果からか、次第に財宝を失って、今はこのようにお亡くなりになってしまいました。」

と、詳しく説明をすれば、弘知法印は、我が身の上のことと、はっと驚き、凍り付く涙

を抑えつつ、震える声で、

「それは、不憫なこと。それでは弔いいたしましょう。」

と言いながら近づいてみると、紛う事なき父の秋弘です。傍らに呆然と立っているのは、

間違いなく我が子の千代若です。見れば幼いころの面影が思い出されます。今は亡き妻