明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

雑談倶楽部(5)エリザベス女王と安倍元首相の葬儀の違い

2022-09-20 14:48:24 | ニュース

このところワイドショーで集中的に取り上げられているエリザベス女王の国葬だが、最大20時間とも言われている参列の長さからしてもう、驚きの規模の葬儀である。イギリス人は列に並ぶのを厭わないらしいが、それにしても凄いなと感じた。これはエリザベス女王がどれだけ深く英国民に愛されていたか伺い知れるエピソードだと、メディアがこぞって称賛するところである。

一方、安倍元首相の国葬は国民の哀切の情が何キロにも連なる参列となり・・・ではなく、その逆で先だってのアンケートでは「60%超が反対」だという。彼我の落差に愕然とするわけだが、私はエリザベス女王が偉くて安倍晋三が大したことない、とは考えていない。

両者の違いは「質の差ではなく量の差」だと考えた。

葬儀に参列し、死者を見送る側の悼む気持ちに上下高低の差は無い。あるのは「人数の違い」だけである。家族でつましく暮らしている人々の葬儀ではその知り合い十数人ということもあるし、大企業の現役バリバリの社長が交通事故で亡くなれば、参列者の数は何百人にも及ぶであろう。一方はひっそりと、他方は盛大に行われる葬儀。では、見送られる側の死者にとって、十数人と何百人とでは何か違いはあるのだろうか?

私の考えでは、例えたった一人であっても死者との別れに涙する者が心を込めて葬儀をするなら、その愛と悲しみの涙で現実世界の汚れをすべて洗い流してくれ、人間本来の清らかな魂となってあの世へ旅立っていくものと信じている。全世界の41%が見守るイギリス国葬と、各国要人の参列もまばらな日本の国葬。このような対比は、死者にとっては無用の物では無いだろうか。エリザベス女王も安倍晋三も、あるいは卑近な例であるが私の亡き母の葬儀も、等しく大切でかけがえの無い今生の別れであると思う。

だから安倍元首相の葬儀をむりやり国葬にして、何か偉大な人間だったかのように政治的に盛り上げるのではなく、死者の旅立ちを惜しむ人がいるなら「それに見合った」会場で葬儀を行うのが、少なくとも送る側の「参列者へ配慮」であろう。

岸田首相も変に意地にならず、党内勢力図への配慮なども考えるのやめて、素直に「個人の冥福を祈る場」とするほうがよほど、安倍晋三氏の葬儀には相応しいのではないだろうか。結果として国民の弔意が高まれば、多少お金が掛かるとしても大規模な葬儀になるのはやむを得ないとは思うが。

すべては国民の「全体意思の量」である。決して「質」ではない。このことを岸田首相ももう一度深く考えて、早いとこ国葬を取りやめるのが妥当ではないだろうか。このまま強行すれば、安倍氏の霊に「無用なキズをつける」ことにもなりかねない。安倍氏本人はこの政治利用された「無意味な国葬論議」をどう思っているのだろうか?

悲劇の死を遂げた安倍氏には、静かに別れを告げてあげるのが一番である。


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