明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

紀州のドンファン事件に思うこと

2018-06-06 16:00:00 | 今日の話題
紀州のドン・ファンが薬物中毒死したニュースが報じられている。私の勝手な想像だが、色々と情報を総合して判断すれば、妻と家政婦が共謀して殺害し薬物中毒死を偽装した、というのが見立てである。これは皆さんが思ったとおりの展開だが、殺害方法がわからない。もしかすると、薬物中毒死がそのまま死因かもしれない。まあ77歳で22歳の女性と結婚したんだからこういう結果になることはある程度分かっていたのだが、本人は結構納得づくの人生だったのではないだろうか。女性遍歴の末の終着駅だという意味ではそのとおりになった訳で、「最後の人」というのは間違いなかった訳である。だから死に方がどうであれ、彼は幸せだったと言えるのではないだろうか。この事件にそれほど悲劇性が感じられないのは救いでもあり、また当然の結果だとも言える。

テレビでニュースを見ているだけの素人があれこれ詮索するのはどうかと思うが、今回和歌山の自宅を取り巻いている報道陣の姿を映像を見るにつけ、どうも野次馬根性に振り回されているようで「間違っている」と私は思うのである。周りが騒いでいるといっても遺産を巡る事件だということで誰も悲しんではいないのだから、「本来は関係者だけの捜査」を警察に任せればいいのではないか。興味本位のワイドショーの記者達は個人のプライバシーを尊重しなければならないということを「もっと真摯に考えなければならない」だろう。私も興味本位の一人なので言いづらいのだが、もうこの手のワイドショーは「法律で」止めなければいけない。北朝鮮とかトランプとか森友加計学園とかは大切なニュースだが、このような個人の事件をどうのこうのワイドショーで取り上げるというのは、正当なプライバシーを保護するためには「犯罪として取り締まるべき」というのが私の意見である。

事件の被害者を執拗にインタビューして報道することが「公共の利益にどうつながるのか」と考えれば、ネットや三流週刊誌も含めて、もっとプライバシーというものを大切にすべきだと思う。個人の平穏な生活を破る権利は「誰にもない」というのが、民主主義の原点である。我々は面白いからと言うだけでそれを踏みにじっていないか、真剣に考えなければいけない。だからワイドショーも放送内容を精査して、興味本位のテレビ局や週刊誌やネットを見ないようにすることが「一番大切」なのである。よって今回の事件がたとえ迷宮入りになったとしてもいいではないか、資産家の老人が変死しただけで大した問題ではないし、もしも妻と家政婦の犯罪だったとしても「だからどうだ」ということである。殺された資産家にしてみれば、ある意味では本望である。50億円なんか持っていても使い道に困るわけだから、妻に37億円行ったからといっても何の不思議もないわけで、どうでもいいことである。犯罪を防止するという点からみれば、そういう危険な状態に持って行ったのは本人であり、殺されたのは当然ではないか。好きなように生きるというのが人生なら、彼は「素晴らしい人生を送った」わけである。思い残すことはないだろう、冥福を祈る。

一方、ワイドショーで取り上げるならば、むしろ最後までニュースを報道し「どうしたら犯罪を撲滅させられるか」というところまで踏み込んだ報道を行うことがテレビ局の使命である。色々な事についての世間での議論の出発点になるぐらいの高い意欲があれば、見る事で「社会の役に立つ」という事になる。面白おかしくすることも多少はあってもいいが、肝心の点を忘れてはテレビで放送する資格はない。今のワイドショーや週刊誌それにネットの書き込みを見ていれば、「解決策という答え」を求めていないことが「すべての問題」の原点である。それがなければ「興味本位」といわれても反論できないであろう。自戒も込めて反省すべき点である。だからこれからワイドショーを見るときに「では、我々はどうすべきなのか」と問いかけることが大事だと言える。今回のドンファンの件に関しては、「遺産を溜め込むことは後悔以外の何物でもない」というのが結論である。お金は生きている間に使わなければ。

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