明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

戦後民主主義の中で見失ったもの

2016-02-22 20:00:34 | ニュース
昭和20年、それまで日本を席巻していた軍国主義が音を立てて瓦解した。天皇の敗戦放送に涙する人が多くいた中、やっと終わったと思う人もいたそうである。しかし一本の太い柱が倒れたのだ、人々の心はポッカリと穴が開いたままその日の生きる糧を得るために必死に駆けずり回っていくうちに、朝鮮動乱へと歴史の歯車は転回して空前の繁栄を敗戦国日本にもたらした。あれほど人々の人生のすべてを捧げた神国日本は、あっという間に工業生産で成り立つ経済大国へ変貌していく。平和が、過酷な戦争との対比でスポットライトを浴び、二度と手放してはならない大切なものと認識された。戦争は嫌だ、戦争は悪だ、戦争は何もかも奪って破壊する、それが敗戦国日本の生き残った人々の共通認識だったのである。戦争を完全否定するのに理屈は必要ではなかった、体験からくるトラウマのように心の奥深く刻まれていたのだ。

しかし戦争体験を知らない世代がほとんどになる戦後70年、戦争に対するアンチテーゼとしての平和が、その存在意義を戦争というものが忘れられていくに従って同じように消えていくのは、無理もないことかも知れない。平和を守る或いは平和を語るには、戦争が必要なんだろうか?それは、日本人が本当の意味で戦争の功罪・平和の意義を考えることをして来なかったツケが回ってきたのである。何故あの時、戦争を止めて敗戦を受け入れたのか、人々は天皇の言葉に従った。天皇が「私は負けた、戦争は終わりだ」と玉音放送が告げた、だから国民も銃と刀を置いた。天皇が負けを認めなかったらどうであったか、敗戦の白旗は永久にあげられることなく日本国は消滅していたかも知れない。新しい国名が発表され、国土は分割され、今のイラクのように混乱と汚泥の中に沈んでいたことてあろう。私は天皇を戦争反対だったとか軍部に抵抗したとか言うつもりはない、しかし国民は天皇の為に命を捧げたのである。

国民は戦争の是非を問うことなく、天皇の意思のまま戦争を始め戦争を終わらせた、結局、国民は自分の頭で考える機会を永遠に失ってしまったのである。戦後民主主義は戦争を完全悪とみなし、完全悪たる戦争につながる全てを議論する余地のない悪と位置付けた。曰く、軍隊は悪である。曰く、力は悪である。曰く、民主主義は正義である。金科玉条の対象が大日本帝國から近代日本に変わっただけである。日本人は目標が決まれば、一致団結して猛進猛勉する民族である。ベビーブーマーが世に出て雨後の筍のごとく栄耀栄華の真っ只中を突っ走り、バブルの絶頂を極めて狂乱物価に日本中が沸いたその日、ハタと気がついた。心の支えがない事に気が付いたのである。ベビーブーマーは恵まれている、生きる基本がまだ世の中に厳として存在し、それが崩れる中で必死にこらえている両親世代が目の前にいたから。今、平成28年、子供が生まれ孫が生まれて後期高齢者に入った在りし日の輝ける世代は、自分たちのバックボーンと言われるものが何もないことに苛立つ。

ようやく戦争を直視する時が来た。何故日本は戦争に向かったのか、では無い。そんなことは今頃言っても何の役にも立たない繰り言である。戦争によって得られるもの、平和によって獲得できるもの、それを煮詰め考え続けることが「戦後民主主義との訣別」になる。一度すべてを1から考え直してみよう、それが「戦後」の取れた「民主主義」のスタートである。

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