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明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

今日は色々書いて見ました

2017-09-11 22:45:00 | 今日の話題
1 日本女子プロゴルフ選手権

優勝はイ・チヒだった。イ・ミニョンが第二位。期待の東と柏原は届かず、連覇のかかる鈴木は涙を飲んだ(かどうかは知らないが)。1日目こそアンダーパーが多くでたが、2日目からはトップのスコアが全然伸びず、全くの我慢比べになる緊迫したゲームで、最終日の午前中まではなかなか見ごたえのあるいい試合だった。出だしは良かったのに日本勢が崩れるなかでイ・チヒは耐えまくってパーパットをいれ続けたのは、やはり経験の差が出たともいえる。しかしそれにしても日本勢の不甲斐なさが出た試合である。

東が3位、柏原と川岸と比嘉は4アンダーで4位タイ、葭葉と藤田と鈴木は7位。日本勢がずらずらっと並んでいる中で韓国勢が1・2位と、なんとも拍子抜けする結末で見ていてもちっとも面白くなかった。おまけに雷雨でスタートが遅れたとは言え、生中継を途中で終了して「後はニュースで」とは、視聴者を馬鹿にするにも程がある。こんな最低の放送局は「ゴルフ放送などするべきで無い」し、同様に番組を提供しているスポンサーの商品は、私は金輪際購入などしないつもりである。結局試合はスカイAの完全版を録画して翌日見たが、実に後味の悪い結果だった。

イ・チヒもイ・ミニョンもスター性が全然無い選手だし、ドラマ性も感じられずつまらないことは火を見るより明らかである。、唯一視聴者を沸かせることと言えば東浩子の「苦労人人生に漸く陽が当たった涙の優勝」か、鈴木愛がプレーオフでイ・チヒを下しての「炎の大逆転優勝」かしかない。そのどちらでもない今回の女子プロゴルフ選手権は、「わーわー騒ぐ」ほどでもなかったのだ。

東の三連続ボギーは「落ち着かなければ」と自分に言い聞かせながら、冷静さを取り戻すことができなかった若さゆえだろうか。一度のミスが致命傷となる我慢比べの中で、東も柏原も追い込まれ自滅していった。その点、川岸と比嘉はプレッシャーに強いだけに、今後の活躍が期待できそうである。今回はすっぱり無かったことにし気持ちを切り替えて、川岸・比嘉それに堀琴音を加えた三人の優勝を応援しよう!

2 ゴルフのお助けグッズ

Amazonで買ったブリジストンのスピード計測器が優れものだという話。価格は6945円、まあまあである。実際に練習場に持ち込んで測ってみるとヘッドスピード・ボール初速度それに推定飛距離が表示されて、期待以上の大満足である。これは近頃に無い「とってもいい買い物」をしたと、気持ちよく練習場を出た。ちなみにヘッドスピードは6番アイアンで26メートル/秒、ドライバーで30メートル/秒であった。リハビリ中なのでまあまあ出た方であろう。これから回復の度合いも計測器で数値化されるから、もっと頑張ろうという気持ちにもなってくるので筋トレが楽しみだ。

それにしても昔のことは言いたくないが、コトブキゴルフで測ってもらったらヘッドスピードが45メートル/秒もあったのである。今のクラブなら270ヤード位は飛んでもおかしくない。せめて40メートル/秒位は欲しい、いや、何とかリハビリを頑張って戻してみせよう、今はそう思っている。それと、一つ大事なことがわかったのだが、ヘッドスピードが速くてもボール初速が低い場合があることである。当然飛距離はその分落ちる。

ゴルファーの求めるものは飛距離であるから、ヘッドスピードを上げるよりボール初速を上げていくのが大事ではないだろうか。それで「どうしたらボール初速が最大になるか」と色々試して見たら、インパクトを真っ芯で捉えるとボール初速が最大になることがわかった。いわゆるインパクト効率である。それでマンぶりを少し抑えて、真っ芯で捉えるようにボールをよく見て打つことに努力した。ヘッドスピードは落ちたがインパクト効率が上がって飛距離が伸びた。「これだ!」と思ったが、これはプロのいつもやってることじゃないか、と気がついた。これで私の練習の方向が見えてきたようだ。

3 日本の皇室
日本の皇室は、今岐路に立たされている。現天皇は老齢で公務がままならぬと感じ、生前退位の考えを発表した。海外の王室は「つい最近まで王として国を治めていた」人々の子孫である。フランス革命のように王制を廃止して新しい政府を作った国と比べて、王制を残したまま緩やかに民主政治に移行した国の多くは「王室を象徴」として作り直した。王はもう統治者ではなく、いわば王は臣民と同格である。

さて日本の王室は代々一つの血統が綿々と続いていると言うことになっている。武家社会が台頭して以来明治の王政復古までの長い期間、天皇はこじんまりした貴族社会の内輪だけで細々と生きながらえているに過ぎなかったのだ。それが急に明治以来の天皇親政の時代になって「神」に祭り上げられてしまったのである。そして終戦時の玉音放送で人間宣言をして、本人は元に戻ったかのようであるが実は国民は、「貴種の幻想に未だに引きずられ」て天皇を見ているのである。つまり程度の差こそあれ、天皇は「普通の人とは違う、特別な存在」であると思い込んでいるのだ。

宮内庁は未だにそのような天皇像を頑なに守っている時代錯誤の集団である。私の提案であるが、天皇は政教分離のルールに則り、昔からの伝統である「神道の大祭司」としての地位に戻るのが正しいと思う。仏教が伝来し、一時的にその科学的な構成力に魅力を感じたとしても、日本人の「先祖崇拝の伝統的宗教」には同化していないのが現状であるならば、天皇の本来の役割に立ち戻るべきである。政治の世界から完全に手を引くべき時が来ていると私は思う。

そろそろ天皇が「象徴」の呪縛から解き放たれ、ごく普通の神主さんと同じ立場になることで公務などもお役御免になることを切に望むものである。政府や国民のために偶像となって疲れ切ってしまう前に、ひたすら神のために祈る方がよっぽど彼らにとってストレスがない人生を送れると思う。人は自分の思うように生きるのが、一番いいに決まっている。イギリスの王室だって国民に愛されてはいるけれど、「神聖にして侵す能わざる存在」なんて、誰一人思っちゃいないのだからね。


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