明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

日本の何故?を解決する(6)参院選の争点って、何?・・・その3

2022-06-29 12:05:43 | ニュース

こないだ各党の選挙運動のニュースを見ていて驚いたのだが、今の憲法はアメリカに押し付けられた外来憲法だから、日本の自主憲法に替えよう云々と発言している候補者がいた。自前で作ったんじゃないから取っ替えようという理屈らしい。何でやねん!

そんな偉そうなことを言う前に、まず「アメリカに押し付けられている」米軍基地の返還と米軍駐留思いやり予算を廃止してからにしたらどうなんだ!、と言いたい。アメリカに国を守って貰っていながら、何が自主憲法だというのか。そんな事する前に「唯一の被爆国として、核兵器廃絶に参加表明する」とか、もっとやることがあるだろう、笑わせるんじゃあ無いぞ!、って感じだ。

誰が作ろうと「出来たものが良ければ」いいではないかと私は思う。それとも、エルメスやシャネルのバッグを持っている女性は、全員非国民とでも言うのだろうか?。誰が作ったかより「中身」が大事であるのは当然の話だろう。中身の議論を横に置いといて「アメリカ製だから」と論点をすり替えるのは、国民を騙そうとする詐欺論法と言われてもしょうがない。少なくとも選挙に出るぐらいの人は、このぐらいの理屈を分かってから立候補して欲しいものである。

また、ここ数日の電力逼迫にかこつけて「安全が確認された原発の再稼働を」と演説している候補者がいるようだが、じゃあ福島は、あの事故が起きる前から「安全は確認されてなかった」危険な原発だった、という立場なのかと問いたい。先日の裁判結果では、事故は「予見出来なかった」と無罪結審したようだが、それって「安全ですよ」と国が認めていたって事じゃないの?。なのに「未曽有の大惨事」が発生して日本の経済に大打撃を与え、挙げ句に10年経っても「ジブリはおろか処理水すら捨て場所がない」という異常事態が続いている。「安全が確認された」云々といっても、そんな程度なのだ。だから「安全の確認された原発」なんて、現実には存在しない「言葉だけの妄想」なのである。

毎日何十万台と自動車は走っているが、すべて「安全だ」と運輸省でお墨付きを貰っているものばかりである。なのに事故は毎日どこかで起きている。

では、そもそも安全とは何か?。

それは、万一事故が起きても「環境は元通りに回復」できる事である。犠牲者は元通りにはならないだろうが、現場自体はそれを回復して、また元通りの平穏な生活が続けられる事を「(社会的に)安全」というのだと思う(私の定義)。原発は一旦事故ったら(幸いにして核爆発は回避できたとしても)、その「核で汚染された土地」は人の住めない死の世界となってしまい、その後何十年も「核物質を冷やし続け」なければならないことになる。人的負担はもとより、一体どれだけの経済的な負担がかかるか、想像も付かない事態になるのは間違いない。それともこの候補者は、事故が起きても「安全に回復出来る」方法を知ってるというのだろうか。笑止だ。

福島一つで「このざま」である。もし、もう一回やったら・・・(と考えるだけで怒りがこみ上げてくるが)。それでも再稼働するって、間違いなく「頭おかしい」だろう!

ああ、又しても愚痴が出てしまった、イカンイカン。とにかく「憲法改変と原発再稼働」を主張する候補者は、それ以外の主張の「全部が納得できた時」に初めて、投票するかどうかを「検討」するのがいいだろう。少なくとも私は、そういう候補者には投票するつもりはない。

さて今回は、日本の教育と「生き方」について考えてみよう。

3、日本人の力を引き出す教育
日本の教育は昔から、外国の学問をどうやって逸早く取り入れるかという一点に重きを置いて、奮闘努力してきた。勿論、ある部分においては、今でも変わってはいない。というか、相当の部分において「今でも洋学偏重」なのである。しかし、それはさほど重要な問題ではない。そういった知識や技術を、有名大学に入るための「単なる資格」と考えている事が問題なのである。

普通の家庭に育った者は「いい会社」に入って、安定した収入や将来設計を確実なものにしたいと思うのは当然だと思う。ところが、そういう会社に入社するためには(コネでもなければ)、どうしても「良い大学」を卒業する必要がある、と一般には考えられているのだ。だから入学試験が大事なのである。学問のためではない、資格が欲しいのだ。これは、当の学生もそういう教育を受けているが、親の考えが「そもそも」そうなっているのである(こう言うと、世の親御さん達から総スカンを食らいそう・・・)。

だから、いくら教育費は無料にしますとか言っても、教育の「いびつさ」を解消するには殆ど役には立たず、浮いたお金は「塾や家庭教師」に回るだけ、というのが現状だろうと思う。ただ、この施策のメリットと言えることは、教育の「貧富の格差」による機会損失をなくすことが出来る、と言うことであろう。どんな子供も金銭の心配をせず、社会に出て困らないだけの教育を受ける権利は、守られるべきである。要するに、実態は社会保障費の一部なのだ。教育費ではない。よって、この問題は選挙で党の公約とか言って「各党の票集め」に使うのではなく、全党一致して即実施すべきだと私は考える。いまさら「我が党は〜」とアピールするレベルの話ではないだろう。

では、どういう教育をすれば、豊かで有意義な人生を送るための基礎を学べるのだろう。

私はまず、就職する学生を「大学卒業時に一斉に選ぶ」という今のシステムを止めたらどうかと思っている。つまり、この仕事に従事したいと意欲を持って勉強していれば、年齢制限など撤廃し、その人間の能力が「その会社で必要かどうか」だけを判断して、採用すればいいのだ。これにはサッカーの「ユース制度」のような仕組みの活用も、考えてもいいだろう。あるいは専門学校をもっと充実して、その仕事に必要な知識・技術は徹底的に習得させ、企業に入ったら「即戦力」として使えるようなレベルの実務教育を、「あらかじめ」やっておくのである。専門外の一般知識は、計算が出来て物事の善悪が理解できればそれで充分。後は趣味として愉しめばいい、というのが私の教育観だ。

つまり、教育とは「仕事を教える」ことに他ならない(と私は考える)。

そもそも明確な業種を想定しない「一般教養」などという、およそ学問とはかけ離れた社会勉強を大学で教えるのは、全く意味のない「金持ちの道楽」みたいなものである(だから破廉恥犯罪者に慶應大学の学生が頻出するわけだ)。第一、大学生にもなって今更教養を身に付けて「いったい何をしよう」と言うのだろうか。こういう連中には、教養などは「大学に行く前」に身につけておけ!、と言いたい。よって、現行の大学は全て「〇〇業専門学校」とし、当該企業が出資して「自社に必要な学生達」を教育する場所とする(例えば、トヨタ自動車製造業専門学校とか)。しかも、試験勉強などという無駄な知識で入試選抜するような愚策をやめさせるために、入学は無試験で全員入学させるのが良い。入学した後で志望職種が変わったら、途中退学してまた別の学校に入学すれば良いのである。だから年齢制限は無い(例えばパソコン教室とかピアノ教室をイメージすると良いだろう)。所定の技能に到達していない生徒は「永遠に進級出来ない仕組み」になっているから、学生としても職種を選ぶのは真剣になる。つまり、石の上にも3年、というのは社会人には通用しない。

こういう環境でみっちり知識・技術を学べば、卒業する時には「即活躍できる社員」が出来上がっているというわけだ。一方、純粋に学問を究めたい人には、従来通り「大学院(従来の大学)」が用意されている。勿論、これも年齢制限は無いものとする。学問に年齢は関係ないのだ。もし年齢が若過ぎて、一般教養が皆に追いついてないからとか言ってダメ出しする人は、本当の「天才」を知らないのであろう。こういう所に学問と人格とを「ごっちゃ」にする、悪しき風潮が垣間見える。私は人格というものは、教育して何とかなるようなもんじゃ無い、と思う。

さて、この教育の「目的主義」が人々の理解を得られるようになったら、「バンバン無尽蔵に」教育にお金を注ぎ込んで、子供のやる気を積極的にサポートしていくと良いだろう。要するに、試験で何点取ったからどこそこの大学には入れそう、とか言うような「了見の狭い」人間をワンサカ作り上げるような、間の抜けた学校制度及び就職採用制度を今後も取り続けるなら、日本の未来は恐ろしく暗いものになるのは明らかだと思う。

今から50年程前だが、私が東京大学の入学試験を受けた時の事である。この時の日本史の試験問題に「東北地方に置かれた柵の名前8つを全て書け」というのがあった。その頃大和朝廷が陸奥を平定して、いくつか柵を置いたことは当然知っていたが、8つの柵「全部の名前」というのは思いもしなかった。確か一つか二つぐらいは書けたと思う。しかし、答案を提出して会場を出る頃には、東大に入学しようという気は、私には無くなっていた(まあ、入学したくても東大の方でお断りだったとは思うけど)。要するに、こんな柵名を知っているからと言って「いったい何になるって言うんだ、バッカじゃないの?」というのが私の正直な感想である。それ以来、人生70有余年経つが、この柵名を目にしたり耳にしたことは「ただの一度も無い」ことは確かだ。それほど「無用の知識」なのである。東大というのは「こういうクイズ」を入試に出して学生を選別する学校なんだと思って、それっきり東大生と聞けば「見下すように」なってしまった(これを心理学では「酸っぱい葡萄」という)。奇しくもテレビで東大王とかいうクイズ番組が流行っているが、まさにピッタリである。まあ、私のささやかな体験談ではあるが、大学入試が「いびつ」な人間をつくるという、いい例であろう。

それで、私の教育論は(社会福祉の一部として)

① 大学レベルまでの教育費無償
② 就職は、企業が出資する専門学校を卒業するギルド方式に統一(つまり徒弟制度)
③ 才能と仕事をリンクさせる
④ 自分の天職を見つけて、それを磨くのが教育
⑤ 職業を決めるのは早ければ早いほど楽
・・・以上だ。

ついでに育児は、食事・衣服・遊具代を含めて、国費で全額賄うものとする。年齢は小学校卒業までを目安とする。これに関して、金持ちの子だからと言って高価なものを与えたり過剰な甘やかしをする親は、場合によっては罪になるので注意すること。子供のうちから贅沢三昧を味わっていれば、ろくな大人にはならないと知るべし。子供は平等に扱って、万一才能があれば「それをぐんぐん伸ばしていく」のが育児である。

とにかく小さいうちから「将来は何になるか」を考えながら大人になることが、人生を有意義で豊かにする秘訣だと思う。「〇〇になりたい」という夢を持った子供が増えれば増えるほど、社会は安定して、人々が感じる満足感も大きくなると私は思っている。

その他には、古い家父長制度の問題とか、ジェンダー問題・夫婦別姓問題・男女賃金問題・格差社会問題・年金問題など、挙げたら切りがないが、これらについては別途独立した記事を書くことにする。中には既に過去記事で書いたのもあるから、参照いただけば幸いです。どちらにしても「育児の平等と才能を伸ばす教育」が、今の日本の最優先の課題であることは疑いないと思う。

子供は将来の日本そのものである。

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次回は「資源を活かす」です。


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