石破元幹事長は総裁選に出ると決めた、何故?。それは一言で言うならば「義憤」である。だがメディアは軒並み既に大勢は安倍三選で決まりと報じてる。そんな逆風の中、それでも石破氏が出馬する意図はどこにあるか。こないだの羽鳥慎一モーニングショーに生出演したときの石破氏は、いままでの彼のイメージを捨て去って「救国の志士」の風貌を漂わせていた。彼に勝算はあるのだろうか、なけなしの知恵を振り絞り、私の想像を交えながら考えてみたのが今回のテーマである。石破氏の考えているであろうことを、いくつか予測して列挙してみる。
(1)正義は我にあり
○ ケレン味の無い直球勝負の正論で堂々正面突破を目指す孤高の論客、そんな自信に溢れた石破氏の一問一答に「既に取り込まれてしまった」視聴者は多いのじゃないだろうか。森友・加計問題に露呈された安倍官邸のダーティな部分に鋭くメスを入れ、政治の拠って立つ原点を「静かに、しかし信念を持って」語る石破氏の姿をカメラはアップで捉える。もしこれが自民党総裁選でなく大統領選だったなら、間違いなく石破氏圧勝のパターンだ。だが、これは自民党の内輪の選挙である。我々部外者には縁もゆかりもない(自民党員だって、たったの405人なのだ!)。一握りの利益共有集団が自分たちに都合の良い体制を維持するために「相応しい神輿」を掲げ、それのおこぼれを与ろうとするハイエナが「いち早く支持を表明する」という典型的密室政治。昔日本でもこれに似た方法でトップを決めていた時期があった、そう、江戸時代の「将軍システム」である。これで首相が決まるという日本の制度は「民主主義とはとても言えない」と思うのだが・・・。もちろん政党政治だから「党が政治を決める」のであり、首相というのは「単なる党の代弁者に過ぎない」のである(建前上は)。
○ だから石破氏もその制度に異を唱えているわけではない。彼はそもそもの「議員・官僚のあるべき姿」を問うている。曰く正直、曰く公正、首相たるものがその姿勢を正さずして「どうして政治を論ずること」ができるだろうか?。安倍首相の行動をつぶさに見れば「この政治家のルール・原点」を大きく逸脱しており、その任に就くべきではない、というのが石破氏の主張の「全て」である(と私は感じた)。その意味では石破氏は、幕末の国難に独りで立ち向かった「吉田松陰」を彷彿とさせる、といったら言い過ぎであろうか?。自分の身を顧みず独り幕府に正論を突きつけて、時代の礎となって牢獄に散った維新の英雄である。高杉晋作や坂本龍馬や西郷隆盛など、同じく「来たるべき日本の夜明け」を見ずに死んでいった者たちの屍を踏み台にして、ようやく維新は成し遂げられたのである。だが悲しいことにその成果を享受したのは、「彼等より遥かに小物」の下っ端たちだった・・・あれれ、話が講談じみてしまった、いかんいかん。さてと本題に戻ろう、つまり、ちょっと石破氏の隠された心の声を汲み取ってみれば、「見るに見かねて立つ」の心境ではないだろうか。
○ しかし志がどうであれ、選挙は選挙である。出るからにはそうなりの戦略がある筈だ。もともと党員票は自分のほうが勝っているわけだし、前々回の総裁選では議員票では負けたけれど地方の党員票では安倍氏を圧倒していたのだ。今回集計システムが議員と党員とで「同数」になったことを考えると、党員票を押さえている石破氏は「安倍氏にとっても脅威」の筈である。1対1のガチンコ対決で安倍氏と勝負する。そういう流れであれば、石破氏にも勝機は十分ある(と思っている・・・これは私の想像である)。派閥の論理で動く議員票と違って、党員票というのは「もっとシビアに政治を見ている」という感覚が石破氏にはあるのだろう。今の日本は外交問題にしろ経済問題にしろ待ったなしの状況であり、「森・加計問題」などで野党に突つかれて国会が機能不全で空転していては、大事な国の方向を十分に議論することなどとても出来ないではないか。そんな不祥事を抱える総理では国民の支持を得ることは難しいし、この困難な現状を乗り切るというか「そもそも国民を騙すような政治では、信頼して国を任せることは不可能だ」、というのが石破氏の主張ではないだろうか。恣意的な政治を行うことは自民党の本意では決して無い。これが石破氏のメッセージである。これで自民党をもう一度立て直そうというのである。「正義は我にあり」・・・当然、石破氏は十分勝てると考えたであろう。
○ 二人がいい勝負をする可能性が大となれば、議員の中にも保身の意識が働いて「泥舟から乗り替える」者も出てくる。今現在8割の議員票を集めていると言われる安倍氏だが、所詮自民党は利益誘導の論理で動く「ガラクタ集団」である。熟慮の末に安倍氏支持を表明した岸田・石原の2派は、関ヶ原の戦いにおける小早川のように、裏切ったけれど恩賞は無しという貧乏くじを引かされた気がしているだろう。心の中では「この野郎、今に見ていろ!」とギリギリ奥歯を噛んでる状況では、戦況次第で何時寝返るか分からない。麻生氏に「安倍氏支持を言うのが遅すぎる」と名指しで戦犯扱いされては、この先どう見ても甘い汁にありつくには立場が弱いのだ。どうせずっと冷遇されるのであれば、ここは一か八か石破氏に賭けてみるという選択もありうる。圧倒的な数に守られた安倍政権サイドの論功行賞が、対立した石破氏を徹底して潰しにかかるような「反安倍への厳しい処置」となれば、岸田・石原派には下積みの地獄が待っている筈である。ここで少し視点を変えて見ると、負け組だと思っていた石破氏が「別の可能性を」持ってくる。つまり、まだ石破氏についていったほうが政権中枢に入り込める「目」も出てくるし、岸田氏本人も次期総理の可能性は「ものすごく高くなる」ではないか。政策を前面に押し出す石破氏であれば国民の支持も得られる。何しろ「正直・公正」の政治を取り戻すと言ってるのだから、一応、石破氏を支持する理由としては「これ以上無いくらい」まっとうである。岸田・石原の2派は意外と菅官房長官あたりと一緒になって「ドドっと」反安倍に走る可能性は、十分あるのだ。そのことは石破氏も読んでいる筈である。
○ 石破氏は人間関係に楽天的な平等感覚を持っていて、来るものを拒まず、組織づくりは裏表なしの能力主義である。石破氏は勉強も良くして、議論で相手を粉砕することも意に介さない。石破氏の方は相手を「論破した」ことで答えを出したつもりになっているが、実は論破した相手をどうこうする考えは「微塵もない」のではないか。というか、むしろ論破したことで「一層緊密な仲間意識が生まれた」と考えるタイプである。しかし面従腹背、世の中には議論に屈服することは「人間として負けた」ことになる、と思う人が大半である。世の中には「議論の正しさよりも利益分配」を大事にする人の方が圧倒的に多いのだ。石破氏が総裁選で安倍氏と戦うには、この腹芸のつけ入るスキのない「正直すぎる性格」や、通常の人間関係をほとんど重んじない「ドライな性格」が命取りになりそうだ。
○ 石破氏は、今回の不祥事続きは安倍政権の慢心の表れと見ている。争点を「安倍政権の政治の私物化」に絞り、国民の支持をアピールして議論に持ち込めば勝てる、というのが石破氏の本心である。自民党という政党は、所属する議員それぞれ政治的目的は違っても、金(利益)を自分達で独占し分配することに関しては、一致している集団である。選挙公約は所詮票集めのための手段であり、その時々の対立政党の掲げる政策が国民に受け入れられているかどうかでコロコロ目先を変えるアドバルーンでしかない。全くのウソではないが、選挙が終われば2番手3番手の政策であることに変わりはないのだ。本当のやりたいことは、「如何に経済を発展させて、結果として甘い汁を富裕層で分配する」かということにある。カジノ法案などは、その典型的な例だ。つまり、分前を取り合うだけの主義主張の皆無な「金の亡者の集まり」の自民党では、「正直・公正」ぐらいしか「争点」が見当たらない。石破氏は真っ向から安倍氏と対決し打ち破って総理になるか、あるいは敗北して下野するか、政治生命を賭けて勝負に出たのである。
(2)小泉進次郎を取り込んで、一気に地すべり的大勝利を狙う
○ 自分のほうが正しいことは誰が考えても分かる。だが自民党議員の連中は金に目が眩んで「寄らば大樹」の安倍氏支持に走った。本来であれば彼等とは一線を画して総裁選を戦わねばスジが通らないのだが、そこは政治の世界で長年生きてきた石破氏である、彼等の票も必要だ。そこで隠し玉・小泉進次郎氏を「利用して」戦いを一気に決めようと考えている(と思う)。石破氏が総裁選に出る決断をした時には、既に小泉進次郎氏の取り込みは完了していた筈だ。もちろん証拠は一切ない。小泉氏も「回顧録でも書く年」になるまでは、決して口外することはないだろう。石破氏の「まず政策を議論する」という姿勢は、小泉進次郎氏のポピュリズム的な人気の「基本」でもあって、二人の相性はすこぶる良好である。そこで進次郎氏が石破氏と共に戦うことを発表するタイミングが何時なのかだが、9月7日告示、20日投票という日程であればその1週間前、つまり「9月14日の金曜日」というのが私の読みである。安倍氏が反撃する時間的余裕のないギリギリを狙って発表する、という大逆転を狙うんではないだろうか。今回は「終わってからどっちに投票したかを言う」ということは、私は無いと思う。いずれにしても彼は「既に了承済み」という前提である。
(3)総裁選に負けた後、自民党を脱退して「第二自民党」を作る
○ まだ小泉進次郎氏との共闘が不確定で万一最後の最後で彼の賛同が得られなかった場合は、石破氏にはもう選択肢はほとんど残ってはいない。今回は安倍氏に負けても「次回の総裁選での存在感を示す」という戦略は、安倍氏と政策で争うのではなく「安倍氏の政治の私物化」を全面的に否定することで、きっぱり捨てている。背水の陣である。所詮、安倍政権はオリンピックまでしか持たない、あるいはその前にも「消費税アップで肝心の経済が頓挫」して、坂道を転げ落ちるように急速に国民の支持を失う、と踏んでいても不思議ではない。慢心だらけの安倍氏が経済で失脚した後、ポスト安倍の主流になるのは「お友達政治から脱却」して「忖度まみれの官僚の根性を叩き直す」有徳の士に違いないからだ。いまの安倍・麻生らの重鎮は揃って討ち死にし、政界から放逐されて「自民党の存続すら危うい」未曾有の危機に陥る可能性も十分ある。そこで「第二自民党」という案が出てくるのである。
○ 物事を解決するに、利益分配で八方上手くまとめる方法と、議論して万一自分に不利益な結果になってでも正しいことを行う方法の二種類がある。前者は時として、「事実を誤魔化して」答えを自分に有利な方に導くという手法を取ることがある。今回の森・加計問題については国民は首相の対応には疑問を持っているし、アンケート調査では50%以上が「首相を信用できない」としている。が、選挙で選ばれた代議員の意見は、8割が首相支持だという(なんで?)。全国の党員は前評判通り石破支持でまとまるのかが注目のところだが、石破氏はとにかく言ってることが「正論」であることが強みだ。テレビ時事放談で登場した時は「噛んで含めるような」言い方が私的にはカンに触るが、国民と向き合う姿勢が前面に出ていてある意味「このところ政治の欺瞞にはウンザリしていた」民衆には納得の気持ち良さであろう。ここが富裕層の内輪で利益分配・取り合いをやっていて、一般民衆には「体よく騙しておけばそのうち忘れる」式の安倍政権と違うところである。
○ 石破氏は「政策論争」を総裁選の要と位置づけて白黒はっきりさせようという魂胆だが、安倍首相が上手いことその作戦に乗っかってくるかどうか、何とか密室政治の「バリバリ恩賞で票を取り込もう」と画策するに違いない。何しろ「国民不在」の首相選びである、何をやったって「野党なんかの口を挟める」話ではハナっからないのだ。石破氏も政策を前面に出しているようで、実はそれほど「総裁選」に影響を与えるわけではない、と知っている感じである。例えば、労働人口が半分になって高齢年金支給者が国民の4割になるからどうやって年金・福祉・医療などの社会保障の費用を捻出するのか、とか、消費力を上げるためには低所得者の底上げしか方法がないのだが低所得者の収入を増やすためにはどうしたらいいのか、とか、アベノミクスでの経済成長率が1%そこそこしかないのは「そもそも経済政策が間違っている」からである、とか、・・・黙って目隠しして聞いていると「まるで野党の主張」に聞こえるではないか。どうも石破氏は「いったん負ける」つもりのようだ。今回負けることによって安倍政権に反対の色を鮮明にしておく作戦である。三選を果たしてこれで安泰となった気の緩みから、お友達とやりたい放題してたらアメリカ発の世界的な金融破壊で「日本経済がガッタガタ」になり、国民からの怨嗟の声で安倍氏が火だるまになってる時に颯爽と再登場して、アベノミクスに反対した「先見の明があるただ一人の政治家」で売り出そうという「捲土重来作戦」かも。
○ このところの景気の動向を見ていると、国民全体がどうとかではなく、中小企業経営者や自営業者は大企業に押されて息も絶え絶えになってきていることがよく分かる。必死なのである。藁をもすがる思いで権力中枢にコネを求めて群がっている。それが安倍一強政権の実態である。私は安倍一強政権が生まれた原因は「安倍首相が強いから、あるいは締め付けや排除で敵味方を峻別する体質から」だと思っていたが、実はアベノミクスで経済が偏り、強者がどんどん独占状態になる一方、弱者・中小がアップアップの倒産寸前に追い込まれていて、先行き不安が拡がっているからではないのか、という疑問がどんどん膨らんできた。忖度まみれの官僚にしても、国民の方を向いて仕事をしていると、官邸から「仕事ぶりがどうも生ぬるい」などと全然相手にされないから仕方なく「忖度せざるを得ない」状況に追い込まれて、ついついやっちゃったのである。本音はまっとうな仕事をして、国民にも感謝され自分も満足してそれで「出世出来る」ならそうしたい筈である。それが出来なくなってネジ曲がった仕事しか「評価されない」のであれば、それは政治が間違っているのではないか。石破氏の主張は何処まで行っても正論である。
○ 水清くして魚棲まず、という言葉がある。物事には程度というのも大事ではなかろうか。小泉進次郎氏が石破氏を評して「自分一人で何でも出来るわけじゃないのにねぇ」と言ったらしいが、若いのにもう政治のツボを心得ているあたりは「親父を反面教師」にした成果だろうか、彼の帰趨はまだまだ未定である。何れにしても「勝つか、然らずんば死を」という石破氏、男である。
(1)正義は我にあり
○ ケレン味の無い直球勝負の正論で堂々正面突破を目指す孤高の論客、そんな自信に溢れた石破氏の一問一答に「既に取り込まれてしまった」視聴者は多いのじゃないだろうか。森友・加計問題に露呈された安倍官邸のダーティな部分に鋭くメスを入れ、政治の拠って立つ原点を「静かに、しかし信念を持って」語る石破氏の姿をカメラはアップで捉える。もしこれが自民党総裁選でなく大統領選だったなら、間違いなく石破氏圧勝のパターンだ。だが、これは自民党の内輪の選挙である。我々部外者には縁もゆかりもない(自民党員だって、たったの405人なのだ!)。一握りの利益共有集団が自分たちに都合の良い体制を維持するために「相応しい神輿」を掲げ、それのおこぼれを与ろうとするハイエナが「いち早く支持を表明する」という典型的密室政治。昔日本でもこれに似た方法でトップを決めていた時期があった、そう、江戸時代の「将軍システム」である。これで首相が決まるという日本の制度は「民主主義とはとても言えない」と思うのだが・・・。もちろん政党政治だから「党が政治を決める」のであり、首相というのは「単なる党の代弁者に過ぎない」のである(建前上は)。
○ だから石破氏もその制度に異を唱えているわけではない。彼はそもそもの「議員・官僚のあるべき姿」を問うている。曰く正直、曰く公正、首相たるものがその姿勢を正さずして「どうして政治を論ずること」ができるだろうか?。安倍首相の行動をつぶさに見れば「この政治家のルール・原点」を大きく逸脱しており、その任に就くべきではない、というのが石破氏の主張の「全て」である(と私は感じた)。その意味では石破氏は、幕末の国難に独りで立ち向かった「吉田松陰」を彷彿とさせる、といったら言い過ぎであろうか?。自分の身を顧みず独り幕府に正論を突きつけて、時代の礎となって牢獄に散った維新の英雄である。高杉晋作や坂本龍馬や西郷隆盛など、同じく「来たるべき日本の夜明け」を見ずに死んでいった者たちの屍を踏み台にして、ようやく維新は成し遂げられたのである。だが悲しいことにその成果を享受したのは、「彼等より遥かに小物」の下っ端たちだった・・・あれれ、話が講談じみてしまった、いかんいかん。さてと本題に戻ろう、つまり、ちょっと石破氏の隠された心の声を汲み取ってみれば、「見るに見かねて立つ」の心境ではないだろうか。
○ しかし志がどうであれ、選挙は選挙である。出るからにはそうなりの戦略がある筈だ。もともと党員票は自分のほうが勝っているわけだし、前々回の総裁選では議員票では負けたけれど地方の党員票では安倍氏を圧倒していたのだ。今回集計システムが議員と党員とで「同数」になったことを考えると、党員票を押さえている石破氏は「安倍氏にとっても脅威」の筈である。1対1のガチンコ対決で安倍氏と勝負する。そういう流れであれば、石破氏にも勝機は十分ある(と思っている・・・これは私の想像である)。派閥の論理で動く議員票と違って、党員票というのは「もっとシビアに政治を見ている」という感覚が石破氏にはあるのだろう。今の日本は外交問題にしろ経済問題にしろ待ったなしの状況であり、「森・加計問題」などで野党に突つかれて国会が機能不全で空転していては、大事な国の方向を十分に議論することなどとても出来ないではないか。そんな不祥事を抱える総理では国民の支持を得ることは難しいし、この困難な現状を乗り切るというか「そもそも国民を騙すような政治では、信頼して国を任せることは不可能だ」、というのが石破氏の主張ではないだろうか。恣意的な政治を行うことは自民党の本意では決して無い。これが石破氏のメッセージである。これで自民党をもう一度立て直そうというのである。「正義は我にあり」・・・当然、石破氏は十分勝てると考えたであろう。
○ 二人がいい勝負をする可能性が大となれば、議員の中にも保身の意識が働いて「泥舟から乗り替える」者も出てくる。今現在8割の議員票を集めていると言われる安倍氏だが、所詮自民党は利益誘導の論理で動く「ガラクタ集団」である。熟慮の末に安倍氏支持を表明した岸田・石原の2派は、関ヶ原の戦いにおける小早川のように、裏切ったけれど恩賞は無しという貧乏くじを引かされた気がしているだろう。心の中では「この野郎、今に見ていろ!」とギリギリ奥歯を噛んでる状況では、戦況次第で何時寝返るか分からない。麻生氏に「安倍氏支持を言うのが遅すぎる」と名指しで戦犯扱いされては、この先どう見ても甘い汁にありつくには立場が弱いのだ。どうせずっと冷遇されるのであれば、ここは一か八か石破氏に賭けてみるという選択もありうる。圧倒的な数に守られた安倍政権サイドの論功行賞が、対立した石破氏を徹底して潰しにかかるような「反安倍への厳しい処置」となれば、岸田・石原派には下積みの地獄が待っている筈である。ここで少し視点を変えて見ると、負け組だと思っていた石破氏が「別の可能性を」持ってくる。つまり、まだ石破氏についていったほうが政権中枢に入り込める「目」も出てくるし、岸田氏本人も次期総理の可能性は「ものすごく高くなる」ではないか。政策を前面に押し出す石破氏であれば国民の支持も得られる。何しろ「正直・公正」の政治を取り戻すと言ってるのだから、一応、石破氏を支持する理由としては「これ以上無いくらい」まっとうである。岸田・石原の2派は意外と菅官房長官あたりと一緒になって「ドドっと」反安倍に走る可能性は、十分あるのだ。そのことは石破氏も読んでいる筈である。
○ 石破氏は人間関係に楽天的な平等感覚を持っていて、来るものを拒まず、組織づくりは裏表なしの能力主義である。石破氏は勉強も良くして、議論で相手を粉砕することも意に介さない。石破氏の方は相手を「論破した」ことで答えを出したつもりになっているが、実は論破した相手をどうこうする考えは「微塵もない」のではないか。というか、むしろ論破したことで「一層緊密な仲間意識が生まれた」と考えるタイプである。しかし面従腹背、世の中には議論に屈服することは「人間として負けた」ことになる、と思う人が大半である。世の中には「議論の正しさよりも利益分配」を大事にする人の方が圧倒的に多いのだ。石破氏が総裁選で安倍氏と戦うには、この腹芸のつけ入るスキのない「正直すぎる性格」や、通常の人間関係をほとんど重んじない「ドライな性格」が命取りになりそうだ。
○ 石破氏は、今回の不祥事続きは安倍政権の慢心の表れと見ている。争点を「安倍政権の政治の私物化」に絞り、国民の支持をアピールして議論に持ち込めば勝てる、というのが石破氏の本心である。自民党という政党は、所属する議員それぞれ政治的目的は違っても、金(利益)を自分達で独占し分配することに関しては、一致している集団である。選挙公約は所詮票集めのための手段であり、その時々の対立政党の掲げる政策が国民に受け入れられているかどうかでコロコロ目先を変えるアドバルーンでしかない。全くのウソではないが、選挙が終われば2番手3番手の政策であることに変わりはないのだ。本当のやりたいことは、「如何に経済を発展させて、結果として甘い汁を富裕層で分配する」かということにある。カジノ法案などは、その典型的な例だ。つまり、分前を取り合うだけの主義主張の皆無な「金の亡者の集まり」の自民党では、「正直・公正」ぐらいしか「争点」が見当たらない。石破氏は真っ向から安倍氏と対決し打ち破って総理になるか、あるいは敗北して下野するか、政治生命を賭けて勝負に出たのである。
(2)小泉進次郎を取り込んで、一気に地すべり的大勝利を狙う
○ 自分のほうが正しいことは誰が考えても分かる。だが自民党議員の連中は金に目が眩んで「寄らば大樹」の安倍氏支持に走った。本来であれば彼等とは一線を画して総裁選を戦わねばスジが通らないのだが、そこは政治の世界で長年生きてきた石破氏である、彼等の票も必要だ。そこで隠し玉・小泉進次郎氏を「利用して」戦いを一気に決めようと考えている(と思う)。石破氏が総裁選に出る決断をした時には、既に小泉進次郎氏の取り込みは完了していた筈だ。もちろん証拠は一切ない。小泉氏も「回顧録でも書く年」になるまでは、決して口外することはないだろう。石破氏の「まず政策を議論する」という姿勢は、小泉進次郎氏のポピュリズム的な人気の「基本」でもあって、二人の相性はすこぶる良好である。そこで進次郎氏が石破氏と共に戦うことを発表するタイミングが何時なのかだが、9月7日告示、20日投票という日程であればその1週間前、つまり「9月14日の金曜日」というのが私の読みである。安倍氏が反撃する時間的余裕のないギリギリを狙って発表する、という大逆転を狙うんではないだろうか。今回は「終わってからどっちに投票したかを言う」ということは、私は無いと思う。いずれにしても彼は「既に了承済み」という前提である。
(3)総裁選に負けた後、自民党を脱退して「第二自民党」を作る
○ まだ小泉進次郎氏との共闘が不確定で万一最後の最後で彼の賛同が得られなかった場合は、石破氏にはもう選択肢はほとんど残ってはいない。今回は安倍氏に負けても「次回の総裁選での存在感を示す」という戦略は、安倍氏と政策で争うのではなく「安倍氏の政治の私物化」を全面的に否定することで、きっぱり捨てている。背水の陣である。所詮、安倍政権はオリンピックまでしか持たない、あるいはその前にも「消費税アップで肝心の経済が頓挫」して、坂道を転げ落ちるように急速に国民の支持を失う、と踏んでいても不思議ではない。慢心だらけの安倍氏が経済で失脚した後、ポスト安倍の主流になるのは「お友達政治から脱却」して「忖度まみれの官僚の根性を叩き直す」有徳の士に違いないからだ。いまの安倍・麻生らの重鎮は揃って討ち死にし、政界から放逐されて「自民党の存続すら危うい」未曾有の危機に陥る可能性も十分ある。そこで「第二自民党」という案が出てくるのである。
○ 物事を解決するに、利益分配で八方上手くまとめる方法と、議論して万一自分に不利益な結果になってでも正しいことを行う方法の二種類がある。前者は時として、「事実を誤魔化して」答えを自分に有利な方に導くという手法を取ることがある。今回の森・加計問題については国民は首相の対応には疑問を持っているし、アンケート調査では50%以上が「首相を信用できない」としている。が、選挙で選ばれた代議員の意見は、8割が首相支持だという(なんで?)。全国の党員は前評判通り石破支持でまとまるのかが注目のところだが、石破氏はとにかく言ってることが「正論」であることが強みだ。テレビ時事放談で登場した時は「噛んで含めるような」言い方が私的にはカンに触るが、国民と向き合う姿勢が前面に出ていてある意味「このところ政治の欺瞞にはウンザリしていた」民衆には納得の気持ち良さであろう。ここが富裕層の内輪で利益分配・取り合いをやっていて、一般民衆には「体よく騙しておけばそのうち忘れる」式の安倍政権と違うところである。
○ 石破氏は「政策論争」を総裁選の要と位置づけて白黒はっきりさせようという魂胆だが、安倍首相が上手いことその作戦に乗っかってくるかどうか、何とか密室政治の「バリバリ恩賞で票を取り込もう」と画策するに違いない。何しろ「国民不在」の首相選びである、何をやったって「野党なんかの口を挟める」話ではハナっからないのだ。石破氏も政策を前面に出しているようで、実はそれほど「総裁選」に影響を与えるわけではない、と知っている感じである。例えば、労働人口が半分になって高齢年金支給者が国民の4割になるからどうやって年金・福祉・医療などの社会保障の費用を捻出するのか、とか、消費力を上げるためには低所得者の底上げしか方法がないのだが低所得者の収入を増やすためにはどうしたらいいのか、とか、アベノミクスでの経済成長率が1%そこそこしかないのは「そもそも経済政策が間違っている」からである、とか、・・・黙って目隠しして聞いていると「まるで野党の主張」に聞こえるではないか。どうも石破氏は「いったん負ける」つもりのようだ。今回負けることによって安倍政権に反対の色を鮮明にしておく作戦である。三選を果たしてこれで安泰となった気の緩みから、お友達とやりたい放題してたらアメリカ発の世界的な金融破壊で「日本経済がガッタガタ」になり、国民からの怨嗟の声で安倍氏が火だるまになってる時に颯爽と再登場して、アベノミクスに反対した「先見の明があるただ一人の政治家」で売り出そうという「捲土重来作戦」かも。
○ このところの景気の動向を見ていると、国民全体がどうとかではなく、中小企業経営者や自営業者は大企業に押されて息も絶え絶えになってきていることがよく分かる。必死なのである。藁をもすがる思いで権力中枢にコネを求めて群がっている。それが安倍一強政権の実態である。私は安倍一強政権が生まれた原因は「安倍首相が強いから、あるいは締め付けや排除で敵味方を峻別する体質から」だと思っていたが、実はアベノミクスで経済が偏り、強者がどんどん独占状態になる一方、弱者・中小がアップアップの倒産寸前に追い込まれていて、先行き不安が拡がっているからではないのか、という疑問がどんどん膨らんできた。忖度まみれの官僚にしても、国民の方を向いて仕事をしていると、官邸から「仕事ぶりがどうも生ぬるい」などと全然相手にされないから仕方なく「忖度せざるを得ない」状況に追い込まれて、ついついやっちゃったのである。本音はまっとうな仕事をして、国民にも感謝され自分も満足してそれで「出世出来る」ならそうしたい筈である。それが出来なくなってネジ曲がった仕事しか「評価されない」のであれば、それは政治が間違っているのではないか。石破氏の主張は何処まで行っても正論である。
○ 水清くして魚棲まず、という言葉がある。物事には程度というのも大事ではなかろうか。小泉進次郎氏が石破氏を評して「自分一人で何でも出来るわけじゃないのにねぇ」と言ったらしいが、若いのにもう政治のツボを心得ているあたりは「親父を反面教師」にした成果だろうか、彼の帰趨はまだまだ未定である。何れにしても「勝つか、然らずんば死を」という石破氏、男である。
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