和翠塾ブログ

目黒都立大にある書道教室「和翠塾」のブログです。

性善説

2013-06-13 07:39:19 | 日記
人は生まれた時には善人であるという研究結果が発表されました。

願望ではなく京大のある研究室の研究結果です。

ある図形がある図形を攻撃しているアニメを、赤ちゃん20人に見せ、その後攻撃している図形と攻撃されている図形を見せたところ、16人の赤ちゃんが攻撃されている側の図形を選んだと言うのです。

なんか少し検証数が少ない気もしますし、
どんな図形?
どんなアニメ?
選んだのは同情ってことなの?
とか、色々気になる所も沢山出てきますよね。

ただし、同じ実権を大人に試したところ、明らかにその割合はかわったそうです。
つまり、攻撃する側を選んだ大人が多かったと。

この差は何を意味するのでしょうか。

善人として生まれた多くの赤ちゃんが、時を経てそうではなくなってしまうと言うことでしょうか。

だとしたら、それは現代社会のシステムに問題があるのかもしれません。


寿命の短い、石器時代、縄文時代、弥生時代の人間も同じだったのでしょうか?

同種族と協力し合い、食糧を分け合い生活を共にし、他種族からの攻撃から仲間を守りる。

ここまでは猿と同じですね。
まだ人間じゃないです。
これは倫理や道徳ではなく、集団で生きる動物の本能です。

でも、仲間の亡骸を埋め、墓をつくるのは人間だけでしょう。
それは人が人として生まれ、人の間で育ち人間となったからだとおもうのです。
ひとは一人で生まれ、親や兄弟、仲間と一緒に生活していく中で人間となり、そして仲間を見送り、最後には仲間に見送られながら一人で死んでいく。

小さな善を持って生まれた赤ちゃんが、人と生活していく中でその善も成長し、仲間を敬う人間になったのだと思うのです。
つまり仲間を敬う気持ちこそ、人間が人間たる所以だとおもうのです。

ですから大人の善人率が低いのは問題です。
仲間を敬う気持ちがあっても、それを凌駕する別な気持ちが大きくなってしまっているからです。

それは大きな荷物でもあります。

書道する事で、その荷物に気づき、降ろす方法を探す事ができるでしょう。
そして、他者に荷物を背負っている事を気づかせ、降ろす方法を諭す事もできるはずです。

書道教室って、そんな所でもあると思っています。


人類は直立歩行によって、両手が歩行から解放され、その両手を使った様々な作業で脳が発達したと言われています。
それが持って生まれた小さな善を、大きく育てたのでしょう。
その善の及ぼす枠を、広げていかねばなりません。
自分や家族、見える範囲の仲間だけではなく、『仲間』の定義を広げていけば、人間が幸福と感じる世界が広がるはずです。

書道の果たすべき役目の一つだと思っています。


指先を使う仕事をしている方はぼけにくいとか。
書家に元気なご高齢の方が多いのは、そんな理由なのかもしれませんね。

書は身を助ける。

その通りなのであります。


杉山









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