年賀状というと数年前までは友人関係は誰も子供の写真が多かった。
毎年成長していく姿をみると他人の子ながら目が細くなった。
それが大きくなると写真をやめて手書きにしてくる人が増えた。
ワンポイントの印刷はあるが一言二言添えてある。
中には印刷そのものを送ってくる人があるが、
たいていそんな人は年賀状だけの交際というのが多い。
そういう自分も年賀状に関してはどうも力が入らないから
レイアウトや印刷はカミさんに任せてあとは手書きで言葉を添えることにしてる。
それもごく短い言葉で、「また飲もう」だとか「また会おう」だとか
「いつでも遊びにおいで」とかいった具合になる。
もらった年賀状はたいてい見返したりはないが
中には印象に残るものがあって正月三が日は眺めることがもある。
過去の例をいくつかあげると、
ものすごい下手糞ではあるが毛筆でハガキ一杯に書きなぐってあるもの。
能面を制作している人がいてその作品を写真にしたもの。
ボールペンではあるが長々と手紙のように綴ったもの。
子供が散髪しているところを鏡越しに写した写真などがある。
いずれも本人の人柄が見えてくるようなのを自分は好む。
しかしながら年賀状はなるべくならやりとりしたくないのが本心である。
毎年成長していく姿をみると他人の子ながら目が細くなった。
それが大きくなると写真をやめて手書きにしてくる人が増えた。
ワンポイントの印刷はあるが一言二言添えてある。
中には印刷そのものを送ってくる人があるが、
たいていそんな人は年賀状だけの交際というのが多い。
そういう自分も年賀状に関してはどうも力が入らないから
レイアウトや印刷はカミさんに任せてあとは手書きで言葉を添えることにしてる。
それもごく短い言葉で、「また飲もう」だとか「また会おう」だとか
「いつでも遊びにおいで」とかいった具合になる。
もらった年賀状はたいてい見返したりはないが
中には印象に残るものがあって正月三が日は眺めることがもある。
過去の例をいくつかあげると、
ものすごい下手糞ではあるが毛筆でハガキ一杯に書きなぐってあるもの。
能面を制作している人がいてその作品を写真にしたもの。
ボールペンではあるが長々と手紙のように綴ったもの。
子供が散髪しているところを鏡越しに写した写真などがある。
いずれも本人の人柄が見えてくるようなのを自分は好む。
しかしながら年賀状はなるべくならやりとりしたくないのが本心である。
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