日々記

ひびき

ありがとう

2015-12-31 | Weblog
今年一年を振り返って、自分自身は何よりだと思っている。
歯医者にかかったくらいで、病気らしい病気もしなかったし
怪我らしい怪我もしなかった。
病気も怪我も、なくはなかったんだろうが気に留めるほどのものはなかった。
良いことも悪いこともそれなりにあった。
まだまだ死んでほしくない人が亡くなったり、
誉められ慣れてないのに誉められたりもした。
世間では、おぞましい事件や情けない事件、そして事故もたくさんあった。
家の中は静かなものだったが、外は木々が大揺れにざわめいていた印象がある。
来年は良い年にしようなんて誓願してみても
あくせくしているうちにみんな風まかせでいっているような気がする。
今年も、自分一人のあれじゃないんだぁと感謝させれらる場面が何度もあった。
いいそびれたお礼の言葉をここに置いて、残りの掃除を済ませてビールでも飲むか。
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カレーうどん

2015-12-13 | Weblog
偏頭痛持ちのカミさんが、昨日も頭痛を訴えた。
しょっちゅう訴えるので「いい加減お医者にかかったらどうや」と諭すが
医療も医薬も余程でないと利用しないのがうちのやつだ。
よく一緒に医療関係のテレビをを観ていて、
「あんなに病の信号が出ているのに放っておくからだ」といつも言っているのに
自分の事となると、億劫なのか怖いからなのか中々行こうとしない。
ただの頭痛ならいいけど、脳にサッカーボールくらいの腫瘍があったらどうする、
不摂生なおれに言われるのが気に食わないのか、そのうちねと受診を引き延ばしにする。
自分なんかは、いつも病気や事故に怯えながらもここまで過ごしてきた。
体調の変化が著しいと、そのうち治るだろうなんてなかなか楽観できない。
昨日も、行きつけのうどん屋へ行くことになってお決まりのカレーうどんを注文した。
たいてい、ここへくるとカミさんはそれでたまに自分は、あんかけうどんの時がある。
どうにも腹が減っていたので「カレーうどん、大盛りにしようかな」というと
「頭が痛くて気持ち悪くなってきた」というので並を二つにした。
もしかすると、途中で食えなくなるんじゃないかと心配したのだ。
案の定、カミさんは途中で箸を置いて「ダメ、食べれない」と言った。
結果、自分はカミさんの頭痛を心配しながらも二杯近くをたいらげた。
家に帰ってから、しばらくすると頭痛は治まったみたいで一安心した。
「次の休みに一回診察に行こう。なんかあってからじゃ遅いからな」
「あんまり頻繁になるようならね」といつもの返事だ。
カレーうどんとカミさん、どっちが大事かなんて比較にはならない。
けれども今日のカレーうどんには大満足した。
今年、ここのは食べ納めだなと心に思った。
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不幸なトランペット

2015-12-07 | Weblog
もう何度なく家にあるトランペットのことは書いたかも知れない。
親父が五十前のころ、「あぁわしはトランぺッターになりたい」と不意に思って
購入したはいいが、その後すぐに脳疾患に見舞われて吹かず仕舞いになった。
教則本もあったくらいだから、いっとき本気で憧れたんだろう。
ジョンコルトレーンやサッチモのLPが数枚あったから、
いずれかに刺激されて吹いてやろうと思ったに違いない。
金もないくせに、いいステレオとスピーカーは持っていた。
ほとんど家にはいない人だったが、たまに顔のあるときは
ウイスキーを飲みながらソファに身を沈めジャズを聴いていた。
子は親に似るというが、ちょうどそのころの親父と今の自分がよく似ている。
ウイスキーの代わりにビールを飲みながら安物の籐椅子に腰かけてジャズを聴く。
そして何をやっても中途半端だった楽器類をひとつに絞ってしきりに練習している。
これはそもそも恐ろしい現実の気を紛らわすためと、
やっぱり憧れがあってなんとか、あの曲を吹きたいと管楽器を手にした。
ところが、それはトランペットではない。
「トランペットがあるんだから、トランペットにしたら」
それはその通りだが、思い込んだらもう止まらない。
吹き物は意外と音がうるさいので、カミさんも猫も近所も「またか」と呆れているだろう。
けれども、どうしてここへ来てこんなに古い古いジャズにハマったのか自分でも知らない。
親父は、手にすることもなく頓挫したが自分はそれよりも少し前に進んだ。
せっかくあるトランペットの立場を考えると練習すれば良かったが、
親父と同じ道を歩みたくなかったのと、何度くちびるにマウスピースを当てても馴染めなかったのが所以である。
明日、この不幸なトランペットを吹いてくれるかもしれない友人に会うことになっている。
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