神戸在住、恋するスタジオ・フォトグラファー、ときどきドキドキ、ホンニョホニョン日記!

元銀塩・スタジオ・フォトグラファーである吾輩が日々、感じ、考え、体験したことをのんびり書き連ねていく日記形式のブログ。

「火星年代記」を久々に読む。

2011年08月27日 17時55分14秒 | 読書
火星年代記 (ハヤカワ文庫SF)
レイ・ブラッドベリ
早川書房


懷かしい本である。レイ・ブラッドベリの古典的名作
「火星年代記」
内容をほぼ忘れていた。
テレパシックに相手の心のひだに入り込み、
郷愁を満たすキャラクターに簡単に変わる火星人の性質と、
科学管理の悲喜劇を巧みに表現した「第二のアッシャー邸」だけしか
記憶にないのだが、
改めて読みはじめて、まだ半分も頁は進んでいないけれど、
すごい本だと驚いた。

おそらく若い頃、
導入部の三次探測隊までの失敗の頁は、
内省的で淡々とした静かな展開だから、
あまり丁寧に読んでいなかったのかもしれない。
(あまりにも人類に近い火星人だったからか)

導入部は、
火星人がどのように地球人を迎えるだろうかという設定を
SFチックに記述しているけれども、
それは太古の昔、
離れ島の小国の日本の古代人が、
大陸からやってくる、
さまざまな列強諸国の使者たちを
どのように迎えたのか?というテーマと
私の中で大いにかぶり、
縄文や弥生時代の太古の昔の日本人に
思いをはせた。

たとえば、103Pを開こう、
「招かれざる客としてのわれわれを、ほろぼそうとして、実に巧みな、われわれに警戒心を抱かせないようなやり方を考えだしたのなら?
そう、核兵器を持つ地球人に大して、火星人が利用できる最大の武器は何だろう。
興味深い答えが出てきた。テレパシー、催眠術、記憶、想像力。・・・」

太古の昔、
使者を迎えるということは、
大いなる期待というよりも、恐怖心だけだったかもしれない。
(本書の中ではその矛盾する感情や立場を一組の火星人夫婦の日常として描いている。)
迎える側は考えるだろう。
「使者を送る側はどのような動機があるだろうか?
ただ単純に征服、略奪、搾取、勢力拡大、そのような原理が発動しているはずだ。」

ただ単純に、ただ漠然と、そう感じ取っていたはずだ。

永い人類の歴史で、
文化と文明を
慈愛に満ちて、平和的友好的に使者を送るという歴史は、
吾輩は知らない。
もし、そういう前例があるのなら、
知りたいものである。

で、
ブラッドベリの「火星年代記」には言及されていないけれど、
火星人の立場として、もし地球人の使者を排除したとしたのなら、
どういう心理状態になるのだろうか。
そう考えると、
ひとつの罪を隠蔽し、改竄する、しかし、それは記録を消したとしても、
罪の意識は原罪のようにつきまとい、
集合的負の意識として、未来永劫、遺伝子として伝えられていく。

そういうことを考えると「火星年代記」の舞台、火星が太古の昔の日本にイメージが重なり、
外交下手といわれる、近世の日本の立場のいびつさ、気まずさがなんとなく理解できる。

この本を読めば、歴史という学問の深いところを理解できるかもしれない。

まだ、すべてを読んだわけではない。
読了したときにもう一度、感想を書いてみようと思う。


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小田和正さんのコンサートの余韻が覚めやらない内に、本、「小田和正ドキュメント1998-2011」を衝動買い。

2011年08月21日 10時48分14秒 | 読書
小田和正ドキュメント 1998-2011
小貫信昭
幻冬舎


神戸は板宿にある「井戸書店
決して大きな書店ではないが、品揃えのユニークな書店である。
本につけてくれた紙カバーにこう書かれている。
「あなたの本の世界を変えましょう」
「井戸書店の経営理念(ミッション)は『我々は感動伝達人』である。」
「お客様が感動をおぼえるような素晴らしい商品を選定し、丁寧にご提示することによって、
当店に関わるすべての人たちが幸福で、質の高い生活を送っていただけるようにしたい!」

素晴らしいではないか。
その前にちょいと一杯、板宿駅前の「鳥貴族」で焼き鳥をあてにビールを呑んでいたのだが、
壁に貼ってあるチラシに「ひとりでも多くの笑顔をつくりたい。」みたいな理念が書いてあった。
企業の目標は「永遠の挑戦」、「永遠の感謝」、「永遠の奉仕」とある。
とにかく「鳥貴族」さんと「井戸書店」の理念の素晴らしさにどことなく共通点を感じ、
大いに共鳴し、まさしくいい気分で立ち読みしていたときに、
この本を見つけた。

これも何かの縁だ!
偶然ではなく必然だ!
これこそシンクロニシティだ!

などと心の中でガッツポーズをしていた。
そうか吾輩に買われるためにこの本屋に置かれていたのか?
などとブツブツ言いながら、買った。

コンサート会場でも販売されていた本である。
読者の年齢層を高めに絞っていたのか、字が大きくて読みやすい。
ということは、数時間で読めてしまうという意味もあるけれど、それはさておき、意外と知らないエピソード満載であった。

交通事故に遭遇されたことも知らなかった。
そこでの臨死体験に近い神秘体験。
立花隆の「臨死体験」を読んで自身の体験をそう確信されたのだろう。
近年の小田さんの生死表裏一体のなんともいえない不可思議な世界観は、その時の体験が大いに影響しているのだろう。

また中国や台湾などへのアジア遠征コンサートのことも知らなかった。
中国語に翻訳してまで歌を披露する情熱は、何に起因しているのかはわからない。
また、吾輩個人的に葛藤のあった「LOOKING BACK」のことも理解できた。
年末恒例の「クリスマスの約束」のてんまつに関しては、なるほどと頷きながら読んでいた。
特に2009年の「'22"50」は小田さんの音楽交友関係の集大成ともいうべきアクトだったから、
これに関しての記述を読んで、あの時の感動(クリスマスだったけ?雪が降る車の中で見ていたけれど)を再体験することができた。
でも最初の数年間は他のアーティストに招待状を送っても、
参加されず、一人でパフォームされていたようである。
しかし、2009年のあの盛り上がり。
あの映像を正式に公開できないのは残念である。
癒しと優しさと勇気と希望に溢れた、あのステージをお蔵入りにすることはもったいないと思う。
ぜひとも、レーベルを越えて公開できないものだろうか。
2010年には山下達郎さんにも招待状を送っていたようである。
もしテレビという媒体に山下達郎さんを招待できたら、
それこそ革命的というか奇跡だろうなあ。
だから竹内まりやさんを説得すればいいと思う。

後半は、新アルバム「どーも」の製作工程を垣間見れる内容になっている。
吾輩個人的に嬉しかったのは、ポール・マッカートニーとウイングスを手本に、新曲を作ったというあたり。
それは小田さん流ロックだという。
小田さんのロックの定義がご自身の言葉でこう披露される。

「『苦労しないで何かを獲得したりしない精神』のことなんだ。前は“ロックロック”とか言うと、表現の可能性を狭めてしまう印象もあったけど、今ではそう理解しているよ。」

そうか、小田さんは実はロッカーだったのだ。
これにはすごく肯けた。
内田裕也氏のロッケンロールの定義がいつも疑問だったけれど、この言葉で氷解。
しかし、それは新アルバム「どーも」7曲目の「やさしい雨」のことなのだが、ウイングスをサウンドの手本にもってくるというあたりは個人的に嬉しい。
サウンドのテイストとして、リンダの弾くエレピが優しく響く「ロンドン タウン」あたりを参考にしたのだろうか。
よく聴いてみれば、確かに隠し味のような各楽器の音色が、確かにウイングスっぽい。
また歌詞の内容が「THE FLAG」あたりの全共闘世代向けっぽい内容でもあるから、
サウンドとあわせて、その世代のファンにとっては、ノスタルジックな感じがするのではないだろうか。

などと感想を書いているが、実はこの本、ぎりぎりこの度の震災前に書き終えている。
当然、あの甚大な天変地異を考えれば、ひとまずはここで区切らなければならなかったのだろう。
続編でなくても、この一年だけでも、分厚いドキュメンタリーが書けることだろうと思う。

蛇足ながら、この本の内容は楽しいのだが、写真はあまり上手くない。
吾輩がプロだから言わせてもらうけれども、ひどい。
もう少し綺麗に撮れるはず。
ギャラ無しで吾輩が撮ってもいいぞ。
などと戯言をいいながら、
作者の次回作を大いに期待する。
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