断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

Money and Banking Part 16: FAQs about Monetary Systems

2017-03-17 20:52:58 | MMT & SFC

https://drive.google.com/file/d/0Bz2V1zKzg0azQ0F2b09SS1pRazA/view?usp=sharing

 

もともと15回の予定のブログで、

一応は15回で終わっている。で、今回第16回目は15回目の補足。

17回目は付録というのか、歴史記述。

今回第16回はMMTの貨幣観を知るうえで

非常に判りやすく、その意味ではおすすめなのだが、

他方で、なんというのか、いささかフランス人的というのか、

議論の立て方が、アングロサクソンのMMTerに比べると、

イマイチそれっぽくない、というのか。。。

つまり、先に貨幣の「定義」があるわけよね。普通、MMTの議論の立て方は、

現に中央銀行はこうやってオペレーションやってんだから、

実質的に政府と一体でしょ、現に民間銀行はこうやって決済やってるでしょ、

現にこうやって政府は租税を徴収しているでしょ、現に、、、

というところから始まって、結論として「貨幣とはこうだ」、という

話に持ってゆくわけなんだけれど、

今回のティモワーニュの場合、

「定義」という言葉は使っていないんだけれど、

先に「貨幣というものは、こうだ」というのがあって、

それに対して、歴史上存在した様々なケースを当てはめて、

「これは貨幣ではない」「これは貨幣ではあっても

充分な条件を備えていない」(だから貨幣システムが十分安定しなかった)

というような話の立てつけになってしまっていて。。。

こういう立論の仕方は、おいらはあんまり好きではない。

論理的な話をするうえでは先に概念を明確に定義する、

というのは非常に重要なのでそれはそれでいいのだけれど、

現実に世の中に存在した「お金」というものを評価するにあたって

現在の社会システムの視点から過去に存在した何かを

評価する際に「これは(現在のシステムに比べて)これこれが欠けている」

という評価の仕方は、現代の貨幣システムの欠点がどんどんあからさまになっている現代では

どういうことになっちゃうのかなあ、という気がする。現代の貨幣制度(=決済システム)が

それほど完璧とは思えない。ましてやそれを基準に、

まだ登場して間もないビット・コインを評価するなんてのは

ちょっと先走りすぎているんではないだろうか。というか

将来、もしビット・コインがうまいこと成功したら(おいら自身は、

ビット・コインのようなものが、仮に現在の貨幣システムの取って替わることが

あるとしても、それまでにはまだまだ越えなければならない課題が

次から次へと出てくることと思ってはいるが)、今度は

ビット・コイン(のようなもの)に合わせた貨幣システムをひな形にして

それで現代の貨幣システムを「ここが足りないあそこが過剰」といって

評価するのだろうか。

 

このやり方は、昔のマルクス主義の段階論的議論(宇野派に限らない)を

連想させる。

マルクスという「偉人」が『資本論』という「古典」において

「資本家的生産(資本主義生産)関係」を

概念化した。これが一つの資本家的生産関係のプロトタイプである。

そうすると、その後の、金融資本主義、帝国主義、国家独占資本主義、

等々の「段階」あるいはシステムは、要するに

「あるべき」資本家的生産関係からの「畸形的偏差」ということになってしまい

それは資本家的経済の矛盾を先送りするための

あるいは労働者階級との対立を抑え込むための

資本家階級による苦し紛れの延命策という位置づけになってしまう。

その結果、マルクスが生きた時代の資本制経済それ自体が

金融資本制や帝国主義資本制といったものと同様の

一段階に過ぎない、という見方を頭から拒否することになってしまい、

それだけ「現代(それぞれの時代における)」の資本制経済の分析を

制約することになってしまった。ティモワーニュの論の立て方には

それと似たような危なっかしさを感じてしまうのである。

勿論、それぞれの時代を生きている人はそれぞれの時代の課題を

抱えている。だから自分の生きている時代の対象を一つの

プロトタイプとして抽象化し、それとの比較で

以前の時代のものを相対化してゆくという作業には

意味のある作業だ。ただし、その場合、「貨幣」というものは

あくまでも現代の「貨幣」から抽象化された相対的な概念に過ぎない、と考えるべきで、

いたずらに「普遍的な」貨幣概念があるかのような論の立て方は

避けたほうがよかったのではないだろうか。。。。

 

まあ、この辺は、おいらの印象では

Tymoigneに特徴的なスタイルであって、MMTerに必ずしも共通した

話の推し方ではないので、まあ、とりあえず読む人にも

注意を促しておこうか、といったところである。が、今回のブログが

分かりやすくて面白いことには変わりがない。

けど、まあ、第15回同様、Noney という言葉より

Monetary Instrument という言葉が中心に使われており、

これは今回も「貨幣性商品」と訳したが

明らかに不適格な訳語である。この辺は、まあ、そのうち

適当な訳語を探し出すことにするとして。。。



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