スコット・フルワイラーの研究の中心課題は
中央銀行のオペレーションにあるようで、
近年は、中央銀行のオペレーションとその効果を
いかにして社会会計に反映させるか、というようなことをテーマにした
研究のほうへと向かっているようだ。
http://en.booksee.org/book/1276365
なお、本書のフルワイラー執筆の章だけを手っ取り早く
参照したい向きには
http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=1874795
また、
http://heterodoxnews.com/ajes/papers/Fullwiler-Nota-ajes-v1.pdf
でも、扱われている。
さて、それはともかく、
これからしばらく、フルワイラーが2006年に発表した
(といっても、ワーキングペーパーだが)
"Interest rates and Fiscal Sustainability"
http://www.cfeps.org/pubs/wp-pdf/WP53-Fullwiler.pdf
を中心に、簡単に紹介したい。粗訳というほどでもないが
大雑把に論文のアウトラインを紹介してゆきたい。
なお、この人の文章は、
馬に乗って乗馬して、
疾く走って疾走して、
転んで倒れて転倒して、
馬から落ちて落馬した、
というような文章が延々と継がり続き、継続するタイプなので、
これをおいらが訳したりすると、
(まあ、これは、自ら戒めるべく自戒のつもりでも書いているのだが)
どうしようもなく回りくどい文章になってしまうことは
自ずと明らかに自明なので、
適宜、端折りながら、追ってゆくことにしよう。
論文自体はA4サイズで30ページほどと、大して
長大なものではないが、いろいろ面白い論点がある。
本論文の主題は、主流派経済学の想定するような
「財政破たん」が本当にあり得るものなのかどうか、
そして、フルワイラー自身の見解では、
現実のFedおよび財務省ののオペレーションを前提とするなら、
主流派が想定するような意味での「財政破たん」は起こりえないのだが、
では、なぜ主流派経済学は、そのような起こりえもしないことを
起こる、と思い込むに至っているのか、
その理論的基礎(貸付基金説アプローチ)を批判するものである。
正統派経済学がFedや財務省が金融市場で実際に何を行っているのを、
調べてもいず、考えもしていないことは明らかである。しかしそれなら逆に、
なぜ、財政破たんが必然的に発生しうるなどという結論が
導き出せたのであろうか、と、言うわけである。
本論文は、冒頭で「財政破たん」を巡る主流派(正統派)経済学の議論が
要約されている。この論文が書かれてから、すでに10年近くたつわけだが、
その間、サブプライム危機などもあったせいもあるが、
主流派の議論に大きな変化はなかったんじゃないか、
と、おいら個人は勝手に思っている。もしも、いや、
実はそんな話はもう古いよ、ということだと
とんだ恥さらしなのだが、まあ、学者でも無い一介の安月給サラリーマンが
酔っぱらいの合間を縫って書いているブログのネタなので、
その辺は、海のように広い気持ちでご海容を。
また、参照文献については、上記のリンク先、オリジナルのペーペーから
探してくだされ。
今回は、まだ、主流派(正統派)の内容を紹介するところまでにとどめておく。
フルワイラーの積極的主張については
次回以降の話になる。
おいら自身は、アメリカの事情についてはいまいちよくわかっていないので、
フルワイラーが書いていることの真偽についてはあれこれ
詮索することはやめておくが、この論文の目的意識はおおむね次のようなものと
されている。
ベビーブーマー世代の人々が退職年齢に達すると同時に、
将来の財政支出の経路についての関心が正統派経済学者のみならず、
少なからぬ数の政治家の関心を集めるようになった。そして、
彼らによって開発された分析方法が「財政不均衡」論である。これは、
まあ、おいら的に言わせれば、企業会計における年金会計を
そのまま政府にあてはめたような感じのものらしく、
現在の[正味]国家債務プラス期待将来支出の現在価値マイナス将来収入の現在価値
として、計算されることになる。こうした計算の結果、
例えば、Gokhale and Smetters, 2003 a によれば、合衆国の経路は
「持続可能経路」から440億ドルほど、外れたところにあることになるのだそうである。
基本的には同一の方法で、このギャップのkGDPに対する比率を示すと(例えば
Auerbach, 1994) 約7%になるのだそうである。この研究は
もともと2002年の財務省長官ポール・オニールPaul O'Neil による委託から
始まったそうで、当時、Gokhale は、財務省のコンサルタント、
Smetters は財務省の経済政策準アシスタント・セクレタリー(次官補)だったそうな。
ところが、ブッシュ政権は、このレポートを軽視して、減税路線を
突っ走った(Pespeignes, 2003)。その後、「財政不均衡」を測定する作業は
予算管理局や財務省、IMFに属する人たちに引き継がれることとなった。また、
社会保障や医療保険の信託機関のプロジェクトに統合されもした。2003年11月、
民主党上院議員のジョゼフ・リーバーマンJoseph Lieberman (どうでもいいが、
この人の人となりについては、ウィキペディアでもご覧ください。。。)は
"Honest Government Acounting Act"なるものを導入しようと試みた。
法案によると、
「政府の財政を適切に査定する方法は、現行の政策の下での正味資産(Net Assets だが、
企業会計における「純資産」と区別するため、とりあえずこのように訳しておく)を
計算することだ。すべての予想可能な受領額の現在価値から、すべての
予想可能な支出の現在価値を差引して、そこからさらに市民が保有している公債の残高を
差引する」んだそうである。この法案では、特にGokhale and Sumetters の研究に言及し
そしてそれを"honest goernment accounting"とした。もし、同法案が法律として
可決されていたら、「長期債務」と連邦政府の「財政不均衡」を75年先まで、
あるいは(Gokhale and Sumetters 他のモデルにあるように)無限期間で計算しすることに
「責任を負う委員会」が設置されることになっていた。もし「財政不均衡」が
定められた期間のいずれかの年にあらかじめ定められた上限を超えることになる、と
判断されると、大統領は不均衡を減少させる計画を提出しなければならない。加えて、
将来、財政支出を増やすか租税収入を減らすあらゆる提案は、75年先、あるいは無限期間にわたって、
「財政を均衡させる」ものでなければならない。。。
と、こう当時の状況を要約しながら、Fullwiler はこの論文の目的を
こうまとめる。
こうした法案などの背後にあるのは、正統派経済学マクロモデルの
「異時点間予算制約」という概念である。本論文では、特定の
「財政不均衡論」あるいは「世代会計」論を扱うことはしない。
また、(彼らに言わせれば)迫りくる社会保障や医療保険の財政的「危機」を扱うものでもない。
そうしたものではなくて、こうした議論の中核にある信念や前提を見極めること、
そして代替的な観点を提供することである。「財政的持続可能性」は
「財政不均衡」文献が示している通り、異時点間の予算「制約」によって定義する場合、
金利をどのように定義するかによって大部分決まってしまう。そして
財政が持続不可能になるのは、結局のところ、
金利が民間金融市場で決定される、という「貸付基金説」的な前提のためである。
ところが実際には、現代貨幣あるいは主権貨幣システムが変動相場制の下で作動している場合には、
内国利子率は政治経済的問題なのである。。。。
と、いうわけだ。
そして、正統派経済学の理論の検討に入る。なお、以下では政府予算制約をGBCと
短縮して表記する。基本的にはWalsh(2003)の中級教科書のモデルを
参照する。これは、考え方としては、企業会計におけるキャッシュフロー報告書
と同じようなもの、つまり、バランスシート方程式と損益計算書を
結び付けたもの、ということである。
さて、これから先、数式の記号の説明が続くのだが、
このブログのフォーマットではオリジナルの記号のままでは
何が何だか分からなくなる可能性があるので、一部変更。
取りあえず、
G:金利支払以外の政府支出
T:税収
iBt:全国家債務に支払われる金利
⊿Bt:政府債務残高の増加
RCB:国庫納付金
とすると、当期の全変数間の関係は
(1) G + iBt = T + ⊿Bt + RCB
となる。財務省から中央銀行へ支払われた金利(iBg)のうち、財務省へ
戻されない部分は、あったとしてもごくわずかであると仮定される。
(Fedは、法律的に利潤の大部分を国庫へ納付することが義務付けられている。)
したがって、
(2) RCB = iBg
マネタリーベースの変化(⊿M)は公開市場操作によって行われ、
これによってFedの債権ポートフォーリオも変化する。
単純化して
(3) ⊿Bg = ⊿M
政府債務残高合計は、公開市場操作の結果、Fedが保有されることになった部分と
民間部門によって保有される分(Fed保有を除いたこの部分をBngと表記)の
合計に等しい。つまりBt = Bng + Bg
これを(1)式に代入すると
(4) G + iBg + iBng = T + ⊿Bg + ⊿Bng + RCB
(2)(3)を(4)を代入し、両辺からiBg を差し引きすると、
(6)[(5)は省略] G + iBng = T + ⊿Bng + ⊿M
つまり、GBC命題によれば、
利払以外の政府支出と非政府部門によって保有される国家債務に対する利払いが、
徴税額、非政府部門によって保有される政府債権の残高の変化、そしてマネタリーベースの変化に
等しくなる。 (いちいち数式なんか持ち出さなくてもいいような気もするが。。。)
で、Fullwiler によれば、この命題は、アカデミックな文献や教科書において
政府支出とは、もし、マネタイゼーション(要するに、「札を刷る」)、そして
そのマネタイゼーションの結果として発生するインフレ圧力の爆発を避けようとするなら、
徴税か国債発行によって「資金調達(ファイナンス)」されなければならない、
ということを示すものとして、ほとんど普遍的に掲載されているんだそうだ。
おいらは最近はすっかり新しい経済学の教科書なんか読まなくなっちゃったから
わからないんだけれど。。。
まあ、いずれにせよ、正統派経済学も、
政府は、民間企業や家計と同じような意味で予算「制約」にぶつかることは
無い、ということになる。なんとなれば、Fedによる「マネタイゼーション」という
オプションがあることが十分認識されているわけだから。代わりに
(1)における制約というのは、⊿Mが物価安定と矛盾しないようにGを選択すること、
となる。すなわちGBCの「制約」が意味しているのは、「札を刷る」ことによって
G + iB を「資金調達する」ことは避けなければならない、という意味だ。したがって
正統派のGBCの中心にある発想とは、
財政赤字(G + iBng > T) が、⊿Mによって「資金調達」される場合、
⊿Bngにより「資金調達」されるよりもよりインフレ的である、ということだ。
正統派経済学によれば、政府は経済システム内のその他すべての経済主体同様、
貸付基金説の枠組み内での需要供給という「市場諸力」によって課される信用条件を
受け入れなければならない。この命題は、正統派によって
圧倒的に採用されている。下院予算局のブリーフなどでも言及されている。これらによれば、
財政赤字が起きくなるほど、利子率が高くなる。というのは政府が民間の貸し手に
自分たちの貯蓄と引き換えに政府のIOUを受け入れるように促すためのインセンティヴや、
デフォルト・リスク、将来、政府が返済の資金不足を補うためマネタイゼーションを
行うリスクに対するプレミアムを提供しなくてはならないからである。
ただし、一つだけ問題点があって、「しかるべき時に」行われる財政赤字は
「短期的」には国内生産を上昇させ民間貯蓄を増やすこともあり得るわけで、
その場合には金利の上昇という結果にはならない(例えば、Bernheim, 1989)。これは
要するに、ケインズ派/短期 対 新古典派/長期 という慣習的な見方の反映である。
「一時的には、赤字予算は短期的なマクロ経済的刺激を与えることで利益になりうるが、
それは経済が弱く、資本と労働にかなりの遊休資源がある場合である。…経済が弱い時期の
短期的財政政策に関して決定が行われる場合には、その目標は常に、
景気循環が終わった時点での財政均衡におかれるべきである」(Rubin et Al.,2004)
景気循環を、あるいはいくつかの景気循環を平均してみれば、
労働も資本も完全雇用になるだろうから、
それ以上の長期的あるいは恒常的な赤字は国民貯蓄を必然的に低下させ、
金利を引き上げることになるであろう、というわけだ。
おいらなりに別の言い方をすると
要するに、景気循環の波の山と谷(これをどのように測定するのかは
ともかくとして)の合間に、ちょうど
この山と谷の中間にこの景気の波を示す変数が位置する時期があって、
その時に政府の債務プラス将来支出の現在価値が
将来の税収の現在価値と等しくなっていれば
財政が均衡しているのでOK、と、こういうことになる。
Gale and Orszag (2004)は、リカード等価定理および小国オープンマクロモデルの
両条件下ではこうした「慣習的な見方」は当てはまらないことを示唆している。というのは
これらの場合、財政赤字は貯蓄にも金利にも影響しないからだ。ところがそれにもかかわらず
この両アプローチいずれも、貸付基金説が前提とされており、
主権政府も民間投資家の信用条件に従うこととされているのである。
[※今回に限らず、おいらのブログではずっとSovereign を「主権」と訳しているが、
これは、はっきり言って、不適切、というか、誤訳に近い。
MMTがSovereign という言葉で表現したいのは
典型的には、債務ヒエラルキーの頂点にある、ということにみられる通り、
機能的な意味でヒエラルキー構造の頂点にある、という意味だ。
現在の政治的文脈では「主権国家」という場合、その「主権」は最終的に
「国民主権主義」によって裏打ちされることになるわけだけれど、
MMTがSovereign ということを言うときには、
そんなことが意味されているわけではない。国家主権という場合、
そこで意味されているのは、単に、
国家の発行する負債によって、国内で発行される(あるいは、
どこで発行されたものであれ、流通している)他のあらゆる負債は決済が
可能である、という意味で、国家は「至高の」あるいは「最上位の」位置にあるわけだ。
この、「至高の」あるいは「最上位の」というのが、つまり
sovereign ということであって、国民主権主義というのとは
ちょっと違う、単なる債務関係にかかわる機能上の、あるいは「オペレーション上の」位置関係を
示しているにすぎない。ここのところを見落とすと、
MMTというのは、一種の「国家主権主義」じゃないか?という話になってしまうが、
Job Guarantee Program 構想からも察せられるとおり、
MMTは、いわゆる国家主権主義とは全く異なった文脈で語られていることには
注意が必要だ。]
リカードの等価定理では、財政赤字でも金利は上昇しないこととされている。
なぜなら、経済主体は、現在の赤字財政が将来の増税につながることを見越して
貯蓄を増やすからである。開放マクロにおける小国モデルも似たような話で、
内国金利は、資本の流出入によって、常に外国金利と一致させられる。この場合、
国債の信用条件とは外国投資家の提示するものであって、国内投資家が提示するものではない。
ブッシュ政権下ではこうした開放経済観に基づいて財政赤字水準を決めていたが
それによって金利が上昇することは無かった(合衆国財務省, 2004)。2006年2月、
財務省長官ジョン・スノーJohn Snow はこう繰り返した。「疑問の余地なく、合衆国には
層の厚い流動的な資本市場が存在している。今後も我々は世界中の投資家から
資本を惹きつけられるであろう。」(CNN Money, 2006)
貸付基金アプローチの見地からは、「実物経済諸力」(つまり貯蓄や資本)が
「実物」利子率を決定し、名目利子率のほうは期待インフレ率によって
説明される(フィッシャー効果)。正統派による財政赤字効果のリサーチは
一般に、「定常状態」均衡において
所得に占める資本収入や所得-資本比率に依存して実質利子率が決定されるものとされ、
そしてこうしたものを決定は貸付基金市場でなされる、というアプローチが
とられる。Engen and Hubbard(2004)の説明にあるとおり、
政府債務が変化したとき、金利へどのような影響があり得るか
理解し測定するためには
その政府債務に置き換えられる、あるいはその政府債務に
「クラウディング・アウト」される物理的生産資本を含んだ経済の集計的生産関数を
ベースにして、標準モデルで計算することになる(P4)。。。。
。。。と、いうわけで、正統派の理論は、ここまでは
かなりの共通項がみられる、とされる。ただし、正統派経済学といっても
一様ではなく、中にはかなりのニュアンスあるは見解の違いも
あることをFullwiler は強調する。
とりわけ、国債残高が増加することが国内経済に影響するといっても、
GDPに対する国債残高の比率が増加することによるストック効果と
GDPに対する財政赤字の比率が変化することによるフロー効果のどちらが
より利子率に影響するのかについては、大きな見解の相違が
正統派内部でもある、という。この点、
Elmendorf and Mankiw (1999)では、どのような消費者行動モデルが想定されるかによって
変わってくるとされているのだそうだ。Engen and Hubbard(2004)では
コブ=ダグラス型の生産関数から、GDPに対して国債の比率が高い場合の影響を導出しているが、
ただし総生産に対する資本の比率のほうは1/3に固定したうえでの計算であった。
この分析では、合衆国国債のGDPに対する比率が1%上昇すると
実質利子率(資本の限界生産力と等しいとされる)は3ベーシス・ポイント上昇するとされる。
この結論はElmendorf and Mankiw (1999)と一致する。Engen and Hubbard (2004)によるなら、
ごくわずかなストック効果のほうがフローよりも影響が大きい。というのは
実質利子率は資本ストックの水準によって決定されるという標準的な正統派モデルと
最も一貫するからである。他方で、IS=LMアプローチのようなフロー・モデルは
ほとんど分析には用いられていない、と、Fullwiler は言う。
※本日はここまで。出来れば、主流派経済学についての
Fullwiler の説明まで終えたかったところだが。。。。
全く中途半端、というか、きりの悪いところで話が中断してしまうことになるが
まあ、しゃあない。
次回はいつになるか、わからない。。。分かっていることは、、
来週は、温泉に行くから書けません。
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