ワニなつノート

てがみ(2)


   
      ◇

「みんなの思い出が書いてあるんだ…」
そう思うと、かなこは何となく落ち着かない気持ちになった。

「あの日のことも‥、書いてあるのかな」
遠足や林間のことも書いてある。
それなら、きっとなわとび大会のことも書いてあるだろう。
「あのときのこと‥」

     ◇

去年の、なわとび大会のとき、Kはコウタのとなりに座っていた。
いつものように、かなこはKを呼びにいき、声をかけた。
「Kちゃん、どうする?」

いつもなら「Kちゃん、一緒に行こう」と誘うのに、
あの時「どうする?」と聞いてしまった自分の気持ちを、思い出していた。

あれから、しばらくの間、かなこはそのことが心のどこかに引っかかっていた。
でも、みんなが跳び終わったときのKは、
笑顔で「おめでと」「おめでと」と言ってうれしそうに笑ってくれた。

その後も、Kはいつもと変らず、かなこの言うことは素直に聞いた。
チャイムがなって砂場にいる時にも、
かなこが迎えに行くと、すぐに教室にもどってきた。
集めていた小石が一個なくなって泣きながら机の下を探しているときも、
かなこが、明日持ってきてあげるねというと泣きやんだ。

そうしていつしか、かなこはあの時のことを忘れていた。
…忘れていたつもりだった。
だけど、やっぱり自分の心が思ったことをなしにはできない。


     ◇


なわとび大会の前日、Kは学校を休んだ。

「明日も休んでくれたらなぁ」
帰りの会で、誰かがつぶやいた。

八木先生が声のした方をちらりと見て、何か言いかけてやめた。
そのとき、タツヤが言った。
「でも、ほんとのことだぜ」
「何が言いたいの? タツヤくん」
八木先生が、少し声を抑えているのがわかる。

「だからぁ、みんなだって思ってるんじゃないの。
あしたも休んでくれたら優勝できるかもしれないんだぜ」
何人かの男の子がうなずく。

「ほんとに?」
信じられないという顔で先生が聞く。
「みんな、ほんとにそんなこと思ってるの?」
「そりゃ、そうさ」

八木先生がさらに静かに言った。
「タツヤくんの意見はわかったわ。
先生は、みんなの意見も聞きたいの」
「はい、はい」と、タツヤは少しふてくされる。

八木先生がどう思っているのか、みんな分かっている。
先生は誰もひいきしたりしないし、
子どもの意見もちゃんと聞いてくれる。

「だけど、優勝したいよな。あんなに練習したんだから」
後ろの方でマコトが言う。

「うん、朝練までしてがんばったんだから」
トモユキもうなずく。

先生もうなずきながら答える。
「優勝したいのは分かるわ。
みんながどれだけがんばったのか、私が一番よく知ってる。
でも、みんなは5年3組みんなで優勝したいんじゃなかったの?
誰も見捨てないでみんなでいっしょにやるんじゃなかったの?」
「‥‥‥」

そう言われるのも、みんな分かっている。
「でも、コウタだって出られないんだし‥」
誰かの声がする。

「ぼくはしょうがないよ。
自分で転んじゃったんだから。
この足じゃ跳べないし‥」
コウタがそう言うと、タツヤがまじめな声で言った。
「だから、誰も外すなんて言ってないよ。
ただ、明日、休んでくれたら‥って思っちゃっただけだよ」
何人かがうなずく。

確かにKの名前は誰も口にしていないし、
Kをはずそうと言った子もいない。
でも、やっぱりみんな似たようなことは思っていた。
Kは大なわを跳べないわけじゃなかった。
でも、なぜか最初はいつもうまくいかない。
練習でも、最初の10回は必ずつまづくのはKだった。

慣れてくれば、みんなと同じリズムで跳べるようになる。
そうなると、今度はなわに引っかかるのはむしろ他の誰かだった。
85回跳べたときはKも一緒だった。
でも、Kのいない今日は、91回の新記録だった。
100回を超えたクラスはまだない。
だから、100回跳べたら、優勝できる。
みんな必死だった。

でも、Kを外すなんて、八木先生が絶対に許さないのもみんな知ってる。
それに、みんなだってそんな八木先生もKのこともキライじゃない。
だから、今まで誰もこんなふうに言わなかった。
多分、今日だってKが休まなければ、こんな話にはならなかった。

「今日はみんな、いつもみたいにおしゃべりじゃないのね」
先生は声を落ち着かせるようにゆっくり話す。
「みんなの気持ちは、先生もよくわかるつもりよ。
でもね、先生はやっぱり思うの。
優勝することより大事なものがきっとあるって。
金メダルより大事なものが人生にはいっぱいあるって、私はそう思うの…」

《金メダルより大事なもの…》
かなこは心の中でつぶやいた。

《金メダルより大事なもの…》
《金メダルより大事なもの…》

「先生、金メダルより大事なものってなんですか?」

自分の声に驚いて、かなこが思わず顔をあげる。

みんなが自分を見ている。
地球が止まったような気がした。
先生の言葉をさえぎったのが、
おとなしいかなこだったのが、みんなには意外だった。

「ありがとう。かなこちゃん」
八木先生のやわらかな声が、ゆっくりと、かなこの地球を回し始める。
「先生の言うことを一生懸命分かろうとしてくれるのはうれしいわ。
 でも、ごめんね、先生もまだうまく説明できそうにないの」

「だけど、先生だって、いつも、がんばれ、がんばれって言うよ」
俊平が言う。
「それって一番、がんばった人が金メダルをもらえるからじゃないの?」
「うん、うちのお母さんも、毎日、がんばれ、がんばれ、がんばれって」
将也がつぶやく。
Kの話題を離れたせいか、あちこちでささやく声が広がり、
そのまま、帰りの会は終わった。

帰り道も、かなこはずっと先生の言葉を頭のなかで繰り返していた。
みんなだって、Kちゃんがキライなわけじゃない。
ただ、いつも最初は必ずKちゃんが失敗するから。
それに、失敗してもぜんぜん気にしていないように見えるから、
みんなも少しイライラするんだ。

でも、かなこは、Kがいっしょうけんめい、
タイミングを数えているのを知ってる。
みんなには聞き取れない小さな声で、何かの数を数えながら、
大縄を跳ぶタイミングを計っているのを、かなこは知っている。

そして、Kが少しずつリズムが取れてくると、
5年3組のチームワークは最高だった。
みんな、八木先生とこのクラスが大好き。
みんなで息を合わせて跳んでいると、それがよくわかる。
だから、かなこはクラス全員で跳ぶ大縄が大好きだった。
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